不登校体験談2
こんにちは。
Prism校長のきよこです。
私は、不登校児の母親ではありますが、不登校経験はありません。
なので、不登校当事者の気持ちはわかりません。
私と同じように不登校児の気持ちが分からず、困っている親御さんも多いのではないか?と思い、先日より、不登校を体験した方へのインタビューを始めました。
関西の有名大学に通うBさん
【不登校期間】
中学1年夏ころ〜中学2年全て
高校1年9月ころ〜高校2年6月くらいまで
<中学校で不登校になったのはなぜですか?>
中学校受験をして、進学校に入学しました。進学校では、勉強について行くのが難しくなり、私学であったことから、経済格差もありました。私の家庭はシングルマザーであったので、経済的に余裕はなく、その格差も辛いと感じました。学校では、ポジションを取るのに必死で、キャラクター作りなど色々していました。結局、ポジションが取れずに、当時流行していたYouTuberになろうと思って、学校に行かなくなりました。
<家にいる間は、何をしていましたか?>
半年くらいは、YouTubeにのめり込んだけど、飽きてしまって、それからは無気力になり、ずっとゲームをしていました。めちゃくちゃするときは、24時間やっている時もありました。週2日くらいのペースで、ゲームがめちゃくちゃ面白い時がきましたが、それ以外は、やることがないからゲームをしているという感じでした。もともとアウトドア派で、外に出るのが好きでしたが、周りの目が気になるので、外に出られませんでした。
中学3年で、地元の学校に戻り、復学しました。
<不登校になった時、お母さんはどんな反応でしたか?>
理解をしてもらえることはなかったと思います。スクールカウンセラーや、学校の先生に話に行ってました。週3回くらいは学校に行っていたと思います。母親は、結構エネルギーをとってくる存在なので、高校から、祖母の家に入り浸り、学校に通っていました。
<高校で不登校になったのななぜですか?>
高校では、頑張ろうと思って、強豪の吹奏楽部に入りました。しかし、練習が忙しく、人間関係の小さなトラブルがあり、一旦休んで頭を冷やそうと思いました。1回、不登校になっている分、そこまで葛藤なく休みました。しかし、休むとなかなか戻れなくなりました。
<不登校時代に支えてくれた人はいましたか?>
同じ不登校の仲間は支えになりました。地元学校に通っている不登校の人と仲良くなりました。お互いに、学校のポジションがわからないのがよかったです。オンライン上の友達もいましたが、それは僕にとっては、逃げ道的な存在でした。
<高校の不登校時は、何をして過ごしていましたか?>
主にゲームをしていました。中学の時の不登校仲間が、定時制の高校に行きたいと行ったので、勉強を教えたりもしていました。
<不登校仲間とは、今でも連絡とっていますか?>
いえ、いまは、とっていません。なぜ、とっていないかというと、お互いに相手に甘えてしまう傾向にあり、一緒に落ちていくという感じがあったからです。例えば、ゲームを1時間だけしようと言って始めたのに、長くしてしまうなど、お互いが甘えてしまうので、互いの節目まで会わずに過ごそうという話になりました。
<不登校中、不安はありましたか?>
中高生にとって、居場所は学校か家しかない、選択肢が自分の中にないということに焦りました。他の大勢の人が辿るルートを、自分が辿っていないことに焦りを感じていました。
<現在、志しているものはありますか?>
教師になりたいと思って、大学で教育学部に入りました。しかし、学校内では、できることが限られているので、現在は起業も視野に入れています。教師を目指す人は、学校生活にいい思い出ある人が多いと思うのですが、僕みたいに、不登校の経験を生かして、学校がしんどいと思う子供達に何かできたら嬉しいなと思っています。
<今、不登校であった自分に伝えたいことはなんですか?>
「学校は世界の全てじゃないよ!失敗してもいいからいろんなことに挑戦してみよう!」と伝えてあげないなあと思います。
貴重な体験をお話しいただきありがとうございました。
私が印象的だったのは、不登校仲間との決別を決意したことです。お互いを思い、現時点では会わないとお互いに決めるのは、勇気が必要だったことでしょうし、強い意志を感じました。
不登校である子供たちは、葛藤が多く考える時間もたくさんあることから、深く考える力が育まれる傾向にあると思います。これは、学校では育まれにくいものかもしれません。不登校という体験を、現時点ではマイナスに捉えている方も多いかもしれませんが、その体験は、必ず、誰かの役に立ち、あなたの人生を彩るものとなると思います。
ありがとうございました。
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