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ドラゴンスレイヤー

『GRRRRRRRRAAAAAAAAAAARGH……!』
 突風めいて雄叫びが洞窟をビリビリと震動させる。どよめく後方の騎士たちを、ランスロットは静かに一喝した。
「みんな、うろたえるな。陣形を崩さず、落ち着いて進むぞ!」
 声量を絞った、しかしよく通る声。騎士たちは生唾を呑み込みながらも静まり、前傾姿勢で静かに歩く。ジータは無数の鍾乳石が生えた天井や左右の壁を注意深く観察しつつヴェインに耳打ちする。
「さっきから聞こえてくるこれ……ファフニールのですか?」
「ああ、そうだろうな。随分とご立腹みたいだ」
 緊張した面持ちで返すヴェイン。一方のジータは怪訝そうな顔で、ランスロットの肩越しに見える洞窟の闇を見た。
「でもまだ接敵してないし、結構遠くから聞こえますよね? それに怒ってるというより、苦しんでいるような……」
「苦しんでる?」
 ヴェインが目を丸くすると、双剣を握った両腕を飛び立つ寸前の鳥めいて広げたランスロットが呟く。
「もしかすると、シルフ様がファフニールの体内で抵抗なさっているのかもしれないな。だがいずれにしても気を付けろよ二人とも。手負いの獣ほど手強いからな」
 張り詰めた声音に、ジータとヴェインは頬に冷や汗を垂らす。後続の騎士たち共々、極力足音を立てないようにして歩く間、竜の咆哮が徐々に近づいてくる。洞窟内の大気がビリビリと震え、騎士たちの肌をヤスリ掛けした。
 ジータはガントレットの下で汗ばむ両手で、ハルバードの柄を握りしめる。
(ファフニール……伝説のドラゴンスレイヤーが倒した竜……)
(まだ離れてるはずなのに、すごい圧力。目の前で暴れてるみたい)
 背中からじわじわと滲み出す汗が布鎧を濡らす。心臓が少し拍動を速め、喉の水気がサッと体の奥へ引き始めた。舌の上が砂漠じみて乾き、ささくれたって砂を口に含んだかのようだ。断続的な地鳴りが足を昇る。
 やがて、先頭のランスロットが右腕を真横に薙いだ。
「全員、構えろ。近いぞ」
 ジータは僅かに身を沈め、ヴェインが斜めに背負ったハルバードの柄をつかむ。騎士たちもまた腰に帯びた長剣をつかみ、あるいは杖のように突いていた槍を少し持ち上げた。鋼線をピンと張るように騎士団の緊張が高まる。
 ランスロットは臨戦態勢に入った部下たちを尻目に、洞窟の最奥に踏み入った。広く半円形に繰り抜かれた空間内で、赤い鱗のドラゴンは天井に向かって吠える!
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAARGH!」
 ドラゴンが両前足を交互に振り下ろし、薙ぎ払うように炎を吐き出す。轟とうなりながら押し寄せる熱い風を片腕をかかげてしのいだランスロットは、鋭い目つきで竜を睨んだ。
「ファフニール……!」
 ファフニールのブレスからぱちぱちと火の粉が飛び散り、陽炎が中空を揺らめかせる。ヴェインは手袋を嵌めた手の平にじっとりと汗をにじませながら、緊迫に乾いた笑みを浮かべる。
「すげー暴れっぷりだな。腹でも痛いのか?」
「かもしれませんけど……これじゃあ近づけません」
 身をかがめてスタートダッシュの姿勢を取りつつも、ジータは険しい表情で半ば火の海と化した洞窟最奥をじっと見つめる。ファフニールは頭部を振り回して炎を撒き散らし、爪で岩盤を掻き毟る。ランスロットが身構えた。
「ヴェイン、ジータ。いつでも飛び込めるように準備しておけ。それと、後ろのみんなにも遅れないように言ってほしい」
「ランスロットさん……?」
 ジータが目を丸くしてランスロットを見やった。後方でどよめき、臆して二の足を踏む騎士たちを一瞥すると、おずおずと問いかける。
「飛び込めるようにって、何をする気なんですか?」
「俺が隙を作る」
「なっ……!」
 目を見開くジータ。ヴェインが慌てて言い募る。
「お、おいランちゃん! 隙作るったってどうやって!」
「安心してくれ、ヴェイン。みすみす死にに行くようなことはしないさ。全員無事に帰るんだからな」
 柔らかな微笑を向けられ、ヴェインは思わず言葉に詰まる。ランスロットは改めてファフニールに向き直ると、双剣の片方を握った右手を高々と掲げた。
「行くぞ! 俺に続けッ!」
 次の瞬間、ランスロットは斜めにハイジャンプ! 蒼い風めいてファフニールの頭上に躍り出、前方回転から急降下! 逆手に握った双剣を振り上げ、ファフニールの眉間に振り下ろした! 切っ先が赤い竜燐を貫通!
