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セピア色の夜

 「孫に会いに行く」と祖母が突然言い始めて、私と弟がついて行くことになり、西ドイツのミュンヘンへ行った時のこと。当時、私は10歳、弟は7歳の小学生。まだドイツが東西に分かれていた冷戦時代、1978年の夏休みのことである。
 到着した日の夜のこと、叔母がイトコたちの部屋に布団を敷いてくれて、みんなで雑魚寝。イトコの男の子2人と弟は、すぐに寝てしまった。私は、もともと、寝つきがよくなかったのだが、みんなの寝息が聞こえてき「寝る」意外にすることがなく、もうこれ以上寝られない、というぐらい寝たからかもしれない。
 ふと窓の方を見ると、カーテンが20センチほど開いていた。そこからテラスを通して夜空が見えていた。。。はずだったのだが。。。暗くない!夜の9時を過ぎているのに、真っ暗にならない。白夜を知らない小学生の女の子には、外が暗くないことが不思議でしかたがなかった。なぜ、こんなに明るいのだろう。なぜ、暗くないのだろう。それも、昼のように明るいわけでもない、中途半端な色。こんな色になることがあるのだろうかと、しばらくは布団の中から窓を眺めていたのだが、気になってしかたがない。布団からそっと抜け出し、窓から外を見てみた。
 外は、モノクロの写真が何年もたって色褪せたような、いわゆるセピア色だった。下の方を見ると、アパートの敷地内にある、昼間遊んだ公園のブランコが見えた。風がなかったせいか、窓の外は、そこで時間が止まってしまったような、別の時間が流れている、別の世界があるうように感じた。その曖昧な色の世界が、ただ静かに広がっていた。昼間、その公園で遊んだ時のことを思いかえしてみた。イトコたちと弟と、ブランコやジャングルジムで遊んだ。今、見ている「そこ」は、昼間遊んだ「そこ」と同じだろうか。いろんな思いが頭の中を巡っていた。無性に外に出てみたい衝動に駆られた。何かあるわけではないだろうけど、ただ、その世界に入ってみたかった。自分の目の高さで周りを見てみたかった。そこには別の世界が広がっているような気がして、ちょっと怖いという気持ちと、ワクワクする気持ちが入り混じっていた。ただ、その景色の中に入ってみたかった。その時間が止まったような空間の中で、他の場所ものぞいてみたかった。
 外に出てみる方法はないだろうかと考えてみたが、すぐに、そんな方法はないことに気がつく。まだ起きて話をしている大人たちに気づかれずに、その脇を通って、玄関から外に出るのは容易ではない。加えて、アパートはオートロックだから、一度、外に出ると、鍵を持っていなければ入れない。この部屋はアパートの3階だから、テラスから飛び降りるわけにもいかない。どう考えても、ちょっとした冒険のチャンスはなさそうだった。
 そんなことを考えながら公園を見ていたが、叔母の気配で現実に引き戻される。叔母が祖母と叔父と話しながら、こちらへ向かってくる。声がだんだん近づいてくる。慌てて、布団に潜りこんだ。暗い部屋の扉が少し開いて、リビングの明かりが差し込んできた。子供たちが寝ていることを確認すると、扉はすぐに閉じられた。
 ミュンヘン初日の夜。外国にいるというだけで、違う日常を期待していたからかもしれない。すれ違う人も、景色も全てが日本とは違うヨーロッパにいるというだけで、自分の頭の中で勝手に、ファンタジーな世界を作り出していたのかもしれない。あるいは、渡航時間が長過ぎて、ただ疲れていただけかもしれない。明る日外の景色が気になりなりながらも、いつの間にか眠っていた。
 静止画のようなセピア色の公園は、40年以上たった今でも、はっきりと覚えている。あの時、外に出たところで、何もないことは分かっているのだけれど、それでもやっぱり、外に出られなかったのは、ちょっと心残りだ。

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