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ZENONZARD Charlotte&RindouーDoor of truthー

 探偵の朝は早い。
 カーテン越しに朝日が差し込むマンションの一室で、シャーロット・シームズは目を開いた。ベッドの中に入れていた手を伸ばして控えめに鳴く目覚まし時計を黙らせ、上体を起こして伸びをする。
「ん―――……っ……はぁ」
 癖のある薄桃色の髪を手櫛で梳きつつベッドから降り、自室を見回す。
 少し広い、こざっぱりとした部屋に机とPC。部屋の隅に観葉植物。壁には四角いレンズのゴーグルがついた帽子と、インバネスがかけられている。
 シャーロットはカーテンのかかった窓に手をかざし、軽く指を振った。ひとりでにカーテンが開き、あたたかな陽光が入ってきた。
「うん、いい天気だ。さて……」
 シャーロットは微笑むと、部屋のドアへ歩き始める。行きずりにインバネスを引っかけて薄暗い廊下に出、左に進むとそこはリビング。右側にローテーブルとソファ、壁掛けのテレビジョン。
 奥の壁は一面窓で、晴れた都市の景色が一望できる。青みがかったグレーに輝く風景を背にして、前と左右を壁に囲まれたブース型デスクが設置されていた。壁といっても、シャーロットが背伸びをせずに覗き込める程度の高さだが。
「イズミー。起きてるかい?」
 問いかけながらブースに回り込むシャーロット。すると、そこには点けっぱなしのPCの前で机に突っ伏した女性がうなされていた。ホログラムのPC画面には、書きかけの文書。シャーロットは苦笑気味に肩をすくめ、女の肩をゆする。
「イズミ。イーズーミっ。寝るならベッドで寝なっていつも言ってるじゃないか。ほら、起きた起きた」
「ふあ……?」
 揺さぶられた女がかけっ放しの眼鏡の奥で目を開く。次の瞬間、彼女はガバリと起き上がりぎょっとした顔で周囲を見回した。
「うわあっ!? シャ、シャーロット! 今何時!?」
「7時30分。締め切りまでちょうど一時間だ」
「うっひゃあああああああああああ!」
 女は悲鳴を上げてタイプライター型キーボードに飛びつき、高速の打鍵を開始した。シャーロットは肩をすくめてデスクを離れ、リビングの反対側に設置されたキッチンへ向かう。
「だから言っただろう? 徹夜するより早寝早起きした方がいいって。コーヒー、淹れたら飲むかい?」
「飲む!」
 焦り散らした返事を聞き、シャーロットはキッチンに置かれたコーヒードリッパーの電源を入れる。既に満タンとなっていた水が沸騰するのを待つ間、マグカップを二つ並べ、冷蔵庫から作り置きしていたポテトサラダを取り出した。
「やれやれ。これじゃあ探偵というよりメイドじゃないか。ボクとしては、相棒の無理は見過ごせないところだけど」
 呟くが、返事はない。代わりに、どんどん加速する打鍵の音が小気味よく響いて来た。すぐそこまで迫った締め切りに間に合わせようと、彼女は己の全集中力を動員しているに違いない。
 外輪和泉、22歳。職業は大学生、漫画家、小説家、フリーライター、ついでにプロのカードゲーマー。卒業研究と取材と締め切りに日々追われる多忙な女性で、シャーロットが選んだ相棒でもある。
 職業が職業だけに、彼女はいつも忙しそうにしている。シャーロットに言わせれば、締め切りがついてまわる仕事をそんなに抱え込んでどうするんだといったところだが、なんだかんだ全てやり遂げてしまうのが始末に悪い。
 湯気の漂うマグカップの片方に砂糖とミルクを入れると、シャーロットは再びブースへと向かった。最大まで速度を上げたタイピングが、だんっと力強いエンターとともに停止する。デスクを覗き込むと、イズミは固まっていた。
 額を大きく出し、後頭部とまとめた髪。服装はラフなTシャツ一枚にショートパンツのみという格好。まだまだ若いが、妙に老け込んでいるように見えるのは目の下についた濃い隈のせいだろう。
 シャーロットは視線をずらし、PCの画面を見つめる。横長のウィンドウに映ったシークバーが左から右へぐんぐん伸びて行き、右端に到達すると同時に消滅。表示された『転送完了』の文字を見たイズミは大きく息を吐いた。
「ふううううううう……間に合ったぁ……」
「お疲れ様。時刻は7時52分。なんとかセーフだ」
 椅子の背もたれに体重を預け、ずるずると下がるイズミを労い、カップを差し出す。イズミはカップを受け取ると、コーヒーをごくごくと呷った。
「ぷふぅー……生き返る……。ありがとシャーロット」
「どういたしまして。キミも大変だねえ……って、こうなるたびに言ってるけど」
 シャーロットはブースに背中を預けてコーヒーをすする。香ばしい匂いが嗅覚をくすぐる。
「お説教するわけじゃないけどさ、イズミ。キミはちょっと無理しすぎだと思うんだ。ここ最近ロクに寝てないだろう? ボクの方がしっかり寝てるっていうのは流石にどうなんだい」
「うう……ごめんなさい……」
 イズミが眉をハの字にして首を縮める一方、シャーロットは壁掛けテレビジョンを指差した。自動で画面が点灯し、今朝のニュースを流し始める。
「頼むよ? キミとボクは運命共同体。キミが欠けたら、ザ・ゼノンにだって影響が出るんだから」
「うん……そうだよね。気を付ける……」
「と、キミはこの前も言ってたわけだけど?」
「うぐっ……」
 ガックリとうなだれてしまったイズミに悪戯っぽく笑いかけつつ、シャーロットはテレビに目を向けた。天気予報を眺める彼女に、立ち直ったイズミが問いかける。
「シャーロット。今日のお仕事は?」
「一件。けど、内容的に夜しかできないから夕方まで完全フリーさ。イズミは? 確か、今日は学校が無い日だよね?」
「……今日何曜日だっけ?」
「木曜日」
「あ、じゃあ学校休みだ。ついでに、今週締め切りのお仕事も無しっ!」
 イズミはマグカップを置いて背中を伸ばす。背骨がバキバキと鳴る音に、シャーロットは思わず笑ってしまった。
「体、随分凝ってるね。立ったら?」
「あー、そうする……ていうかシャワー浴びてくる……」
「いってらっしゃい。上がったら朝食にしよう。その間に対戦申し込みが無いかも見ておくよ」
「よろしくー……」
 イズミは椅子から立ち上がると、猫背気味の姿勢でバスルームへ向かった。

 十数分後。シャーロットとイズミはソファに並んで腰かけ、朝食をとっていた。
 メニューは先ほど出したポテトサラダに、トーストとコーヒー。朝のワイドショーを見ながらの食事だ。
 トーストを砂糖多めのコーヒーで流し込んだイズミが、口を開く。
「それで、ザ・ゼノンの方はどう?」
「ぜーんぜん。ここしばらくは、一件も対戦のお誘い来てないよ」
「やっぱりかー……」
 イズミはマグカップを両手で包み、溜め息を吐いた。
 ザ・ゼノンとは、カードゲーム『ゼノンザード』を用いた世界最大規模の大会のこと。大小様々なリーグ戦の他、トーナメントなど世界各地で多様な形態の試合が日夜行われている。参加条件は少々特殊だ。
 イズミはやや遠い目をしながらぼやく。
「忙しくって申し込まれた対戦全部断ってたもんなぁ……そうもなっちゃうよねぇ……」
「ま、ボクの方も色々やることあったしね。どうする? 息抜きに誰か誘ってみる?」
「んー、それなんだけどさ……」
 イズミはマグカップをローテーブルに置くと、傍らにあった携帯端末を拾ってシャーロットに提示する。怪訝そうな顔をしたシャーロットが画面を覗き込むと、そこには一通の電子メールが表示されていた。
「なになに? ゼノンザードの漫画を描いてほしい。それを月間の雑誌で…………ビホルダーグループ」
「そう。大会主催者様から直々の依頼が来たの。お給金破格だし、ザ・ゼノンの長期間の不参加も認めてくれるって言うし、正直受けるしかないかなって」
「ふむ……?」
 ソファの背もたれに体を沈めるイズミ。シャーロットは顎に手を当て、考えを巡らせた。
 ビホルダーグループは、ザ・ゼノンを主催した超大企業だ。金融、インフラ、コンサル、エンタメなど幅広い事業のトップを総なめにしているが、最も秀でているのはAI産業。今や世界中のAIはこの企業無しでは立ちいかないほどだ。
(それが、わざわざイズミに漫画を描かせて、しかも長期の不参加も不問にするって?)