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAARGH!」
 ファフニールが天を仰いで絶叫! ブレスが収まり、洞窟中を舐めていた炎が掻き消え、赤く焼けた地面が露わとなった。唖然とする白竜騎士団の先頭で、柳眉を逆立てたジータがハルバードの石突で足元を打つ!
「何してるんですか! 白竜騎士団全員でファフニールを討つんです! 行きましょうッ!」
 叫ぶなり、ジータは地を蹴りファフニールへと一直線に走り込む! 低姿勢でハルバードを振りかぶる少女の背中を呆気にとられて見送る騎士たちの後方で、イザベラが檄を飛ばした。
「行けっ! 誇り高き騎士たちよ!」
 半身で片腕をファフニールへ突き出し、イザベラは振り返った騎士たちへ声高らかに言い放つ。
「指揮は私が執る。今こそ再びかの竜を鎮め、シルフ様をお助けするのだ! それともお前たちは己より一回りも小さな娘騎士に全てを押しつけ、ここで立ち竦んでいるつもりか! 騎士の誉れに従い、戦え!」
 ごくりと生唾を呑み込む騎士たち。一方でヴェインは大きく深呼吸をすると、不敵で溌剌とした笑みを浮かべてファフニールを見据えた。
「俺たちも援護するぞ! ランちゃんにばっかりいいカッコはさせないぜぇ―――ッ!」
『おおおおおおおおおおおおおっ!』
 裂帛の気勢と共に騎士たちが剣や槍を抜き、ヴェインを先頭にして走り込んでいく。一方でファフニールは長い首をしならせて頭を跳ね上げランスロットを投げ上げた! その胸元にジータが回転斬撃を仕掛ける!
「はああああああああっ!」
 ハルバードの横薙ぎ一閃がファフニールの胸と首の付け根に、CRAAAAASH! 鱗が数枚砕け飛び、竜の巨体がほんの少し後ろに下がる。ファフニールは右の爪をジータめがけて振り下ろした!
「GAAAAAAAAAARGHッ!」
「ふっ!」
 素早く後転回避するジータを見下ろしアギトを開くファフニール。喉奥に揺らめく炎の光が放たれる寸前、上下反転して天井の鍾乳石を蹴ったランスロットが垂直落下しながら錐揉み回転! 竜の後頭部を斬り刻む!
「お前の相手はこっちだ!」
 ランスロットは身をひねり、切り傷だらけになったファフニールの後頭部に蹴りを入れる! つんのめる竜を蹴飛ばして連続前方回転からファフニールの背中に着地! 首を巡らせる火竜の耳にイザベラの声が飛び込んだ!
「槍術部隊! ファフニールを取り囲め! この洞窟より先に出さず、動きを封じよ!」
『はッ!』
 白竜騎士団の槍使いたちがファフニールをぐるりと取り囲み、槍の穂先を向けて牽制! ファフニールが振りかぶった長い尾の半ばに、跳躍したヴェインが大上段に振り上げたハルバードを叩きつけに行く!
「おおっとぉ! やらせないぜぇッ!」
 横薙ぎにしなる尻尾に、ヴェインの槍矛が正面衝突! ヴェインは両腕に力を込め、ハルバードを振り切った! SMAAAAASH! 弾かれるファフニールの尾!
「ぃよっしゃあッ!」
「いいぞヴェイン!」
 ランスロットが快哉と共にファフニールの背中を駆け下り、尻尾の付け根にV字の斬撃を打ち込む! 引き裂かれる竜の肌! しかし傷口は浅い!
「GRRRRAAAAAAAAAAAAAARGH!」
 その時、全方位から突き出される槍に手足や体を穿たれたファフニールが大きく羽ばたく! 放射状の風圧に襲われ数歩後退する槍使いたち。直後、イザベラが次なる命令を飛ばす!
「槍術部隊、総員後退! 炎が来るぞ!」
 次の瞬間、騎士たちを見下ろしていたファフニールが再度の休息! アギトの奥で煌々と燃える炎が火の粉を散らし、光を一気に強める! そこへジータがハルバードをジャベリンめいて振りかぶった!
「させ、ませんッ! でやぁっ!」
 THROW! 投げ放たれたハルバードがファフニールの口腔に突っ込んだ! 出口を塞がれた竜のブレスが喉奥で爆発! BOOOOOOOOOM! 大きくのけ反ったファフニールが黒い煙をもうもうと吐き出す!
