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頭痛がするほどつらい過去を振り返る:執着の発見と対処

過去や未来のことは考えずに「今に集中する」のが心地よく生きるコツですが、先日、あえて、つらい過去を振り返ってみました。
べつに自分を意味なく追い込んでいるわけではなく、過去の行き詰ってしまった会話を改善するためにノートにメモしようと思ったのです。
ところが、会話の一言一言を具体的に思い返してノートにメモしていると、どうしようもなくつらい!

つらいなと思いつつ、試しに、今こう言われたらどうだろうと頭に思い描いてみたところ、頭にも腹にも強烈な衝撃を感じました(物理的に頭を打ったわけでもないのに頭痛がおきました)。おかげで自分が本当に恐れていることが、心でも体でも理解することができました。

わたしが振り返ったつらい過去というのは、人間関係に関することで、例えると次のような話です。

とても大事にしている小さな石があったとします。
子供のころに家族で旅行したときに見つけたものです。その家族は今では離れ離れになってしまいました。家族が幸せだった頃の象徴がこの石です。机の上に大切に飾っています。
ところがある日、この石がなくなってしまいます。探しましたが見つかりません。なくなった石のことを思うと、幸せだった過去を思い出し、涙が出てきます。
そこで、石の代わりに昔の写真や思い出を探し、幸せだった家族の象徴をもう一度作ります。ところが、昔の幸せだったころの家族のことを親に話したところ、子供のために幸せを装っていたんだ、実は親としてはそんなに楽しくなかったとカミングアウトされてしまいます。
それを聞いて大変なショックと苦しみを感じます。しかし、涙は出ません。

上の例え話の根底には「過去に存在した幸せな家族を求めているのに、その通りになれていない」という思いがあります。だから悲しかったり、苦しかったりしているのです。

ここで問題にしたいのは、「過去に存在した幸せな家族を求めている」というのは思いとして妥当かどうかです。

「過去に存在した幸せな家族を求めている」という思いは妥当ではありません。
というのも、まず、過去と現在とでは当然、状況が異なっているのですから過去と同じ家族になることは不可能です。またそもそも「過去の幸せな家族」は幻想だったことが親のカミングアウトから発覚しています。

「過去に存在した幸せな家族を求めている」という思いは「執着」と言い換えることができます。この「執着」が苦しさの原因です。執着は利己的な道を歩ませますが、執着を捨てることができるとみんなが幸せになる道を歩むことができます。

執着とわかったところで、どうすれば良いのでしょうか。
「過去に存在した幸せな家族を求めている」ことがわかれば、それをまずは受け入れます。そして、落ち着いたところで、この思いは妥当かどうかを自問します。妥当でないとわかれば、どう変えれば良いかを自問します。

自然と「今の状況にあった幸せな家族」ってどんなのだろう?とか、今この状態で幸せなんじゃないか?とか、いろいろと別の問いが浮かんできます。その問いに答えているうちに自ずと思いは変化していきます。

という体験をしました。

■ まとめ

以上の話から、教訓をまとめると次のようになります。

・過去への執着は非常に強く現在の自分をとらえるので気をつける
・執着にとらわれたら、とらわれていることを認める
・自分が大切に思っていることそのものが執着だと認める
・過去から離れ、今の状況でみんなが幸せになる道を探す

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