(……どういうこと? ザ・ゼノンはビホルダーグループが取り仕切ってる一大事業。それに向こうには『彼』がいるはずだし、イズミに依頼する理由も無いはず。長期不参加の不問まで持ち出して……何を考えてるんだ?)
「……ねえイズミ。その依頼、受けるつもりなの?」
「うん、受けてみようかなーとは思ってるけど……」
 イズミの唇がへの字に曲がる。
「もう週間で描いてる人いるしなあ……それがよりにもよって……」
 その時、イズミの手中で携帯端末が鳴った。イズミは画面を顔の前に持っていくと、なんとも言えない苦笑いを浮かべる。シャーロットもつられて笑った。
「噂をすればなんとやら、かな?」
「そうね。ナイスタイミングというか、なんというか……」
 イズミは上向けた端末の画面を親指でタップした。画面の上にホロウィンドウが展開し、剽軽な面持ちをした青年の顔を映し出す。
『おはよう、イズミ。もしかして、寝不足か?』
「おはようエータローくん。ご想像の通り」
『初歩的なことだ、友よ』
「あ、エータロー! それはボクの台詞!」
 割り込んできたシャーロットに、エータローと呼ばれた青年は鼻を鳴らす¥した。
 全集栄太郎。年齢は二十代後半。濃い目の金髪をザンバラにしたヘアスタイルで、細面の顔はやや掘りが深い。しかしどこか少年めいた雰囲気もあってつかみどころがない印象だ。
 イズミはシャーロットと肩を寄せ、薄く笑いながら二の句を継いだ。
「今ちょうど、君のコードマンの話をしていたところだよ」
『竜胆の? 漫画の方か? それとも、ゼノンザードの方?』
「んまあ、どっちも……かな」
『ほーん……? ま、いいや。進捗はどうよ』
「まあまあってところかな」
「今朝方、締め切りをひとつ乗り越えたところだよ。ボクらに対戦のお誘いと見たけど、どうかな?」
『さすが名探偵シャーロット。話が早い!』
 エータローは手を叩き、右手に持ったカードのデッキを掲げて言う。
『最近対戦してないだろ。ここいらで、取材と息抜きもかけて勝負はどうかと思ってな。ギャラリーが待ちわびてるぜ?』
「ホントにぃー?」
『本当だ! こないだなんて編集から言われたんだぜ? 外輪先生とゼノンザードしないんですかって。それに、今日はUR-Dもレイチもつかまんなかったし。もし予定がつくならどうかと思ってな』
「確かに暇といえば暇はあるけどー……うーん……」
 イズミは唇を尖らせ、首を傾げた。それを見てシャーロットは察する。イズミは今、エータローとエータローの相棒に会うのが少々気まずいのだろうと。
 イズミは悩ましげに眉根を寄せて唸ったあと、顔を戻して問うた。
「……ねえ、竜胆くんもゼノンザードの漫画描いてたよね?」
『なんだいきなり……。ああ、描いてるぜ。なんなら、今も絶賛バリバリ執筆中だ』
 エータローは自宅で首を巡らせる。彼から少々離れた壁際、机に向かって一心不乱にペンを動かす背中があった。黒いコートに大きな鷹の翼が如き装飾をつけた少年の背中が。エータローは通話画面に向き直る。
『んで、それがどうした?』
「実はさ……」
 神妙な面持ちのエータローに、イズミはビホルダーグループから来た依頼について説明した。
『なるほど。そりゃあ大問題だ。なにせ、竜胆は漫画王になる男だしな』
「誇張抜きにそれっぽいのが辛いなぁ……」
 力なく笑うイズミ。エータローは大げさな身振りを交えて語りかける。
『まあでも、気持ちはわかるぜ。俺も小説家の端くれ。他人とネタ被りするのは避けてえ。特に、自分より人気のある奴とはな』
「そうなの。だからどうしたらいいかなーって」
『なーに、安心しろ。それについては俺に策アリといったところでな。……お前ら二人、午後から夜まで空いてるか? ついでに、夜遊びしても問題ないか?』
「午後から?」
「……夜遊び?」
 エータローの言葉に、イズミとシャーロットは互いに顔を見合わせた。


 シャーロット・シームズは人間ではない。
 西暦20XX年。極度に高度化した科学技術により、従来のAIは人間に比肩すると言われるほど、著しい進化を遂げていた。
 医療、治安維持、経営、果てはエンターテイメント、軍事に至るまで、世界中にAIは遍在し、 新たなAI開発までもAIが担う時代。
 中でも超高密集積演算対応似人型AI、通称『コードマン』と呼ばれるものに至っては、『人格』とも呼べるような究極的なインターフェイスを獲得し、単なる道具という存在を凌駕しつつあった。
 シャーロットは全世界に108体いるコードマンの一体だ。出身は調査プログラム……だったはずなのだが、シャーロット自身はコードマンになった時のことを覚えていない。気づけば―――人間で言うと、物心ついた時にはこうだった。
 自分の生まれについてはいつも考えている。本当にただのプログラムが、人間と同様の自我と知性を持ち得るのか? 自分は自然発生したものなのか? それとも、作られたものなのか? 答えは出ない。ただひとつ確かなことは……。


「……で、だ。相棒」
 黄色い丸縁のサングラスをかけた少年が、腕組み状態の手指で二の腕をタップする。グレーと黄色のメッシュが入った黒髪に、ファーのついた紺色ジャケット。ボトムスはイエローの入った黒のジーンズ。パンクなファッション。
 少年はサングラス越しに、隣に立つ青年をじろりと睨んだ。そこに立つのは、薄手の黒い上着を羽織り、鍔広のハットを被った長身の青年。アウトローめいた服装のエータローだ。エータローは黒いサングラスの下から少年を見返す。
「どうした、竜胆。女の服選びは時間がかかるものだ。もうちょっと待ってようぜ?」
「そうじゃなくてだなあ!」
 竜胆と呼ばれた少年がエータローに食ってかかった。竜胆は自分の服装を見下ろし、両手十指をわななかせる。
「なんで僕らがこんな格好で! その……デ、デ、デートなんてしなくちゃならないんだ!?」
「まぁそうカッカするなよ竜胆。これも取材の一貫だ」
「い、いやだからって!」
 言い募る竜胆の額に、エータローがデコピンを打った。
「あだっ!」
「そうデケー声出すなって。気楽に構えてりゃあいいんだよ、気楽に構えてりゃあ。ちょっとめかし込んでお茶するだけなんだ、なんてことはない」
「あるっ! なんてことはあるんだよ相棒っ!」
 竜胆の大声に、通行人たちが視線を向ける。エータローはハットを手で押さえて目深にし、鍔の下から睨みを利かせた。怯んだ通行人たちすぐに目を反らし、そそくさと立ち去っていく。エータローはニヤリと笑った。
「見ろ。モブ連中が俺たちを見て逃げてくぜ。いつもの格好じゃあ見れない光景だ」
「……まぁ、そうだが」
 竜胆はぶつぶつとぼやき、上着のポケットから小さなメモ帳と鉛筆を取り出してスケッチを始めた。流れるようなデッサンの音を聞きながら、エータローは肩をすくめる。
「お前の初心もなかなか治らねえよなあ。あの二人とは、そこそこの付き合いになって来た。本業でもゼノンザードでも良いライバルだ。初めて会ったわけでもあるまいに、そろそろ慣れていい頃合いじゃないか?」
「ううっ……でもなぁ……」
「でももだってもねえって」
 スケッチしながら縮こまる竜胆に、エータローは続ける。
「いつまでも緊張し続けてたんじゃあ、向こうにも失礼ってもんだ。色恋に発展させるハラでもなし。特にシャーロットの方は……」
