診療放射線技師・安藤英次先輩に独占インタビュー!③


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いまみぃ、大先輩へのインタビューに緊張…

いま:よろしくお願いします。

安藤:よろしくお願いします。

いま:私から安藤先輩にお聞きしたいことはですね。子供の頃の夢は何だったのか?どのタイミングで放射線技師になりたいと思ったのか?放射線技師を目指そうとしている学生たちに向けて『これだけはしたほうがいいよ!』っていうアドバイスなどなど…。沢山ありますが、よろしくお願いいたします!

安藤
:うんうん。私の親父はトラックの運ちゃんでね、おふくろは単なるパートのおばちゃん。あとは…よく転校したもんだから、要領の良い子だったと思うよ。医療系なんて全然興味もなかったけど、たまたま親父が十二指腸潰瘍になって。

いま:え!?それは大変でしたね…。

安藤:うん。その病院で仲良くなった放射線技師さんに勧められたらしい。退院して帰ってくるなり、親父から放射線技師になれと言われて。僕はえっ?ってなったよね。親父と同じトラック野郎になろうと思ってたから。

幼少期を振り返る安藤先輩

安藤:高校卒業したら就職するつもりやったし、勉強なんて全くしてなかった。それやのに親父から「うちの近くに放射線技師の学校できたぞ!」と言われて。また「ええ!?」って(笑)「俺、そんなに聞いてないし」って思いながら、とりあえず受けるだけ受けるというね。

いま:試験科目は、今の入学試験と同じですか?

安藤:うーん、どうやったかな。覚えてないね(笑)入学試験のあとは、高三で取得したての運転免許持って運送のアルバイトで湘南のほうに走ってたんやけど。そしたらお袋から電話が来てね。「英くん?試験結果の、補欠合格やって。辞退した人がいるから入学できるって。どうする?」って。このまま、親の運送業を継ぐかと考えてたのに、「ええっ!?」って感じよ。

いま:予想外のことばっかりですね。笑

安藤:本当にねえ。でも就職もないし、この技師学校しか受験してないし。どうしたらええのって聞いたら、親から「働きながら行きーって」の一言。そんな私が思う、『これだけはしたほうがいいよ!』のアドバイスでは、学校を卒業し免許を取得し、定年を迎えても診療放射線技師として仕事があることの喜びを体験してほしい。

いま:安藤先輩は働きながら学生生活を送られたんですね。

安藤:そう。昼間の授業が終わり、堺東夕方5時から深夜0時までは牛丼の吉野家、高速乗って深夜0時から朝3時までは奈良のスナックでバイトしてたのよ。

いま:めちゃくちゃハードですね!?

あまりのハードスケジュールに言葉を失ういまみぃ

安藤:うん。昔は、清恵会の近くに学生宿舎があってね。そこに同期の子が何人かいたから、バイト終わりの朝4時ぐらいにお邪魔して。ガーッと寝て、授業前に起きて。勉強とか宿題を友人に教えてもらってた。はじめは放射線技師になるつもり全然なかったけど、でも今では親父に感謝してるよね。十二指腸潰瘍になってくれて、ありがとうって。おかげで放射線技師になって、こんな素晴らしい賞をいただけたんやから。

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