不登校体験談1
こんにちは。
Prism校長のきよこです。
子どもが不登校になり、
子どもも親も個人差はあっても
それぞれ葛藤をすると思います。
不登校の渦中にいるときは、
子どもも気持ちの
整理ができておらず、
思っていることを
言語化できないことが多いと思います。
そんな中で、焦りを覚えた親が、
無理やり気持ちを
聞き出そうとしてしまったり、
子どもを責めてしまったりする
こともあるのではないでしょうか?
今回は、過去に不登校の経験がある
現役大学生にお話を聞かせていただきました。
関西の有名大学に通う2回生のAさん
完全不登校歴は3ヶ月
他、週1回の休みを挟んだり、
保健室登校をしていた。
〈不登校のキッカケはなんですか?〉
中学1年の終わりにパニック障害
になったことで、行けなくなりました。
パニック障害の原因は分からず、
朝起きると急に身体がだるい、
起きられないということが起きました。
今でも、パニック障害の原因は
分からないままなのだそう。
〈そのとき、親はどのように対応しましたか?〉
親は、気持ちの問題だと言って、
行きなさいと言っていました。
病院に連れて行き、
健康であることを確認するつもりが、
パニック障害と診断がおり、
親が困惑していました。
〈完全不登校の時期と、キッカケはなんですか?〉
中学2年生の時にクラス担任ともめて、
3学期全て行かなかった。
その時に、大人を信用できないと
感じるようになりました。
担任の先生との折り合いが悪かったので、
そのときは親も不登校を容認してくれました。
〈学校に行っていないとき、何をしていましたか?〉
ずっと、家にいました。
親が共働きだったので、
一人の時間が長くありました。
テレビを見て過ごすか、
寝てることが多買ったと思います。
勉強は全然していませんでした。
勉強は嫌いではなかったけど、
する気力が全くなかったからです。
〈そのとき、何を感じていたか、覚えていますか?〉
この時期のことは全く覚えていません。
友人が当時は、急に暗くなって
やばかったと言っていました。
〈将来が不安という気持ちはありましたか?〉
未来に目を向ける余裕はなく、
毎日を生きることで精一杯だった。
先のことなんて、考えられなかった。
〈周りに言われてしんどかった言葉はなんですか?〉
「みんな、この時間は勉強しているねんで」
という言葉はしんどかったです。
言われなくても、
自分が一番よくわかっているのですから。
〈その後、大学生になるまでの経緯を教えてください。〉
私立高校に入学しました。
勉強は好きだったので、
大学に行くということに目的を定めて、
高校は頑張りました。
大学に入ってみると、
すごく自由で、中学校、高校の
生きにくさは減りました。
大学では、学びも選択でき、
頑張れば頑張った分だけ、
資格が取れたり、できることが増えます。
友人も似たような考えの人が集まってきました。
ある程度、自由であることで、
人は本質を出すことができるのだと思いました。
〈不登校や、精神的にしんどい時に救ってくれた事柄や、救ってくれた人は誰ですか?〉
肉親には、心配をかけたくなくて、
自分の辛い気持ちを
伝えることができませんでした。
学校の先生や、友人がなんとかなると
言い続けてくれたのが救いでした。
しんどい時に、必要以上に
聞いて来なくて、普段通りに、
接してくれたのが本当に嬉しかったです。
ずっと横にいてくれたのが嬉しかったです。
「今は、しんどいよね」という
共感の言葉に救われていました。
〈今の自分が、しんどかった時の自分に伝えたい言葉はなんですか?〉
「とりあえず生きてて」と伝えたい。
それくらいギリギリだったこともあります。
Aさんは、自分の不登校の経験を生かして、
学校の先生になりたいと考えているそうです。
時代の変化とともに、学びの多様性が増え、
不登校であることがマイナスであるという
考え方も少しずつ変化して行くと思います。
Aさんのお話を聞いて、周りも心配だとは
思いますが、当事者が一番しんどくて、
それでも、心配をかけたくないと思ったり、
いろいろな感情を感じているのだと思います。
ご協力いただき、ありがとうございました。
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