「おーい!」
「……っと、来たか」
 エータローがもたれていた壁から背を離し、竜胆の肩を叩く。竜胆は渋々スケッチをやめてメモと鉛筆をしまうと、エータローに続いて歩き始めた。そして声の方を見―――。
「いっ!?」
 半歩後ずさった。
 やってきたのは、黒地に桜色のマークを入れたスタッズパーカーを羽織った少女。桃色の髪なびかせ、ピンクに黒の縁取りがなされたスカートからはキュートな髑髏のマークがついたハイソックスの足が伸びる。
 普段の探偵衣装からパンクファッションに切り替えたシャーロット・シームズだった。竜胆がエータローの背にサッと隠れる一方、壁代わりにされたエータローは気さくに片手を上げた。
「ようシャーロット。ドレスコードは100点だ。決まってるぜ、その衣装!」
「ふふーん。当然さ! ほらイズミも前来なって」
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
 シャーロットに手を引かれ、後ろでサングラスの位置を直していたイズミが出てくる。
 ダークチェリーカラーのペレー帽に、返り血模様のついた大きめのジャケット。少々だぼついたショートパンツにも同じく返り血模様。靴は無骨なエンジニアブーツ。エータローは下顎に手を当てた。
「ほう……イズミもサマになってるな。シャーロットのコーディネートか?」
「もちろんさ! イズミ、こういうのあんまり気にしないからねぇ……」
「い、いいじゃない別に! 私シャーロットほど可愛くないんだし!」
「はいはい、そーいうこと言わないの! 充分似合ってるし可愛いよ? ボクのお墨付きさ!」
 シャーロットが猫背気味になったイズミの背中を叩いて伸ばす。エータローはふと、腕時計に目を向けた。デジタル時計が示す時刻は『18:55』。高層ビルが並び立つ空は暗くなって久しい。
「時間もちょうどいい頃合いだな。それじゃ、取材に行くとしようぜ。……竜胆、お前もそろそろ出て来い。知り合い二人に照れてたんじゃ、店になんていられねえぞ?」
「い、いや! 照れてない! 決して照れてるんじゃないぞ!」
 エータローと背中合わせになった竜胆が早口で抗議する。腕を組んで息を吸うと、彼は芝居がかった口調で言った。
「これは精神集中をしているんだ。これから僕たちが入るのは未知の空間。普通では決して関わらないであろう闇の聖地……。生半可な心持ではいつ侵食されてもおかしくは……」
「いいから出て来い」
「のわっ!?」
 首根っこをつかまれた竜胆が無理矢理前に引きずり出された。彼の目の前にはパンクファッションでおしゃれをしたシャーロットとイズミ。竜胆は陽光を浴びたドラキュラめいたポーズをとる。
「うひっ!?」
「お、なんだー。竜胆くんもキッチリ準備してきてるじゃないか。そっちはエータローくんのコーデかな?」
「あったりめーだ。コレが最低限のドレスコードなんでな。おら竜胆、着飾って来たレディ二人に何か言うことはないのか?」
「いいいいいいやいやいやいやそんな突然!」
 竜胆が首をブンブンと振る。やがて彼は二人から顔を背け、横目でチラチラ見つつ、バツが悪そうな口調で言った。
「え、えーと、そのぅ…………き、決まっているぞ?」
「バカ」
 エータローが竜胆の頭をひっぱたく。
「あだっ!」
「それはさっき俺が言っただろうが。もっと違う褒め方しろよ」
「む、無茶を言うなよ相棒ー!」
 泣きそうな声で叫ぶ竜胆。シャーロットはイズミと顔を見合わせて苦笑すると、ぱんぱんと手を叩いた。
「はいはい、二人ともそこまで。竜胆くんが相変わらずなのはわかったし、そろそろ行こうか」
「だ、な。いつまでもこうしてるわけにもいかねえし。こっちだ」
「ちょっと相棒! 置いていくなよぉ!」
 そう言って真横へ歩き出すエータローを、慌てて竜胆が追いかける。そのあとについていきながら、イズミはシャーロットに耳打ちをした。
「ごめんね、シャーロット。付き合わせちゃって……」
「今更なに言ってるのさ。僕はコードマン。君はそのコンコード。なら、君の用事に付き合うのは当然のことさ」
「でも、夜に探偵のお仕事あるって……」
「ああ、あれか」
 シャーロットはパーカーの腹部についたポケットに両手を突っ込んだ。
「気にしなくていいよ。まさに今、その仕事中だから」
 きょとんとするイズミに、シャーロットは悪戯っぽくウインクをした。


 菱形をいくつも並べた模様のビロード張り両開き扉を開くと、そこは薄闇に色とりどりのネオンライトが飛び交う空間であった。
 鉄骨の支柱に絡みつく剥き出しの配線。天井から吊り下げられたいくつものライトが、絶えず色彩を変えながら薄暗い闇に光を投げる。左の壁にバーカウンター。右側にはソファー向い合せの六人席がいくつか。ホールには人々があふれ、最奥の壁に向かって罵声や檄を飛ばしている。
 ホール奥の壁、上部分には二つに分かれたホログラム画面。片方は青、もう片方は緑。映っているのは幾何学的な紋様が書かれたふたつの宝玉と数字。画面の下、地上には閉ざされた二つのシャッター。画面と連動した光を放つ。
「行けェ! そこだァ!」
「フラッシュ! よっしゃよくやったぁ!」
「往生際が悪ィぞぉ! とっとと負けやがれ!」
「こっちは財産かかってんだよォ! しっかりしろォ!」
 ホールに詰めかけた人々が拳を突き上げ、唾を飛ばす。その様を恐々として眺めた竜胆は肩を縮め、こそこそとホールの右壁側を歩く。その背中をエータローが引っぱたいた。
「あだッ!」
「ンな縮こまってんじゃねえよ。堂々としてろって。面倒ごとに絡まれたくなきゃあな」
「そうは言うがな、相棒……」
 竜胆が眉をハの字にしてエータローを振り返った。エータローはそんな竜胆の背をドンドンと押し、前へと進ませる。続いて歩くイズミが、きょろきょろしながら生唾を飲み込んだ。
「ここが……ダークゼノンの賭場ですか……」
「そう。数ある違法賭博のお店。ついでに、ダメージフィードバックあり。まごうことなきアンダーグラウンドの世界さ」
 どこか楽しげな声音のシャーロットが言う。
 ゼノンザードは現在、最も盛り上がるカードゲームだ。その対戦は電脳空間上で行われ、世界中で放映されるほど。
 そして、そういうものは往々にして、様々な者がビジネスに使おうとする。有名選手をイメージした商品、インタビュー記事の掲載、広告狙いのスポンサード。あるいは八百長、トトカルチョ、違法なデータやイカサマプログラムの販売。そしてダークゼノン。
「ま、ダメージフィードバックありって言っても、命までは取らないさ。ここで戦う人たちも、重要な選手だからねー。ボクに言わせれば、犯罪者なんだけど」
「あんまそういうこと言うなよー。聞きつけられたら面倒だ」
「ごめんごめん。ボクも口が滑ったよ」
 背中越しに注意され、シャーロットは曖昧な笑みで謝罪した。
 やがて四人は空いているボックス席を見つけ、男女のコンビに分かれて座る。エータローはテーブルの表面に投影されたARメニュー表を流れるように走査しながら、イズミと竜胆を交互に見やる。
「さて。ドリンクは適当に頼んでおく。酒飲ませたりしねえから、お前らは取材に集中してろ」
「う、うん」
「オーケー。スケッチ開始だ……!」
