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フランスの風刺画を最近見ないなーっと思ってた。シャルリー・エブドのテロ事件による表現の自由の危機とヘイトの境界線とは。

おはようございます。実はわたし、B級映画やパロディ映画が割りと好きでチャーリー・シーン主演の「ホットショット」とか最近だと「キングスマン」。最高にイカしてます。

#意識低い系社長  です。

最近「風刺画」をあまり見かけなくなりました。

今日はそれについて書いていきたいと思います。


1.風刺画とは

まず、「風刺」について解説をしましょう。

個人の愚行、政治の欠陥、社会の罪悪などに対する批判や攻撃を、機知に富んだ皮肉、あざけり、あてこすりなどの形で表現した詩文。
風刺文学はまずローマで栄えたが、その代表的作家はホラチウス、ユウェナリスである 。
中世では動物譚など寓話形式の風刺物語がみられた。
18世紀は「風刺の世紀」と呼ばれ、イギリスでは詩人ポープがドライデンのあとをうけて古典的な風刺を完成させた。
しかし風刺文学の本流は散文に移り、イギリスではスウィフト、フランスではボルテールが現れた。
19世紀以後は、たとえばバイロン、G.B.ショーらにたくましい風刺精神が認められるが、伝統的な風刺文学は分散する傾向にある。
日本では特異な風刺詩として川柳や狂歌があり、広く大衆に愛好されたが、質量ともに本格的な風刺といえるものは少なかった。

(上記、コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より引用)

「風刺画」とは上記、「風刺」に基づき、絵にしたものです。
カリカチュア、とも呼ばれます。

風刺、寓意、ユーモアを内容とする絵画、記述などの総称、もしくはその表現手法。特に絵画をさすことが多い。
語源はイタリア語の caricaturaで「誇張されたもの」「ゆがめられたもの」の意。皮肉、嘲笑、寓意などを誇張して表現する。
起源は古く、古代エジプトのパピルスに擬人化された鳥獣画があり、ギリシア時代には風刺画家パウソンの名が伝わる。
日本では、古くは平安末期~鎌倉初期の『鳥獣人物戯画』、明治期に活躍した小林清親の戯画的な浮世絵などが著名。

(上記、コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より引用)

つまり、要約すると、「著名人や特定の団体、社会、国家の愚行や蛮行をユーモアのセンスで皮肉り、あざけり、みんながフフッとなるような絵」のことを指します。

2.代表的な風刺画~最近の風刺画

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日本が描かれている代表的な風刺画のひとつです。

これは日清戦争時、漁夫の利を得ようとするロシアという三国間の様子が描かれています。

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最近の風刺画ですが、トランプ大統領がとにかく多く描かれてます。やはりそこは自由の国ならではなんでしょうか。(まぁトランプ大統領自身が意に介さないってのもあるんでしょうが。)

3.シャルリー・エブドのテロ事件

シャルリー・エブド襲撃事件は、2015年1月7日にフランスの週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社にイスラム過激派テロリストが乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害した事件、およびそれに続いた一連のテロ事件です。

テロリズムに抗議し、表現の自由を訴えるデモがフランスおよび世界各地で起こり、さらに報道・表現の自由をめぐる白熱した議論へと発展しました。

事件の発端となった、シャルリー・エブドの風刺画自体は、賛否両論あるものの、行き過ぎたヘイト(憎悪)表現とはわたしは感じませんでしたが、イスラム教徒たちにとっては侮辱以外の何物でもなく、反感を買ったのは事実です。

つまり、「表現の自由」はあくまで表現する側にとっては自由ですが、受け取り手側からすると差別的であったり、ヘイトや社会倫理に反すると受け取られることもある、ということです。

4.みんながフフッと笑える世界

本来、風刺画とは、皮肉であったり、嘲笑するような絵であって、憎悪や議論を巻き起こすようなものではない、とわたしは思っています。

揶揄される側となってもフッと笑い飛ばす、揶揄する側ならハハハ!これは愉快、愉快。と笑う。

それが不寛容な世界になりつつあります。先日、「みんなの命が大事だ」と主張した母親が、BLM運動の過激派に射殺されるという痛ましい事件がありました。

もはやポリティカル・コレクトネスですらありません。憎悪が憎悪を生み、不理解と不寛容が世界を覆おうとしています。自分が正義だ、自分のやっていることは正しい、だからおまえらみんな間違ってるんだ。これは利己主義ですらありません。ただの傲慢、驕りです。

わたしは、いつかまた風刺画をみんなが寛容し、笑い合うことのできる世界であることを望みます。



ここまで読んで頂きありがとうございました。


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