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昭和女子大学附属初等部編 6〜12歳

ほぼ軍事施設のような教育機関、昭和女子大学の附属の小学校生活です。

のんびり屋の自分が軍隊のような教育により、左脳の社会性と規律を育む様子を文章にしました。


[昭和女子大学附属初等部時代 前期]
1年次
入学式で桜の苗木をいただき、松崎の家の庭に植えたが、マンションの人はどうするのか疑問に思う。
(38年が経過した現在では樹高6mほどに成長している。)

1年1組に配属される。
特に友達を作らなければならないと考えてなかったため、比較的家が近い子と下校するなど、漫然と流されて過ごす。

富士登山マラソンという課題が課せられる。
校舎の周りを一周すると、方眼用紙の1マスを赤鉛筆で塗る、それを一年間続けてトータルで富士山を登って降りる距離を走破するというアクテビティ。(初等部在学期間中6年間継続が義務)
おかげで後の40年間[走る]という行為に対しての強烈な拒絶が潜在意識に形成される。

幼稚部時代のイメージ以上に過酷な教育方針と校則だったが、昭和以外を知らないので他の教育機関へ移る事への恐怖の方が勝る。
なんとかこの環境に適応しようと尽力する。

授業の進度が速いため、水曜か土曜は[家庭学習日]と設定されている。
その際、家庭での過ごし方を事前に予定を立てて提出、立てた予定の通り過ごせたか報告とフィードバックも宿題に。
予定を立てる事が苦労なくできるようになる。
さらに週の途中で一日休みを入れないとやってられない體になる。

どうしても動物と生活してみたくて、ペットショップで文鳥を買ってもらう。
あまりの可愛さに毎日一緒に遊んで勉強が疎かになる。

可愛すぎてどこに行くにも一緒に行動していたら、ストレスをかけてしまい6ヶ月で亡くなる。
失意のどん底で猛反省、加減を学ぶ。

この頃から母親の[ナホはどう思う?][何が本当に好きなの?][自分で考えてみなさい]が加速。
ほとんど何も考えていないのでテキトーな返事を返す。

2年次
クラス替えで2年3組に配属され、初めて話して面白いと感じる児童に出会う。
家は遠かったが初等部の校舎から正門までの約10分はその子と帰るようになる。
(後に彼女の母親が大阪出身と知る)

初めてできた友達と、常に相手から笑いを取る事に切磋琢磨、ウィットの効いたトークとモノボケの研鑽に勤しむ。
オチがなく一つも笑いを取れない会話は、会話ではないと刷り込まれる。

人見記念講堂というホールで毎年約2回ほど発表会のような催し物が開催される。
全校生徒と保護者合わせて数百人の前で舞台に立つ必要があり、緊張のあまり神経性腸炎を発症するが、何度か経験するうちに慣れる。

幼稚部時代から引き続き、春夏冬の長期休暇は松崎の家で過ごす。

この頃から長期休暇中の宿題が、1日4時間は取り組まないと終わらない量になる。

終わらせられないとあの学校ではどんな仕打ちが待っているかは想像に容易いので、自分を律して宿題を終わらせる。
(恐怖による行動のため、勉強した内容は身に付いてはいない)

神奈川県の山の寮でお泊まり教室がある。
幼稚部時代よりは慣れたが、まだまだ心細い。
寮の食事では鯵の干物を骨まで食べさせられて、干物が嫌いになる。
お残しは許されない。

祖母のフロアは相変わらず散らかっておりよく物がなくなる上、そこに居ると考えがまとまらなくなる事に気づくが、自分の部屋の片付け方が分からず、ボーッと宿題に追われる日々。

2年次まではランドセルではなくショルダーバッグでの登下校で、教科書は学校においておく事も許可されていたが、3年次からはランドセルで持ち帰りが強制を告知され、荷物が増える事に絶望する。

3年次
ランドセル通学開始。
教科書が重すぎて登下校が苦痛。

3年3組に配属され、大阪人ハーフの友達とは違うクラスになるが、持ち前の柔軟性と行動力で帰りは一緒なので氣にせず。

長期休暇だけでなく、平時の宿題も増えてくる。
この頃から毎月読書感想文も課され始める。
興味も湧かない課題図書を読んで、原稿用紙4枚半の感想文を書かないと退学になるため、読書に対しての苦手意識と嫌悪感だけが育まれる。