 イズミが細長い端末を取り出し、竜胆は両手の平を合わせて開く。イズミの端末からは小さなホロウィンドウが、竜胆の前にはホログラムスケッチボードが現れた。竜胆の手元を見て、シャーロットが感嘆した。
「うわー……竜胆くんのソレ、最新式じゃない? かなりお高いんじゃなかったっけ?」
「ふふん、いいだろう!」
 竜胆が得意げに腕を組み、どっかりと背もたれに背中を預けた。
「漫画王たるもの、あらゆる道具を使いこなす。使い慣れた紙とペンはもちろん、液タブペンタブ思いのままに! あらゆる媒体であらゆる漫画を読者に届ける……当然の務めだ!」
「っていうのは建前でな。これがSNSで発表されるなり画面にへばりついてクリスマスプレゼントせびるガキみてーに……」
「うぐっ……!?」
 竜胆は腕組みしたまま言葉を詰まらると、エータローの肩をつかんで激しく揺すり始めた。
「そ、そういうことを言うなぁっ! せっかく僕が漫画史に残る名言をだなぁ!」
「いいからほら、早いところスケッチ終わらせちまえよ。ノンアルだけでいつまでも居座るわけにもいかねえんだから」
「うっ……ぐっ……! お、覚えてろ!」
 悔しげな表情のままホロスケッチボードに指を走らせる竜胆を、エータローは愉快そうに笑う。そんな中、バニーガール衣装で目元をのっぺりしたサイバーサングラスで隠したウェイトレスが来て、テーブルにドリンクを並べて一例。モデルめいた足取りで去っていく。
 その背中を見送りながら、エータローは蛍光緑の液体が入ったショットグラスを持ち上げた。
「あれ、AIか? 見た目人間そっくりだが」
「だろうね。接客業に使われるタイプのやつ」
「へえ……」
 グラスを傾けるエータロー。横目でウェイトレスの背中を見つめるシャーロットの視界に、多くの情報が次々と展開される。彼女はテーブルに向き直り、スリムなジョッキを手に取った。
「当然といえば当然だけど、あれも違法改造されてるねー……。正直、見てていい気分はしないかな」
「シンパシーか?」
「……かも、ね」
 エータローの問いに、シャーロットは言葉を濁した。
 人間に代わり、様々な事業を行うために作られたAI。時にその中のほんの一握りが自我を現し、コードマンとなって人間と似た体に搭載されて世に送り出される。シャーロットの知り合いにも何人かいる。竜胆もそうだ。彼は元々コミック制作プログラムだったという。
「こういうところに来ると、改めて考えさせられるよ。ボクらはなんのために、ゼノンザードをやってるのか……ね」
「そりゃあな」
 エータローは両肘をソファの背もたれに乗せ、ダークゼノンが続くホールへ視線を投げる。観客たちの熱狂もひとしお。決着が近いのだろう。
「漫画家に、探偵に、役者に、遊園地経営に、看護婦に、警察官。カードゲームやらせたいなら、それ用のAI作ればいいものを。ま、コードマンにやらせるから意味がある……とでも言いたいのかもしれないが」
「でもそれなら、コードマンだけでやらせればいい。わざわざボクたちにコンコードを選ばせる理由は……なんだろう?」
 シャーロットは頬杖を突いた。イズミと竜胆は取材に熱中している。こちらの声は、恐らく届いていまい。シャーロットは先の発言が聞こえていないことを願いながら、エータローに問うた。
「キミはどう思う? エータロー。なんのために、ボクらがザ・ゼノンに駆り出されてるんだろう?」
「んなもんビホルダーのお偉いさんに聞け、と言いたいところだが……それで済ませちゃ作家の名折れだ。さて……」
 エータローは黙り込んだ。四人がいるボックス席は沈黙に包まれ、ホールの怒号とクラブ・ミュージックが波のように押し寄せてくる。
 やがて、観客たちは口々に歓声や悔し気な声を上げた。勝負あり。コインの滝が落ちるようなジャラジャラというサウンドが店いっぱいに響き渡る。エータローは顔を上げた。
「新人類を作る、とかどうよ」
「ふうん……? どうしてそう思うのかな?」
 シャーロットのやや挑戦的な眼差しに、エータローは帽子を目深にかぶって笑った。
「竜胆もそうだが、コードマンってのは何かしらの分野に秀でてる。本当に
コンコードが必要なのか疑わしくなるレベルでな。だが、ビホルダーのお偉いさん方は、何故かコードマンを人間と組ませる。片方だけでいいのにな」
「ほうほう。それで?」
「人間にカードゲームさせたいだけならコードマンはいらねえ。コードマンにカードゲームさせるだけなら人間はいらねえ。両方そろえたコンビに何かさせて、何かを得たいんだろう。つったら、フィクションに毒された考え方だが……例えば人間とコードマン双方の進化。どちらでもない新しい知性を作り出す。それが目的じゃないかと俺は思ったんだが……どうだ? 名探偵」
 エータローは人差し指の先で帽子の鍔を持ち上げた。今度はシャーロットが黙り込み、思考を回転させ始める。竜胆とイズミは相変わらずスケッチとメモに夢中。エータローは皮肉めいて口元を歪めた。
(どっちがどっちの相棒なんだかわかんねえな……)
 笑みを隠すべくショットグラスを手に取るが、いつの間に飲み干してしまったのか中はカラ。次の注文をするべくテーブル表面に指を置いた、その時。向かい合うエータローとシャーロットの真横に人影が立ち並んだ。
「おうおう姉ちゃん。こんなところで何やってんだァ?」
「うひっ!?」
 イズミと竜胆がびくっと肩を震わせ、恐る恐る自分の相方越しに声の方を見る。そこに立っていたのは、筋骨隆々の肉体に暗緑色のタンクトップを来たスキンヘッドの大男とその取り巻きだ。
 浅黒い肌のスキンヘッドは、岩石彫刻じみた掘りの深い顔に下卑た笑みを浮かべてシャーロットを見下ろしている。竜胆は肩を縮めると、不敵な態度のエータローに囁いた。
「お、おい、相棒……」
「ステイクールだ、竜胆」
 エータローは足を組み、暗くぎらついた目でスキンヘッドを見上げる。だが彼の注意はシャーロットとイズミの方に向けられていた。
「ケヒヒヒヒヒヒヒ! こんな隅っこでうずくまってねえでよお、真ん中来ようぜ。オレたちと一緒に遊ぼうや」
「ヒッヒッヒ! この人、さっきの賭けで大勝ちして今リッチなんだよ。とびきり美味い酒奢ってもらえるぜ? なあ!」
 取り巻きの一人がいい、男たちが喉を鳴らして笑う。しかしシャーロットは落ち着いた態度のままなんの反応も示さない。スキンヘッドが構わずシャーロットに手を伸ばした瞬間、立ち上がったエータローが割り込んだ。
「おっと、そこまでしてもらおうか」
「あァン……?」
 あからさまに不機嫌な顔をするスキンヘッド。エータローは自分よりも頭一つ分背の高い相手を、不敵な笑顔で睨み上げた。
「俺も男だ。美人にコナかけたくなる気持ちはわからんでもない。だが、こちとらダブルデートの真っ最中でね。横から人の女を取るのはやめてもらおうか。行儀が悪いぜ?」
「ケッ。ひょろくせえ青二才が、随分と吠えるじゃあねえかよ」
 スキンヘッドはエータローに顔を近づけ、至近距離でガンを飛ばす。
「だが口先だけじゃあ女は守れねえ。こっちにはカネがある。パワーもだ。お前には何がある?」
「お前をぶちのめす程度のパワーと、本物の財力があるぜ」
「なに……?」
 眉を歪めるスキンヘッド。エータローはクツクツと喉を鳴らした。
