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竜の王都

 フェードラッヘ城の中庭に、金属音が何度も響く。
 ランスロットは残像引く速度のジグザグダッシュで槍の連続突きをかわすと右の剣で槍の柄を打ち上げた!
「ふっ!」
「ぅあっ!?」
 槍の持ち主、黒い竜じみた鎧を着こんだジータがたたらを踏む。素早く懐に飛び込んできたランスロットにハルバードを振り下ろすがランスロットはジータの側面に移動し、喉笛に逆手の剣を突きつけた。
「ここまでだ」
 刃を突きつけられたジータは悔しげな表情で肩を落とした。ハルバードを持つ手を緩め、無念につぶやく。
「……参りました」
 ランスロットは微笑みながら構えを解き、双剣を背負った柄に滑り込ませる。そして、地面に埋まったハルバードを引っこ抜くジータの肩を軽く叩いた。
「そう気を落とすな。動きはかなりよくなったぞ」
「本当ですか?」
 ハルバードを抱えるジータの顔がぱっと明るくなった。ランスロットはしっかりとうなずいてみせる。
「ああ。これはヴェインもうかうかしていられないな。すぐに追い抜かしてしまうだろう」
「そうですか……えへへ」
 ジータは照れた顔で頬を掻く。
 二本角を生やしたドラゴンヘッド型の顔だし兜。胴回りはミニスカートのワンピースのようなデザインで、トゲつきのショルダーガード、ガントレットに腿から下を具足が守る。スカートからは金属製の尾が伸びていた。
 尾の先を揺らすジータに優しげな視線をくれたのち、ランスロットは城内に向かって歩き始めた。ジータはその後をついていく。
「ランスロットさん! 今ので思い出したんですけど、今朝はヴェインさん見てませんね?」
「ヴェインなら、昨日からアルマを配りに辺境の村まで行ってしまったらしい。俺が気づいた時にはもういなかったんだが……」
 城内の廊下を歩きながら、ジータは怪訝そうな顔をした。
「辺境の村まで? ……ヴェインさん一人でですか?」
「どうもそうらしい」
 苦笑いをするランスロット。ジータは小首を傾げる。
「大丈夫なんですか? 誰かついて行った方が……」
「俺もそう思ったんだが、その時にはもうどこかへ行ってしまってな……。誰かに追わせようとも思ったんだが、ヴェインのことだ。助太刀を送ったつもりが迷子を増やした、なんてことにもなりかねない」
「ヴェインさん、方向音痴ですもんね……」
 遠い目をするジータに、ランスロットは苦笑いを薄めて言った。
「けど、あいつは方向音痴だが腕は確かだ。そのうち平気な顔して戻ってくるさ」
「そうですね。……アルマを勝手に配ったって怒られそうですけど」
「だろうな。イザベラ様になんと擁護するべきか、今から頭が痛いよ……っと」
 ランスロットが足を止め、つられてジータも立ち止まる。行きついた場所は城の玄関ホール。大きな門扉の前に面頬付きの兜をかぶり、そろいの鎧を着た騎士が数人整列していた。騎士たちの視線がランスロットに向く。
「おお、これはランスロット団長! お勤めご苦労様です!」
『ご苦労様です!』
 騎士たちが一斉に右拳を左胸に当てて敬礼。ランスロットは柔和な表情でこれに応えた。
「ああ、お疲れ様。……慟哭の谷に行くのか?」
「ええ。イザベラ様より、シルフ様を護衛せよとの任を賜りまして。今、シルフ様をお待ちしていたところです」
「そうか。重要任務だな。気を付けてくれ」
「はっ!」
 ランスロットに受け答えしていた騎士が背を伸ばして再敬礼した。その時、広い玄関ホールにコツコツと硬い足音が鳴る。待機騎士たち、ランスロットとジータが城の奥の方を見る。回廊から、女性の声が聞こえて来た。
「皆の者! そろっておるな?」
『はっ! 出立準備、出来ております!』
 待機騎士たちが声をそろえて叫び返す。回廊の暗がりから歩み出て来たのは、左右に伸びた王臣の証である帽子を被った妖艶な女性である。
 切れ長の目はツリ目がち。腿まである黒髪をなびかせ、薄紫の法衣と白くタイトなボトムスを着こなし、手には赤い表紙の書物。フェードラッヘ王国の執政官・イザベラである。ランスロットとジータも姿勢を正す。
「これは……イザベラ様。ご機嫌麗しく」
「ランスロットか」
 イザベラは踵の高い靴を鳴らしながら、ランスロットの前までやってきた。
「斯様な所でどうした? シルフ様を見送りに来たのか?」
「いえ。偶然出くわしたので、労いをひとつ」
「そうであったか」
 得心めいて頷いたイザベラが騎士たちをちらりと見る。それからランスロットの後ろに隠れたジータを。執政官は鋭い面立ちを破顔させる。
