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プロローグ

 王都・フェードラッヘの門から城へと続く大通り。道の左右に並び立つ漆喰塗りの二階建て家屋群の前にごった返した人々が、口々に歓声を上げ手を叩く。
 民衆で出来た花道を進むのは、鎧を着こんだ背を伸ばして行進する騎士団である。そして、フェードラッヘに住む人々の視線は騎士団の先頭に向けられていた。
 黒い全身鎧と獰猛な怪物めいたフルフェイスの兜を着込んだ偉丈夫。背負った身の丈ほどもある大剣は禍々しい赤黒であり、兜の覗き穴から見える目は鋭い。だが民は口をそろえ、魔物じみた黒騎士を手放しに讃えるのだ。
「ジークフリート! 竜殺しの英雄!」
「フェードラッヘの誇りよ!」
「偉大なる騎士よ!」
 老若男女問わず、偉丈夫を呼ぶ。彼こそはジークフリート。フェードラッヘが擁する黒竜騎士団の長。そして彼のすぐ後ろに副団長を務める青年二人が続く。
 片や、風めいて波打つ黒髪をなびかせ、青い騎士鎧を着た細身の双剣使い。片や、炎じみた髪を後ろに撫でつけた赤い鎧のフランベルジュを持つ男。ランスロットとパーシヴァル。
 精悍な顔を不愛想に引き締めたパーシヴァルに、ランスロットは民衆たちに手を振りながら耳打ちをした。
「おいパーシヴァル。せっかく皆が出迎えてくれてるんだぞ? 笑顔のひとつでも見せたらどうだ?」
「ふん、くだらん。平民にへつらいたいなら貴様だけでへつらうがいい」
「全く……」
 前だけを見て進むパーシヴァルに、ランスロットは呆れた笑みを浮かべた。パーシヴァルの説得を諦め、先陣を歩むジークフリートに呼びかける。
「ジークフリートさんも! 皆があなたを讃えています。応えてあげるべきです!」
「むぅ……そうは言うがな」
 前を向いたまま、ジークフリートが小声で呟く。ランスロットの青い瞳は、兜で隠された彼の顔が、困った表情を浮かべているのを幻視した。
「軽く手を振るだけでいいんです。人々の声はちゃんと届いていると、そう示すだけで」
「手を振る、か。……うむ……」
 ジークフリートは難しくうなり、下げたままの右手を握っては開いた。ランスロットがもう一声かけようとした、その時。左の民衆列から、身を乗り出して行進を見ていた幼女がつまずき飛び出した。
「あっ!」
 ジークフリートの前方、石畳にうつ伏せで倒れ伏す少女。民衆たちの歓声と拍手が凍り付き、行軍が止まる。慌てて飛び出しかけたランスロットを、ジークフリートは腕を伸ばして制止し歩き出した。
「うーっ……」
 少女は呻きながらも身を起こし、ぺたんと座り込む。目端に浮かんだ涙を掌底でぬぐう彼女に、黒い影が覆い被さった。少女が顔を上げると、そこにはジークフリートは息を呑む民衆たちの前で、彼は片膝を突く。
「大丈夫か?」
「へっ?」
 ぽかんと目を丸くする少女。ジークフリートは両脇をつかんで立ち上がらせると、頭の上から剥き出しの足まで目を走らせた。
「怪我は……なさそうだな。何よりだ」
 そう言って、ジークフリートは兜の顔面に掌を当て、上にスライド。引き上げられた面頬の下から、柔らかい笑みを浮かべた優男の顔が現れた。ジークフリートは少女の、肩で切りそろえられた金髪を撫でる。
「いきなり飛び出しては危ない。皆と一緒にいろ。わかったな?」
「……うん」
「それならば良し」
 ジークフリートは立ち上がると、再び騎士団の先頭に戻って歩き始めた。大剣を背負った背中を見つめる少女に、通りがかったパーシヴァルが刺々しく言い放つ。
「おい。気を付けろ。式典の途中に怪我人が出ては、騎士を讃えるどころではなくなるからな」
「パーシヴァル! もう少し言い方をだな……」
「いいから行くぞ」
 抗議するランスロットを置いてツカツカと歩き去るパーシヴァル。ランスロットは溜め息を吐くと、屈み込んで少女と目線を合わせた。
「すまないな、君。パーシヴァルも悪い奴ではないんだ。許してやってほしい」
 少女が何か言うより早く、立ち止まっていた騎士団の中から声が飛ぶ。
「ランちゃーん! 置いてかれるぜー!」
「あ、ああ! ……それじゃ、またな」
 ランスロットは少女の頭をひと撫ですると、足早にジークフリートたちの後を追う。騎士団の行進が再び始まり、具足がガシャガシャと鳴り出した。一足先に去った騎士たちの背を見つめる少女に、近くの女性が話しかけた。
「あんた、大丈夫かい?」
 少女は覗き込んで来る女性を見上げ、頷いた。
「うん!」
「それならいいけど……騎士様たちのお邪魔をしたら駄目よ?」
 やんわりと注意され、少女は眉をハの字にして首を縮めた。すぐそばに立っていた男が顎髭をいじりながら言う。
「それにしても、素晴らしい騎士様だ。子供にも優しく、紳士的。パーシヴァル様は少し厳しいお方だったが……」
「だが、ああした姿も誇り高い。隣国の王子だと聞くが、なかなかどうして様になる」
 腰の曲がった老人が穏やかな笑みを浮かべる。一方少女の瞳は、行進ではなく遥か先に行ってしまった三騎士の背中に向けられていた。
「わたしも……」
 周りの大人たちが少女を見る。少女は夢うつつのように、呟いた。
「わたしも、あんな風になれるかな……? かっこいい騎士さまに……」
 大人たちはあたたかく笑うと、一様に頷いて見せた。
「きっとなれるさ。ランスロット様だって、元々は平民の出身なんだ」
「そうそう。黒竜騎士団は貴族的だというが、そんな中でもめげずに血の滲むような努力を重ねておられたと聞く。今やジークフリート様の片腕だ!」
「あんたもきっと、立派な騎士になれると思うわ。そうしたら、きっとフェードラッヘ初の女騎士として有名になっちゃうかもねえ!」
 大人たちの言葉はしかし、少女の耳には届いていない。
 幼い少女は―――ジータは、遠くに消えた騎士たちの背中を、たからものを見るようにじっと見つめ続けていた。


 黒竜騎士団の凱旋から数年後。フェードラッヘには色々なことが起きた。
 ジークフリートがフェードラッヘ国王ヨゼフを殺害して出奔。黒竜騎士団は解体され、ヨゼフ王の父であるカール王が王位に就く。彼の元でランスロットは白竜騎士団を再編成した。
 そして成長したジータは、白竜騎士団の門を叩いたのである。

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