「お前の金、さっきのダークゼノンの賭博でたまたま儲けただけだろ。それもプレイヤーじゃなくて観客席で。おんぶに抱っこでもらった金を誇るとは、ちょっと品が無いんじゃないのか? ベイビー」
「テメェ……」
 スキンヘッドの表情が明らかに憤怒のそれへと変化した。後ろではイズミと竜胆が震えあがるも、幸い男たちの注意はエータローひとりに注がれている。スキンヘッドは親指で背後、ダークゼノンのステージを指差した。
「だったらダークゼノンで勝負しろや。オレが勝ったら女を頂く」
「嫌だね」
 エータローはこれ見よがしに肩をすくめる。
「お前程度の小物に賭けてたんじゃ、俺の彼女に失礼だ。それに、俺がダークゼノンしてる間、その辺の取り巻きに連れ去られないとも限らねえ。俺は女を大事にするクチでな」
「いいじゃねえか。受けてやれよ」
 スキンヘッドとその取り巻きたちが背後を振り向いた。そこに立っているのは、赤いメッシュを入れた黒髪をオールバックにした長身の青年。黒いロングコートに袖を通し、目元に赤いサングラス。レンズ越しの視線は鋭い。
 青年はスキンへッドたちの真後ろに歩み寄ると、エータローに向かって言った。
「女が不安だってんなら、オレが守っといてやる。安心しろ。オレはそこのハゲ連中の仲間じゃねえ。通りすがりだ」
 エータローとスキンヘッド、スキンヘッドの取り巻きたちが閉口する。突然話に割り込んで来た青年を前に物々しい静寂が広がる一方、シャーロットがエータローの服を引っ張った。
「ん?」
 エータローが肩越しに振り向くと、シャーロットは至極真面目な顔で頷く。イズミがシャーロットに身を寄せ、焦った表情で囁いた。
「ちょ、ちょっとシャーロット……!?」
「大丈夫だよ、イズミ」
 シャーロットは静かに言うと、男たちの隙間から青年を見やる。
「あれ、ボクの知り合いだから」
「え……そうなの?」
 二人のやりとりを見ていたエータローは、改めて青年の方に目を向けた。
 歳は二十代後半から三十代といったところ。目元はサングラスで伺えないが、口元は不穏な笑みを浮かべたままだ。サングラス越しに、二人の視線がかち合った。エータローは肩をすくめると、軽薄な口調で言った。
「チッ、仕方ねえ。そこまでお膳立てされて退いたら、それこそ男が廃るってもんだ」
「ああ?」
 スキンヘッドが振り返る。エータローはズボンのポケットに両手を突っ込み、タフな態度を見せた。
「やってやるよ、ダークゼノン。負けたらアンタの言う通りにしてやる。俺が勝ったら……そうさな。お前らの有り金全部、デート代として工面させてもらおうか」
「ケッ。ほざいてろ」
「ちょっ、おおい相棒っ!?」
 思わず席を立つ竜胆。しかしエータローはスキンヘッドと共にホールへ向かって歩き出していた。エータローは片手を挙げる。
「すぐにケリつけて戻る。俺に全額賭けてもいいぜ」
「そんなっ、お―――い!?」
 叫ぶ竜胆の前にあの青年が立ち、エータローが座っていた場所にどっかりと腰を下ろす。青年は竜胆を見上げて言った。
「座れよ。お前の相棒なんだろ? ちょっとは信用してやれって」
「なっ……お、お前っ! なんでそこに……っ!」
「まあまあ、落ち着き給え竜胆くん」
 シャーロットが足を組み、両肘をテーブルに突く。その眼差しは獲物を見つけた猛禽のように鋭く、青年を射抜いていた。
「イズミ。今朝、ボクの仕事は夜にしか出来ないと言ったよね?」
「へっ? う、うん。確かに言ってたけど……あと、今がその仕事の途中って」
「その通りだ。種明かしが遅れたが、この依頼は匿名でね。ダークゼノンの賭場を調べて来てほしいって内容だったんだ。そして依頼主は君だ。そうだろう? ランバーン・タイダル」
 シャーロットの追及を受け、青年―――コードマン、ランバーン・タイダルはニヤリと笑った。


 エータローはホール奥に設置されたシャッターへと向かいながら、周囲の観客に手を振った。観客は歩いていく二人のニューチャレンジャーを見て歓声を上げた。中には新参者のエータローをいぶかしむ者もいる。
 完全なアウェー。だが、エータローは余裕を見せた。そのままスキンヘッドに問う。
「アンタ、ここでやるのは何回目だ?」
「さあな。数え切れねえ。だが何度も勝ってる。テメェみてえなタフガイ気取りを、何度も這いつくばらせてやったぜ。何度もな」
「ほう。回数を濁すってことは、対して連勝はしてないわけだ」
 スキンヘッドの目が血走り、横目でエータローをギロリと睨む。
「調子に乗ってんじゃねえぞ、青二才……! 叩きのめしてやる」
「やってみろよマッチョマン。彼女たちにイイカッコ見せなきゃいけないんだ、あっさり負けられたんじゃこっちが困る」
「チッ。ほざいてろ」
 二人は二つならんだシャッターの前にそれぞれ立つ。ガコンと音を立てて灰色のシャッターが徐々に開いていき、隙間から青と緑の光が漏れ出した。
 背後で観客たちが野次を飛ばすのを聞きながら、二人は光の中へ踏み入る。青一色に満たされたエータローの視界に、菱形のマークで囲われたサイバーチックな字体のアルファベットが次々に現れた。
【New Callenger】
【Enter】
【Scaning...OK】
【Deck install...OK】
【Connect】
【Welcom to the DARK ZENON】
 最後に現れた文字がエータローへ突進してすり抜けると、そこは真っ暗闇の空間だった。二十メートルほど離れた位置に立つスキンヘッドと向い合せになるエータロー。二人のちょうど真ん中に青い光の波紋が広がり、その中心から光球が真上に放たれた。
 光球が遥か高空で弾け、巨大な波紋を広げていく。地面には幾何学模様が放射状に展開され、光球が放たれた場所からアスファルトの灰色で塗りつぶし始めた。
 グレーの円がエータローとスキンヘッドの足元を通り抜け、頭上には曇天が。二人を遠巻きにして傾いたり虫食い穴だらけになったりしたビル群が出現する。VR廃墟。これがゼノンザードのステージだ。
 スキンヘッドが険しい表情で握った左手を掲げる。上向きになった親指とコイン。エータローは言った。
「表」
「ならオレは裏だ」
 スキンヘッドは応え、コイントス。放物線を描いたコインは地面に投げ出され、その下に【Back Side】の表示が出た。裏だ。
 二者はギラリと目を光らせて目の前を片腕で薙ぎ払う。目前に並ぶ数枚のカード。【Motor Head VS Black Horse】【Battle Start】の文字が光った!


 数分後。竜胆たちのボックス席では。
「うおおおおおおおっ! 行け! 行け相棒っ!」
 竜胆が目の前に現れたホロウィンドウを食い入るように見つめ、握り拳を震わせてエータローを応援する。ターンはまだ序盤。しかしエータローの場に出たミニオンがしばしばスキンヘッドを攻撃し、オーブの片方を破壊。対するスキンヘッドの攻撃をマジックで丁寧にいなしていく。
 返しのターンで『「双」の鼠騎士ツイン』がさらに攻撃を重ね、手札を増強。ホールからはスキンヘッドに罵声や野次が飛ばされていた。
「おいコラハゲェ! なにボサッとしてやんだァ!」
「早く攻め込めよォ!」
「クッソ、またリファインかよ!」
「やるなあの新顔……防御が硬い。けど、何を探してるんだ?」
 罵声に混じって聞こえる感嘆の声。竜胆は得意げに笑った。
(フッ。僕の相棒を甘く見るなよ!)
