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ヨーロッパは遠かった

 もう40年以上前の話。叔父家族がドイツのミュンヘンに住んでいた。叔父は大手電気ーメーカーのミュンヘン支部に勤めていて、息子が2人いた。私のイトコになる。ある時、祖母が「孫に会いに行く」と言い出し、なぜか私を弟が一緒に、ドイツへ行くことになった。
 なぜ、私と弟が一緒に行くことになったのかは分からない。祖母を一人で行かせたくなかったのかもしれない。とはいえ、10歳の私が同行したところで、安心材料にはならなかったと思うが。理由はともかく、私と弟はパスポートを取りに行くことになった。
 私たちが海外旅行に行くことは、学校中で話題になった。1学期の終業式を休んで行くことになったからだろう。フライトの都合上、仕方がなかったらしい。通知表は母が学校にもらいに行くことになった。学校を休んで旅行に行くことに対する印象はあまり良くないようだった。担任の先生の、私に対する接し方から、なんとなくそう感じた。まあ、時代が時代だったからね。
 当時は、ドイツは西と東に別れていた。よって私たちが行ったのは西ドイツ。冷戦時代の真っ只中、今のロシアはまだソビエトだった。ソビエトの上空を西側諸国の飛行機が飛べば撃墜されるという時代。ヨーロッパへ行くには、ロシア上空を横切るという最短ルートではなく、一度、アラスカのアンカレッジに寄って、そこからヨーロッパへ行くという長旅。
 飛行機の中で、客室乗務員の女性が、おもちゃやお菓子など、いろいろ持ってきてくれるのだが、とにかく退屈。大人の映画は面白くないし、寝るには時間が長すぎる。食事も今みたいに美味しくないし、小学生の子供が好んで食べられるものも少ない。まあ、好き嫌いが多かったのもあるのだが。。。遠い、遠い、本当に遠かった。行くだけで、本当に疲れた。
 外国に対する憧れみたいなものもあり、楽しみにしてはいたが、飛行機の中で口にしたのは、パンと牛乳とジュース。後半は乗り物酔いのような状態で、ミュンヘンに到着。迎えにきてくれた叔父のベンツでミュンヘンの叔父の家へ向かった。
 当時はベンツが高級車だなんて知らなかったが、向こうでは国産車だから、特に珍しくもない。そのころ、学校で流行っていた、ワーゲンを1日に10台見たら、いいことがある、なんてのがあった。ワーゲンもドイツでは国産車だから、そこら中で見られる。空港から叔父のアパートまで行く間に数えていたら100台以上になった。途中で面倒になって、数えるのをやめてしまった。
 こうしてミュンヘンでの1日が始まった。

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