新型コロナウイルスの感染拡大があぶり出した日本の状況
日本はいまどんな状況にあるのだろうか?安倍晋三首相は在位が史上最長となる一方で健康問題が取り沙汰されている。2020年のお盆の時期、いわゆる”Go To”による経済活動を優先するのか、感染拡大防止を優先するのか、政府の方針は揺れ、地域行政や個人の判断にゆだねられた。一方で、感染症の専門家は政府が言うことを聞いてくれないと憂慮している。
こうした事態にデジャヴ(既視感)を覚える。前にも見た光景、前にもあった議論や批判。つまり、日本という国は、危機的状況に直面したとき、いつも同じような対応をし、同じような結果になり、さらには、同じようにその経験を忘れてしまっているのではないだろうか?
危機になると『失敗の本質』が売れる
2020年5月24日の日本経済新聞朝刊に『失敗の本質』の広告が出た。この本は、もともと1984年5月1日にダイヤモンド社から出版され、1991年8月1日に 中央公論新社から文庫本として出版されたものである。広告には「累計89万部突破」とある。つまり、息の長さや販売数から見て、「古典」と称されるものだ。なぜいまこの本の広告が出たのか。それは、日本が危機的状況に直面するたびに、ベストセラー入りするからだ。本屋さんでは平積みにされ、Amazonの「戦略・戦術」分野でも現在1位となっている。なぜ売れるかというと、広告にもある通り、「日本的組織の致命的な欠陥」を分析しているからだ。広告には以下のように書かれているが、こうした国や各自治体や団体などの組織やリーダーに思い当たるものがあると思う。つまり、第2次世界大戦の日本軍の欠陥を、戦後75年を過ぎた日本は、いまだに抱えているのである。
ある「破綻した組織」の特徴
◎トップからの指示があいまい
◎重要なプロジェクトほど責任者不在
◎客観的なデータを「自己都合」で曲解
◎リーダーの数だけ存在する「方針」
◎可能性よりも「前例があるか」を重視
◎「原理や論理」よりも「情緒や空気」
日本の何が問題なのか
この本がこれほど読まれているのにも関わらず、なぜ日本の組織はこの本の教訓に学べず、変われていないのだろう?この本の教訓の最たるものは「過去の成功体験への過剰適応」である。日本軍は日露戦争で勝ったために、第2次世界大戦ではこの成功体験にとらわれてしまった。しかし、現在の日本はバブル崩壊からすでに30年、平成といういわゆる「失われた時代」を経ている。平成の間に、過去の成功体験を捨てられなかったのだろうか? 平成の間は、さらに失敗を重ねないために、大きな変革や挑戦もしづらかったとも言える。野中郁次郎先生は「分析過多、計画過多、コンプライアンス過多で、身動きが取れなくなった」と指摘する。すでに多くの指摘があるように、株主第一主義により四半期ごとの経営評価となって経営は近視眼的になったし、「選択と集中」の方針の下に経営戦略は二者択一的になった。ところが、上司や組織の方針や考えに忖度するようになり、モノゴトはファクトではなくさらに雰囲気や空気で決まるようになった。その背後には思い込みやステレオタイプでのものの見方もある。つまり、「過去の成功体験への過剰適応」ではなく、ホフステードが名付けた「不確実性の回避への過剰適応」である。
解決策としての知識創造理論
一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生の門下生として修業している自分としては、解決策として、あらためて知識創造理論を提示したい。知識創造理論は、1990年代に提唱された経営理論で、これも「古典」の部類だ。1990年代から2000年代にかけて「ナレッジ・マネジメント」や「ビジネス・インテリジェンス」という名称でブームになった。最近では2019年に出版された『世界標準の経営』で早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄先生が絶賛している。AI時代に入って、あらためて知識創造理論の意味や価値が認められている。その根底には「人間が持っている無限の可能性を解放する」という考え方がある。
新型コロナウイルスの感染拡大は、私達に「ニューノーマル=新しい日常」はどうあるべきか、究極的には「どういう社会や世界を創り、どのように生きたいか」という問いを突き付けている。知識創造理論を軸にして、この問いに答えて行きたい。