「ほぉー。やるじゃねえかアイツ。タフガイ気取るだけはあるぜ」
 竜胆はムッとした顔で、横から覗き込んで来たランバーンを押しのける。ランバーンは逆らわず、からかうような笑みを浮かべて話しかけて来た。
「こりゃ、あのハゲに勝ち目はねえかもなァ。いいコンコードを持ったじゃねえか。ええ?」
「当たり前だ! この僕のコンコードだぞ? 簡単に負けるもんか!」
 竜胆は腕を組んでそっぽを向き、横目でランバーンに視線をくれる。
「君のコンコードが誰だか知らないが、こうはいかないだろう。というか、そんなことを話しに来たのか?」
「おお、剣呑だねえ。ま、そうツンケンすんなよ。同類だろ?」
 ランバーンは気を悪くした風もなく肩をすくめる。竜胆は内心気に食わないものを感じながら、シャーロットを見据えた。が、出そうとした声が詰まる。当のシャーロットはそんな竜胆を見返すと、ランバーンに問いかけた。
「それで、さっきの続きだけど。なんでボクに依頼したのかな。ここを調べろ、なんて。そんなのはキミ一人で充分可能なはずだ。それに、その気になればクロード君を引っ張り込むことだってできる。なのに、何故?」
「答えは簡単だ。あいつを引っ張り込んだからだよ」
 シャーロットの表情が鋭さを帯びた。
「……次はボクの番、ってことかい」
「そういうことだ。優秀な助手が欲しくてな。人手は多い方がいい」
「なるほど。それは納得だけど……」
 シャーロットは不安そうな面持ちで成り行きを見守るイズミに目配せ。ウィンクをしてランバーンに向き直る。
「今のボクは彼女のコードマン。二人三脚で頑張る相方を、危ないところに連れて行くつもりはそうそうないよ」
「こんな場所にノコノコ連れてきといてどの口が言う?」
「ここはまだ表層だ。キミは深淵を覗き見ている。違うかい? かなり危ない橋を渡ってるんじゃない?」
 シャーロットとランバーンは無言で視線をぶつけ合う。静かな、しかし重い空気が徐々に広がり、竜胆とイズミは気圧されて息を呑んだ。
 視線を逸らしたのはランバーン。盛り上がるホールに視線を投げる。大画面ホログラムにはエータローの切り札、暗い炎のタテガミを持つ黒馬『ブラック・フレイム』が前足を振り上げいなないていた。
「そいつが切り札か新顔の兄ちゃん!」
「もうハゲは死に体だ! ぶっ飛ばしちまえよォ!」
「行けェ! ぶちのめせェ!」


「HIHIEEEEEEEEEEEEE!」
 振り下ろされたブラック・フレイムの前脚がアスファルトを打ち砕く! エータローは二つのフォースを失ったスキンヘッドを勢いよく指差した!
「ブラック・フレイムでプレイヤーを攻撃! 双のフォース・オルトロスの効果でDPプラス1だ!」
「ッ!」
 半歩のけ反るスキンヘッドにブラック・フレイムは勢いよく飛び出した! 突進を前に、スキンヘッドは片手を突き出す!
「クソッ! 『タブーマン』でブロックだ!」
 スキンヘッドの前方、地面から飛び出した生白い手でアスファルトを左右に引き裂き、粘液塗れの人型モンスターが姿を現す! 赤い目を光らせたタブーマンはおぞましい咆哮と共に低空ジャンプ! ブラック・フレイムに跳びかかるが、黒く燃える駿馬はタブーマンをすり抜けた!
「何ィッ!?」
「無駄だ! ブラック・フレイムは自身と同じコストのミニオンでしかブロックできない!」
 頭を下げたブラック・フレイムの頭突きがスキンヘッドを吹き飛ばす!
「ごはあッ!」
 後方へ派手に吹き飛ばされたスキンヘッドは背中から地面に激突! 肺の空気を絞り出した。エータローは余裕綽々で右手人差し指を一本立てる。
「ひとつ教えておこう。俺の場にブラック・フレイムだけがいる時、コイツは相手のミニオン及びマジックの効果では選択できない。紫お得意のデストラクションじゃ、こいつは押しても引いても動かないってことだ」
「クソッ……たれがッ……!」
 スキンヘッドは憎々しげに顔を歪めながら起き上がった。ライフは残り3。エータローのフォースはオルトロス・フェニックス共に健在でライフも6。圧倒的に不利! だが立ち上がったスキンヘッドは腕を薙ぐ!
「ナメ腐ってんじゃあ、ねえぞッ!」
 さらに腕を振り下ろす! 召喚! スキンヘッドの前方に六角形の魔法陣が出現し、そこから回転球体が飛び出した! 上空まで跳ね上がったそれは冒険家風の衣装を着た骸骨だ!
「『「偽神の探索者」ジヌティーヌ』を召喚ッ!」
 空中で手足を広げたジヌティーヌは片手で帽子を押さえて華麗に着地した。そのまま黒い革靴を履いた足をバタバタと動かし、エータローのフェニックスめがけて猛然とダッシュ! 攻撃をしかける! エータロー不動!
「ジヌティーヌで攻撃!」
 スキンヘッドが叫び、ジヌティーヌは腰に吊るしていた革ムチを解いて振り上げ、金色に幾何学的な不死鳥の紋様を描いたオーブを攻める! SWIIIIIIIIP! ムチ打たれたオーブにダメージ!
 エータローは衝撃の余波で生まれた風を浴びながら笑う。
「ぬるいぜ」
「まだに決まってんだろうがよォ! ジヌティーヌの効果! 『酔いどれインプ』を破壊!」
 突如、上空から落下してきた巨大な丸岩が酒瓶を抱えた緑の小悪魔を押し潰した! 丸岩はそのまま戻ろうと振り返ったジヌティーヌへと転がっていく! 慌てたジヌティーヌはエータローのフォースへ全速力で走り出した!
「ジヌティーヌは自分のミニオンを破壊してアクティブにできる! つまりミニオンが居る限り何度でも攻撃できるってわけだァ! さらに破壊された酔いどれインプは相手のフォースにダメージを与える効果がある!」
「へえ……」
 興味ありげな顔を見せるエータローの隣、フェニックスのオーブにジヌティーヌの飛び蹴りが直撃! ジヌティーヌはフォースを足場にして斜めにジャンプして転がる巨岩を飛び越える。巨岩がフォースに追い打ち!
 CRAAASH! 甲高い音と共にフォース直上にある数字が『1』になる。スキンヘッドは腕を真横に振った!
「まだだ! もう一体の酔いどれインプを破壊してオルトロスに攻撃!」
 斜めに落下したジヌティーヌの靴裏が酔いどれインプの顔面に命中! ジヌティーヌはインプを蹴っ飛ばしてロケットじみた水平飛行でフォースに迫った! 酔いどれインプは青白い光に包まれて爆散!
「酔いどれインプの効果でフェニックスを破壊!」
「フラッシュタイミング、およびブロックタイミングはスルーだ」
 エータローがこともなげに言い、ジヌティーヌは鈍色のフォースに跳び膝蹴りを叩き込む! CRASH! 悲鳴めいたサウンドを上げるオルトロスの反対側でフェニックスのフォースが爆砕!