「ふふ。部下想いの団長を得て、騎士団の皆は果報者よな。そこな娘も騎士であろう?」
「は、はいっ!」
 ジータはぴしっと背中を伸ばした。
「ランスロットさん……ええと、団長から直々に教導を授かっていました!」
「そうかそうか」
 イザベラはゆっくり、何度も頷いて見せる。
「うむ、励むが良い。なにぶん騎士団は男所帯でな。お前にも期待している。文官たちの間でも噂だぞ? 団長自ら指導する、有望な少女騎士がいるとな。無論、私も期待している」
「あ、ありがとうございます!」
 やや上がり気味になりつつ頭を下げるジータ。イザベラは柔らかく笑むと、ランスロットに目を向けた。表情は硬く、厳しいものに。
「ところでランスロット。ヴェインがアルマを勝手に持ち出し、配り歩いていると聞き及んだが」
「そのようですね。戻った折りには、良く言って聞かせます」
「頼むぞ……。アルマは不老長寿をもたらす奇跡の秘薬。国民全てに行き渡らせるのは重要だが、量産できないゆえ順序というものがある。それを勝手に変えられるのは困るのだ。……わかっておるな?」
「はい。その旨、しかとヴェインにも伝えておきます」
 ランスロットが真剣な表情で返答する。イザベラは満足そうな顔をすると、待機していた騎士たちの前へ進み出て手を叩いた。
「さて、待たせたなお前たち。聞いての通り、アルマはこの国にとってなくてはならぬもの。そしてそれはシルフ様が与えてくださる恵みである。わかっておろうな?」
『はっ!』
 鎧を打ち鳴らす騎士たち。イザベラが堂々たる立ち姿で言い放つ。
「この国はシルフ様のお恵みによって繁栄している。その身柄を一時任される栄誉と重責を全うするのだ。シルフ様をお守りし、また誰一人欠けずに再び城の敷居を跨ぐのだ」
『はっ! 我らが祖国のために!』
 騎士たちが一斉に右拳を左胸に当てて敬礼をする。やや気圧されるジータを余所に、イザベラは高い天井を仰いだ。虚空に生まれる薄桃色の光の球。球は光の帯をそよ風めいてホールに泳がせつつ、イザベラの隣に降りた。
 イザベラは光球に向き直ると、片手を胸元に当てて頭を下げる。
「シルフ様、出立の準備が整いました。ここより先は我らがフェードラッヘの騎士たちが先導致します」
「わかった。ありがとう、イザベラ」
 光球の中から響く、間延びした少女の声。桃色の光がふわりと散ったそこには、柔らかなドレスに身を包んだ小柄な少女が浮かんでいた。背中からは大きな、ガラスじみた質感の蝶の翅が生えている。ジータは呟いた。
「あれが……シルフ様」
「ん、ジータは初めて見るんだったか。そう、あれがフェードラッヘを守る星晶獣、シルフ様だ」
 ランスロットが小声で伝えた。二人が話している間に、シルフは翅を緩慢に動かしながら床から数センチ浮かんだ状態で移動する。待機していた騎士たちは頭を下げると、シルフを囲う陣を組んで出口に向かう。
 具足の足音が城を出ていくのを見送ると、イザベラはランスロットとジータの方を見た。
「それでは、私も戻るとしよう。励むのだぞ、ランスロット。ジータ」
「はっ」
「はいっ!」
 ランスロットに少し遅れて敬礼するジータ。イザベラは優雅に背を向け、元来た回廊を戻っていく。ジータはランスロットの肩越しにイザベラの後ろ姿を覗き見つつ肩を縮めて息を吐く。
「ふぅ……」
「どうした、ジータ。疲れたか?」
「ああいえっ」
 振り返るランスロットにジータは首を振って見せる。やがて少々伏し目がちになると、囁くような声で言った。
「私、なんだかイザベラさん苦手で……」
「ははは。まあ、厳しいお方ではあるからな」
 ランスロットはほんのり苦笑し、既に遠くなりつつあるイザベラの背を見やる。
「だが、あの厳しさもまた国を想えばこそだ。ヴェインもしょっちゅう怒られてるが、それだって……」
「えっと、そうじゃなくて……」
「ん?」
 控えめな否定に、ランスロットの目が丸くなる。ジータは黒いスカートの裾を所在なさげにいじりながら、歯切れ悪く告げた。
「上手く言えないんですけど……その……」
 目を泳がせ、うつむき気味にもごもごと呟くジータ。ランスロットは不思議そうに首を傾げたが、すぐに話題を切り替えた。
「まぁいい。ジータはこれから、市街の巡回だったな? 俺は書類仕事があるから、これでな」
「あ、はい! 今日はありがとうございました!」
 ランスロットは涼やかな笑みを残し、イザベラが向かった回廊へと歩を進める。ジータは頭を上げてランスロットを見送ると、速足で城の外に向かう。
 フェードラッヘ城に復活したファフニールがシルフを食ったとの報が入ったのは、それから数時間後のことだった。

生活費です(切実)