「やった!」
 ガッツポーズするジータの左右を抜剣した騎士たちが走り抜けていく。イザベラの指示だ!
「でかしたぞジータ! 白兵戦部隊! ファフニールの手足を削ぎ落せ!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
 フルフェイスヘルムに全身鎧をまとった騎士たちが四つん這いめいた姿勢でうなだれるファフニールの手足に剣を突き立てた! そちらを忌々しげな目で睨みつけつつ黒煙を咳き込むファフニール。その尾に斬りかかる二者!
「ヴェイン! 一気に尾を斬り落とすぞ!」
「おうよぉっ! やってやるぜぇッ!」
 跳び上がったランスロットとヴェインがファフニールの尻尾に刃を振りかぶる! X字を描く剣閃! 火竜の尾が根元から切断されて地に落ちた! 鮮血代わりに炎が吹き出し、竜は枯れた声で悲鳴を上げる!
「ランスロット団長がやったぞ!」
「このまま手足ももぎとってやる!」
 手足に群がっていた騎士たちが士気を上げ、素早い斬撃を繰り返す。丸太めいて太い火竜の四肢がズタズタに切り裂かれて行き、巨体を支える力が徐々に失われていく。唸り声をあげる火竜の頭上にジータが跳躍!
「でやあああああああああッ!」
 ハルバード打ち下ろしがファフニールの脳天を砕き洞窟の床に叩き伏せる! バウンドして持ち上がった頭部に、ジータはハルバードを突き刺した! 全力で槍矛を押し込み、最後の力で復帰せんとする竜を抑え込む!
「ランスロットさんっ!」
「ああわかった! これでトドメだっ!」
 ファフニールの背中を駆け上がったランスロットがジャンプし竜巻じみて回転しながらファフニールの首に斬りかかる! 蒼い斬撃が竜の首を半ばから断ち切る! イザベラは傍らに立つローブを来た四人に言った!
「封印せよ!」
『はっ!』
 ローブを来た四人は懐から古びた書を取り出し、ページを開く。本を持つ手とは逆の手をファフニールの亡骸に向け、詠唱をし始めた。槍を持つ騎士たちが首を斬られた竜を取り囲んで警戒。
「黄昏の空、夕暮れの消沈」
「炎無き天には夜を。遍く者は眠り、暗き安寧が夢路に招く」
「懐柔、馴致、膠着の鎖。無間こそが汝の褥」
「激昂焼尽、重き弊に従い水底に在れ」
 葬儀の祈りめいて静かに響く詠唱と共に、地面に浮かび上がった赤い魔法陣がファフニールの遺体を囲う。柔らかな朱色の光からランスロットと共に数歩離れたジータは、竜の身体が光に包まれていくのを目の当たりにした。
『エル・ヴァーレ・デル・レメント・ドゥン・デュエメ』
 締めの詠唱と共にファフニールの身体は眩い光を放ち、洞窟内を照らし出す。その場の全員の視界が数秒奪われたのち、光はゆっくりと収縮して消え去った。
 ファフニールの遺体は魔法陣もろとも消え去り、腹があった部分に浮かぶ影。イザベラは両手を合わせ、くしゃっと顔を歪める。
「ああ、シルフ様……!」
「ふう。息苦しかった」
 星晶獣シルフがほっと息を吐く。万が一に備えていた槍術士たちが槍の穂先を上げて片膝を突き、ランスロットが右拳を左胸に当てて会釈した。
「シルフ様。よくぞご無事で」
「うむ。そなたは……騎士団の、長だったな? それに周りの者たちも、騎士たちだ。感謝するぞ、人の子よ」
「勿体なきお言葉です」
 他の騎士たちと同じように片膝をつくランスロット。その脇を抜けたイザベラがシルフに駆け寄り、小さな手を取る。
「シルフ様、お怪我はございませんか」
「イザベラか。心配をかけた。怪我はしていない」
 イザベラは目に涙を浮かべると、肩を震わせながらうつむいた。
「よかった……本当によかった……!」
 涙声で呟いたイザベラは咳払いをして目元をぬぐうと、振り返って騎士たちを見回して告げる。
「我が国の誇り高き騎士たちよ! そなたたちの働きにより、シルフ様は救われた! フェードラッヘに生きる全ての民に代わって礼を言う! 王都に戻り次第、式典を行う! 今後さらなる働きを期待するぞ!」
 騎士たちがそろって頭を垂れて礼節を示す。同じようにしたジータは、うつむいたイザベラの口元に一瞬浮かんだ歪んだ笑みを思い返して背筋を震わせた。

生活費です(切実)