 反動で跳ね返ったジヌティーヌはバク宙を繰り返して華麗に着地する。遠く響く観客たちの喝采がバトルステージ内にまで響いて来た。


「ウォォォーッ! いいぞモーターヘッドォ!」
「反撃開始だ! ぶちのめしちまえぇ!」
「ハッハ! もうターンエンドかァ! 手札尽きちまったようだなぁ新参者ォ!」
 激しくうねるような熱狂。いつしかBGMはハイテンポの電子ミュージックに代わり、DJがディスクをスクラッチする音と共にボルテージを上げ始めていた。天井ではミラーボールが回転し、プリズム光でホールを照らす。
 反面、ボックス席の竜胆は青い顔で頭を抱えた。
「あわわわわわ……! 一転して不利じゃないか!」
「そうかな?」
「……え?」
 竜胆はぽかんと口を開け、対面で戦況のホロ画面を見ていたイズミに顔を向ける。イズミは真剣な眼差しを注ぎ、分析する。
「エータローくんの手札は5枚。デッキ構成からして、ジヌティーヌは攻撃させずに処理出来たんじゃないかな?」
「えっ、ええええええ!?」
 オーバーリアクションで驚く竜胆。ランバーンは険しく眉根を寄せた。
「……不味いな」
 やや余裕を減退させた声に、三人が意外そうにランバーンを見る。彼は横目で観客の熱狂を確かめながら苦々しく言った。
「お前の相棒、エンタメ精神があるのはいいんだが…………今、観客を盛り上げられるのは少し困る」
「困る? なにが困るのかな、ランバーン」
 すかさず追及するシャーロット。ランバーンは笑みの消して問い返す。
「ゼノンザードでは、負けた方から勝った方にエレメントが移る。お前ら、エレメントをなんだと思ってる?」
 三人は互いに顔を見合わせた。竜胆が応える。
「何って……ただのポイントじゃないのか? ザ・ゼノンの優勝条件で、一番多く溜めたら優勝できるっていう……」
「待って、竜胆」
 顎に片手を当てたシャーロットがストップをかける。ややうつむき気味の横顔は硬い。脳裏には、先ほどエータローと交わした会話が蘇っていた。
(……コードマンとコンコードが組んでのカードゲームで、勝利者にエレメントが移る……今、ダークゼノンで熱狂されると困る…………。カードゲームをやるだけなら、どっちか片方でいい……新人類の、想像……)
 シャーロットの頭の奥で、バチッと火花が散るような閃きが瞬いた。反射的に顔を上げた彼女は驚愕の面持ちで呟く。
「……まさか、感情? エレメントは感情をなんらかの手段でデータ化したもので、それを一点に集中させようとしている……!?」
「ほーお。この短時間でそこまで気づくか。さすがは名探偵、アイツとは大違いだ。じゃあさらに聞くが、その感情ってのは一体なんだ。何故ここでそいつが集まる」
「…………」
 シャーロットが再び黙り込む。名状しがたい不安と焦燥が心臓からジワジワと広がり体の内側を侵食していくような感触。崖の淵に立ち、底の見えない暗闇を見下ろしているかのような心境。何か、不味いのではないか。
 イズミは下唇を噛むシャーロットを心配そうに見る。付き合い始めてそれなりの期間になりつつあるが、シャーロットのこのような顔を目にしたのは初めての経験だ。イズミの中で黒い蛇が鎌首をもたげるイメージがよぎる。
 ランバーンが不気味な沈黙を破る。
「エレメントはな、狂気だ。俺たちは『奴ら』のために、ゼノンザードに熱狂する人々から狂気を集めさせられている。ここでもな」
「なっ、なんだって!?」
 竜胆が思わず立ち上がり、ランバーンに食って掛かった。彼の両肩をつかみ、激しく揺さぶる。
「そ、そんな話は聞いたことがないぞ! 奴らっていうのは誰だ! 秘密結社か何かか!?」
「いいや、秘密結社じゃあない。奴らは白昼堂々としてやがる。だが、陽の下にいるからといって、潔白かと言やぁそんなこともない。例えば、こことかがそうだ」
 ランバーンは竜胆の手をつかんで引き剥がし、視線で周囲を指し示す。つられて辺りを見回す竜胆。シャーロットはサングラスを外し、厳しく張り詰めた瞳でランバーンを真っ直ぐ見据えた。
「……大方の推理は出来たよ。キミの言いたいことも、大体わかった」
「そいつはよかった。わざわざデートに割り込んだ甲斐があったぜ」
「茶化さないでくれたまえ」
 シャーロットはランバーンの軽口を突っぱね、問いかける。
「ランバーン……キミは何を知っていて、何をしようとしているんだい」
「……魔女」
「魔女……?」
 シャーロットの瞳が揺らぐ。イズミと竜胆も目を丸くして固まる中、ランバーンは静かに燃える炎が火の粉を爆ぜさせるように口を開いた。
「俺は正義の下に動いている。悪にしか裁けない悪がある」
「ランバーン……」
「俺から言えるのはここまでだ。さて、向こうもクライマックスみたいだぜ? ……賭けなくていいのか?」


 スキンヘッドは両膝と背を曲げ、荒い息を吐きながら顎を伝う汗をぬぐった。ダークゼノンのダメージフィードバックは、見た目ほど大きなものではない。バトル中に死者が出るのは好ましくないからだ。
 しかし、だからといって無視できるほど軽くも無い。内蔵が鉛めいて重く、重いボディブローを何発か入れられたようだ。スキンヘッドは己にムチ打って背を伸ばし、腕を真横に伸ばした!
「手こずらせやがって……だがコイツで終わりだ! 行け、アリュシナシオン!」
 スキンヘッドの前に立つ三つ首の骸骨騎士が咆哮を上げた。無数の骸骨を組み合わせて赤い布を各所の巻いた鎧を鳴らし、身の丈を超える大剣を振りかぶってエータローへ突っ込んでいく! 彼のライフは残り3!
「アリュシナシオンはDP3! しかも破壊されりゃあアリュシナシオン・トークンを三体出せる! ビームスマッシャーも通用しないぜ! オレの勝ちだァァァッ!」
 凄絶な笑顔で快哉を叫ぶスキンヘッド。しかしエータローは臆した様子もなく、片手を走ってくるアリュシナシオンにかざして言った。
「お楽しみはここまでのようだな。お前の負けで幕引きだよ! フラッシュタイミング!」
 エータローの手の平から青白い六角形の光が広がった次の瞬間、彼の後方で大地が左右に割れて巨大な影がせり上がってくる! スキンヘッドが息を呑み、半歩下がった。現れたのは薄い立方体をした巨大砲台だ!
「なッ……そ、そのカードはッ……!」
「こいつは俺の隠し玉だぜ。吹き飛ばせ、『エクス=キャノン』!」
 エータローがカッと目を見開いた直後、砲台が砲口に青白いエネルギーをチャージし、ZGYAAAAAAAAAAAAAAM! 凄まじい光の奔流がアリュシナシオンを跡形もなく消し飛ばす! エータローは薄く笑った。
「アリュシナシオンは破壊された時、アリシュナオン・トークンを三体呼び出す。だがエクス=キャノンはミニオンを破壊せず除外する! よってアリシュナオンの破壊時効果は無効だ!」
「テッ……ンメェェェェェッ……!」
 スキンヘッドの目が血走り、奥歯がギリギリと歯軋りを起こす。彼のフィールドに攻撃できるミニオンはもはやなく、消費できるマナもない! 強制ターンチェンジ、エータローのターン!
「フィニッシュホールドだ。ブラック・フレイムに『弓精アキュレー』を装着!」
 最後までフィールドにただ一体残っていたブラック・フレイムが天高く吠え、轟と漆黒の炎で全身を包む! エータローは指で銃の形を作り、浅黒い肌の顔を青ざめさせるハゲを示した。
「じゃあな、楽しかったぜハゲ。これに懲りたら……」
「いっ……!」
「他人の女に手ぇ出すな!」
 BOOOOOOOOOOM! ブラック・フレイムが暗黒色の火柱を巻き上げ、火炎弾となってスキンヘッドに突撃していく! スキンヘッドにもはや守る術なし! 高速で迫りくるブラック・フレイムを前に彼は叫んだ!
