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安曇野プロジェクトはじめます

「シードペーパーを日本でつくりたい」という長年の思いが形になるかもしれません。

カードやDMなどを印刷し、
使った後は、土に埋めれば発芽して花が育つ、、、

そのコンセプトのすばらしさに魅せられ、開発元にコンタクトしたのが2008年。その後、シードペーパーを10年以上、日本で扱ってきました。「エコ」という言葉がビジネスでも使われ始めた当時、紙から発芽するインパクトが受けて、何百〜何千社という多くの企業から問い合わせをいただき、お仕事させていただきました。

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ですが、海外制作の輸入商品であるため、どうしても小回りが効かず、時間とコストがかかります。

そして当時から、これを日本の紙ゴミで制作すれば、もっと地産地消の循環になる、という思いが常にありました。

はじまりはKAMACONで

2月のある日、鎌倉で毎月開催されているカマコン(この街を愛する人を全力支援!KAMACON)で、私の主力商品である「シードペーパー」のプレゼンテーションを行いました。

カマコンとは「鎌倉で何かしたい、鎌倉の役に立ちたい」という人が、その場に集まった百人以上の参加者の前で、自分のやりたいことやお悩みのプレゼンをする会、という感じです。賛同を得たらブレストしてもらったり、名刺交換したり、有志でフォローアップ・チームを作ったりもします。プレゼンする内容は仕事とは限りません。以前参加したときも、小学校の旧講堂の建物を壊すのは反対、という学校OBの方とか、ふるさと納税を増やしたい、という市役所職員の方とか、さまざまな人がさまざまなテーマでプレゼンしており、縦割りも横割りもない、業種や立場の壁もない、すごい集まりだなあと感じたものでした。

そのころ、今後の会社の方向性をいまひとつ描けずにいたところ、カマコン発起人のひとりである本多喜久雄さんから「プレゼンしてみては?来週だけど。」と突然振られたのでした。本多さんは、次男のパパ友でもあるのですが、株式会社グローバルコーチングの代表であり、経営者向けコーチングや経営塾などを主催されています。

言葉にすると、夢ははじまる!

さてカマコンでのプレゼンテーマは、「シードペーパーを日本の古紙とタネで国産化したい」というものでした。たった5分間でしたが、会場に集まった100人近くの方に熱心に聞いていただき、たくさんのブレストアイデア応援メッセージを得たのです。このブレストアイデアをまとめた手書きの紙は今年のわたしの宝物です。なかでも「シードペーパーで各国の国旗をつくる」は、絶対オリンピックでやってみよう!と決心しました。

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そして、ボールはころがりはじめました・・・

3月上旬から、グローバルコーチングのコーチたちとオンラインの定期的な会話が始まり。。。

それは、はるか〇十年昔、東京時代に仕事していたアーティストエージェント&広告制作会社の先輩、Kちゃんとの再会です。世界中のグラフィックデザイン・イラスト・写真系クリエイターを抱え、日本での広告の仕事や展覧会などを契約するデザイン・アートの最前線、楽しい会社でした。

昨年から、香港、韓国などアジアからの問い合わせが増えてきて、「一人では手が回らない、英語で制作関係のコミュニケーションできるひとがほしい〜〜」、となっていたのですが、3月のある日、偶然にもKちゃんからメッセンジャーで連絡が。Kちゃんはフリーで活動し始めていたところ。まさに「ここにいた〜っ!」というわけです。

シードペーパーMade in 安曇野プロジェクト

そして、こちらもまた、まったくの偶然(必然か)。

4月の初め、企業からの電話もメールも減り、資料整理や企画書などの書き物で毎日を過ごしていた頃。安曇野に住む愛知県時代の幼馴染からLINEのメッセージが飛んできました。

松本と安曇野が大好きな私は、昨年何度か訪れる中で久しぶりに彼と再会していたのです。積もる話に花が咲き、私の仕事に興味をもって、その後もホームページを時々見ていたとのことでした。

彼の職業は、福祉事業所の運営です。長野県下の施設長を歴任し、昨年、過疎地域で新たにサービス事業所を始めました。ひとことで説明してしまえば「障がいのある人、何らかの理由で社会で困難を抱え休暇・離職中の人が社会復帰を目指す場所」ですが、一筋縄でいく仕事ではありません。人それぞれ、さまざまな背景があり、それぞれの得意なことや不得意なことを尊重しながら、それぞれのペースに寄り添う。そして、利用者の暮らしを支え、事業所としてはきちんと収益を得なければなりません。

彼は、重い体験を軽い口調でさらっと語る天才で、実に柔軟な頭の持ち主です。もちろん、幼馴染の気安さはありますが、昔から「話すとおもしろくて、元気が出る」、という人柄でした。

そんな彼とのLINEのやりとりで、わたしがこのプランを話すと、じつは自分のところでやりたいと思っていた、と。

私のボールは一体どこまでころがるんだろう!? 

というわけで、私もボールの行くまま走り出すことになりました。

こうして安曇野プロジェクトの種が蒔かれました。いま毎日のように安曇野側と10年先の夢を語り合っています。

果たしてどのような芽に育つのか、まだまだ行き先にはクリアしなければいけないこともたくさん、、、これからnoteで連載していきます。

ぜひみなさまのご支援をお願いします。




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