母親に[みんなが持ってるから自分もこれが欲しい]という言い方をすると、[みんなとは誰と誰?]や[ヒトが持ってるから欲しいのなら買わない。本当にあなたが欲しいor必要と感じるなら交渉しなさい]と返されるようになる。
欲しい物、必要な物を手に入れるという目的のため、ない頭を振り絞ってどうにか理由を考え始める。

どうしてもランドセルが重すぎるので、教科書が家用にもう1セット必要な旨を母親に訴える。
今年度から毎年祖母に書店で教科書を家用に買ってもらえる事になる、交渉成立。

その後も、味をしめて欲しい物や必要な物が生じたら、理由を考えてプレゼンするようになる。
母親を納得させられれば買ってもらえるように。
(成功体験の積み重ね)

母親が死にかけた子猫を拾ってくる、雌。
あまりにも可愛いから、ついかまいたいが、初代文鳥の教訓を生かして少しだけ我慢する。

[昭和女子大学初等部 後期]
4年次
4年2組に配属される。
ここへきて初めて理解あるベテランの担任の先生に恵まれる。
(富永先生)
厳しい校風に変わりはないが、1、2、3年次に比べると過ごしやすくなる。
大阪人ハーフの友達も再び同じクラスで、さらに笑いについて掘り下げる。

父親が母方の三本杉家に養子縁組、苗字が三本杉に変わる。

制服のベレー帽を下校中に脱いだ生徒がいると、保護者からの密告がある。
社会とはこんなにもディストピアなのかと恐怖する。

初夏に千葉の房総にある学校の寮でお泊まり教室に4泊。
海の学寮は最近建てられたため新しくて快適だがシーツがゴワゴワ、眠れぬ夜を過ごす。
7月はまだ海が冷たいため水泳指導は過酷を極める。

長期休暇中の宿題が、一日6時間要する量になる。
8月下旬からラストスパートかければ終わるような量ではないので松崎の家でも宿題、のんびりしてはいられなくなる。

5年次
クラス替えなしの繰り上がりで5年2組、友達も担任の先生も変わらず。
来年もこのままであってくれと切望する。

泊まりの移動教室は毎年1回か2回行われる。
寮では朝6時に起床ラッパで起こされ、その後も分刻みの授業プラン。
遊びなどはないが毎年あるので、軍隊のような生活にもさすがに慣れる。

母親は相変わらず[自分で考えさせる教育]で厳しいが、耐えられなくなったら祖父の部屋に避難し、一緒に相撲中継を楽しむ。
母親に隠れて祖父とオヤツを喫食。
夕食に影響が出るためにバレて2人で怒られる。

近所の公園で野良の子猫を発見、半ば拉致の様な形で家に迎える、雄。
野良上がりのために警戒心が旺盛だったが、最初に迎えた猫が野良子猫のメンタルケアをしてくれて落ち着き、家族で感謝する。
検査のため動物病院へ。診察料金の高額さに驚愕する。

学校の勉強はしないと退学になる、[退学=死]と洗脳されているので、恐怖による動機で勉強はする。
もちろん全く頭には入っていないので成績は下の上。

6年次
クラス替えも担任の変更もなく6年2組に繰り上がり、思考が現実化する。

相変わらず勉強は忙しいため機械的にこなすが、身には付いていない。

引き続き関西人ハーフの友達とは笑いの切磋琢磨に励むが、次第に友達が家庭環境のために悩みが多くなる。

泊まりの移動教室は毎年行われ、分刻みのスケジュールだが、既に慣れてなんとも感じない
いくら自由でマイペースな人間でも、訓練と慣れでキッチリもできることを體感する。

校内の計算検定で学年最低得点を叩き出すが、計算は元々得意ではないので、驚くほど心に響かない自己肯定感。

後半の3年間は比較的落ち着いていたが、トータルで考えるとサバイバルな小学校生活だった。
しかし中高部はさらに過酷を極めると聞き絶望する。



馬鹿すぎて自分でも驚いています。

昭和女子大学附属中高部、日本大学桜ヶ丘高校編に続きます。


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