「う、うおおおおおあああああああああああああああああああああッ!」
 CABOOOOOOOOOOOOOM! 黒い炎の大爆発が全方位に熱風を吹き荒れさせ、廃墟都市のビルを波にさらわれた砂の城めいて灰塵へと変えていく。


 【WINNER!】【BLACK HORSE!】
 ホールの大型ホロウィンドウに表示された文字に、ホール内の観客たちはビル全体を揺さぶるほどの大音声を上げていた。
 二つのシャッターが開き、ふらふら現れたスキンヘッドが尻餅を突く。一拍遅れて出て来たエータローは余裕の足取り。罵声や歓声を浴びせかけてくる観客に気障なポーズを決めると、エータローはスキンヘッドを見下ろす。
「と、いうわけで俺の勝ちだ。約束通り、金はもらっていくぜ」
「畜生……」
 スキンヘッドは毒づき、アグラを掻く。エータローは帽子を目深にかぶって言った。
「最後にひとつ、教えておいてやるよ。俺みたいな、予想外の活躍をして番狂わせを決める奴の事をな……」
「あン?」
 不機嫌な顔で見上げてくるスキンヘッドに、エータローはカードを突き出す。ブラック・フレイム。単騎で駆ける黒炎の駿馬。
「ダークホースって言うんだぜ」
『ウオオオオオオオオオオオオオ!』
 気取った決め台詞に観客たちが指笛を鳴らして囃し立てる。エータローは帽子を脱いで芝居がかった動きで一例すると、ステージを降りた。向かうのはもちろん、竜胆たちが待つボックス席。ランバーンが腰を上げた。
「俺の用は済んだ。始まるには至らなかったのは幸運だったな」
「は、始まるって……何がです?」
 おずおずと問いかけるイズミに、ランバーンは背を向けたまま肩をすくめるのみ。そのまま彼は無言で歩き始めた。
「じゃあな。せいぜい、夜道にゃ気を付けて帰んな」
「あっ、おい!」
 竜胆がランバーンに手を伸ばす。ランバーンはボックス席に戻るエータローとすれ違い、視線をかわし合った。エータローはランバーンを一瞥してボックス席へと戻るなり、三人に向けて言う。
「今日はお開きだ。帰るとするか」


 十数分後。真っ暗な夜空の下、目を焼くようなネオンサインとホロ広告の光を浴びながら、四人は無言で帰路についていた。シャーロットは考え事をしながら歩き、竜胆は後頭部に手を組んで不機嫌そう。
 エータローは歩くペースを落とすと、イズミに耳打ちした。
「……俺がゼノンしてる間、何があった?」
「そ、それが……」
 イズミは蚊の鳴くような声で何事か言いかけ、ホロウィンドウを開いたデバイスをエータローに手渡した。エータローは受け取り、画面を見つめる。メモ帳に加えて音声記録機能を備えたアーカイブアプリだ。
 エータローはしばらく黙ってランバーンたちの会話を聞いていたが、やがて話を聞き終えるとウィンドウを閉じてイズミに返す。彼の顔もしかめ面になっていた。
「なーるほどな……。随分とキナ臭い話じゃねえか」
「キナ臭いどころじゃないだろぉ!」
 先行く竜胆が振り返り、ツカツカとエータローに歩いて来た。明らかに怒っている相方に、エータローはハンズアップ。
「ダークゼノンやり始めた上になんか危ないところだったんだぞ!? わかってるのか相棒ッ!」
「い、いや、悪かった。俺なりにあの場を収めようとだな……」
「それはわかってる! けど、あああああああああっ!」
 竜胆は頭を両手で掻き毟る。彼なりに自分への苛立ちがあるのを察したエータローは、竜胆の肩を叩いた。数歩離れたところで、シャーロットもこちらを見ていた。エータローはおどけたように尋ねる。
「送っていくか?」
「いや、平気だよ」
 シャーロットが指を鳴らすと、すぐ隣の車道にダークグリーンのクラシックな二人乗り自動車がやってきて停止する。運転席も助手席も無人だ。エータローはその車を知っていた。
「ワトソンか。久しぶりだな」
『お久しぶりです、エータロー様、竜胆様。このたびはお二人がお世話になりました』
 車から中年の紳士めいた声が響いた。シャーロットの相棒にして車に搭載されたAI、ワトソンのものだ。シャーロットはイズミと共に車に乗り込むと、オープンカーのハンドルを握る。
「それじゃ、今日はこの辺で。夜更かしはやめたまえよ? お肌に悪いからね」
「それはイズミに言うことだろ?」
「確かに」
「ちょ、ちょっとシャーロット……!」
 クスクス笑うシャーロットの肩を困り顔のイズミが揺する。しかしシャーロットはすぐに真面目な表情になり、エータローを改めて見上げた。
「最後にひとつ、聞いていいかな」
「なんなりと」
 シャーロットの目がすっと細まる。疑念と全てを見通す探偵の目。
「今日のコレは……偶然かい?」
「…………」
 エータローは後ろ頭をガリガリと掻くと、なにごとかを答えた。
 その数日後、四人が言ったダークゼノンの賭場は瓦礫の山と化した。


 一週間後。竜胆は机の上で頬杖を突いていた。
 竜胆とエータローのシェアハウス。決して広くない部屋に、竜胆とエータローのデスクが背中合わせに配置された部屋。背後のデスクにエータローの姿は無い。
 竜胆は一人静かに、ランバーンの話に考えを巡らせる。机の上には、自分が書いたゼノンザードの漫画単行本が五冊並んでいた。スタンダードな、少年向けのカードゲーム。竜胆が空想に従いペンを走らせ作った絵空事。
(……魔女……)
 ランバーンが残した一言が引っかかる。エレメントは人々の狂気で、自分たちがそれを集めているという話。それに加え魔女。突拍子もない、それこそ漫画のような話。しかしランバーンは冗談を言うタイプに見えなかった。
(コードマンを介し、コンコードがエレメントを集めている……それが本当だとしたら、僕は……)
 エータローを相棒に選んだのは、他ならぬ竜胆だ。ビホルダーグループから提示されたリストの中から選び、共に戦う相棒としてペアを組んだ。
 だがもしそれが、何か大きな陰謀によるものだとすれば。竜胆がエータローを危険に引き込み、あるいはエータローに利用されているだけだとすれば。竜胆は曇った心持ちで天井を見上げた。
「なーにやってんだ、竜胆」
「へっ?」
 突如竜胆の額に冷感が走り、雫が落ちた。
「つめたっ!?」
 椅子から弾けるように立ち上がった竜胆は足の小指をデスクの足に打ちつける。
「ぐおっ……!?」
 竜胆は足をおさえて床に倒れ込む。その場でゴロゴロ転がる彼を、いつの間にか戻ってきていたエータローが見下ろした。
「おいおい、大丈夫か?」
「あ、相棒ッ……!」
 苦笑いしながら屈むエータロー。身を起こした竜胆は足の小指をさすりながら涙目で睨んだ。
「い、いきなり何するんだ!」
「悪かったよ。ほれ」
 エータローがペットボトルのコーラを差し出す。竜胆はそれを受け取ると、大きく溜め息を吐いた。エータローは自分の席に座りながら、自分のコーラの蓋を開ける。プシュッと小気味のいい炭酸の音。
「なんか悩み事か?」
「……まぁ、悩み事と言えば悩み事だ」
 ペットボトルの蓋を開けながらブツブツと返す。黒く泡立つ中身をラッパ飲みすると、竜胆はエータローを見やった。まぁまぁ長い付き合いになりつつあるが、今だに謎が多い相棒を。
「なあ相棒……こないだのことなんだが」
「アレのこと気にしてたのか。ま、俺も思うところはあるけどな……」
 エータローは言葉を切り、ペットボトルを逆さにしてコーラを飲み下していく。口からボトルを外し、煙草の煙を吐くようにゲップをしてから言った。
「ビホルダーのお偉方が何考えていようが、今更下りる気はねえよ。それとも、お前は棄権しちまうか?」
「僕は……」
 竜胆は物憂げな表情でうつむいた。部屋がしんと静まり返る。エータローはペットボトルをデスクに置くと、傍らの引き出しを開いて中を探った。
「絶賛お悩み中ってか。仕方ねーと言えば仕方ねーが、悩んでばっかいても解決しねえ。行動しなきゃ始まらねえのは、お前が一番わかってるだろ?」
「それは…………そうだが」
「わかっているけど割り切れない、か。そんな竜胆にプレゼントと行こう。ほら」
「ん……」
 竜胆は床にアグラをかいたまま、ちらりとエータローの方を見る。そして彼が見せてくる二枚の長い紙切れを見つけると、くわっと目を見開いて立ち上がった!
「そッ……それはぁぁぁッ!? ヨルスケ・ヨーライハのノウガクチケットぉ!? ほ、ほ、本物かぁっ!?」
「おう! しかも特等席だ! ずっと見たいって言ってただろ?」
「なっ、なっ、なっ……」
 竜胆はエータローを指差したまま、あんぐりと開けた顎をがくがくと震わせる。憂鬱もどこかに吹き飛んだ彼は、エータローに大声を放った。
「そ、それをッ! どこでッ! どうやってッ!」
「他ならぬ、ヨルスケからの依頼報酬だ。こないだ、舞台関連で色々と仕事もらってな。こなしたら金と一緒にくれたのさ。なんと今日の夕方開演! 行くだろ?」
「行くッ! 絶対に行くッ! 僕は支度してくるぞ相棒ッ!」
「あ、おい! 夕方だって! まだ昼にもなってねえだろうがよ! おーい!」
 速攻で走っていったしまった竜胆に呼びかけると、エータローはチケットをヒラヒラ振りながら笑った。
「陰謀とか、エレメントとか。関係ねえよ、相棒。お前が俺を選んだように、俺もお前を選んだんだからな。一緒に戦う運命共同体として、さ……」
 小さな呟きは、誰にも聞きとめられることなく部屋の中に消えて行った。

生活費です(切実)