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海外移住の覚悟...ねぇ...(5/21)

実は昨日の深夜、先に朝を迎えた日本にむけて仕事のメールを打っていたところ「あっ、こいつメール送ってくるってことはまだ起きてるな?」と隙をつかれたのか電話がなった。
と言っても、国際電話になると発信者も受信者も料金が発生してしまうため、LINEを活用している。

私がSACEMの正式な会員になったため、これから日本の仕事をしていくときに著作権の管理や楽曲の使用形態、契約内容をどうしていくかという議題だった。
日本にいるエージェントは先立って渡米して活躍されている作家も担当していて、おそらくはフランスであっても同じ方法論で行けるのではないか、という一先ずの見立てに胸を撫で下ろす。

日本に嫌気がさし、海外にどうしようもなく憧れて渡仏をしたタイプの移住ではないので、これからも当然ながら日本の仕事は続けていきたいと思っている。日本にも、これからも一緒に仕事がしたい、心から尊敬している方々がいるからだ。


昔は、主に目上の、紳士淑女の諸先輩方から

「なんの覚悟もないのに海外に来たって潰されるだけだ!」

「日本の何もかもを捨ててくる覚悟がない甘い奴はこっちでは通用しない!日本の仕事は完全に止めてから来た方がいい」

などと叱咤激励されたわけだが、どれほど叱咤されたとて、それが過去の実績に基づいていたとて、どうしても説得されなくて「そうなんですかね〜」とテキトーな相槌を打ってゴースティング(出会い系アプリで"ゴースティング"ってのが流行っているらしい。先週友人から教わったフレッシュなワードだ)を常習的に行なっている。

あくまで自分の人生においては、という話になるので鵜呑みにしないで欲しいが(そんな話しかしてないか...)捨てなくていいものを先回りして捨てておくという特攻隊的メンタリティーって美しいの?というピュアな疑問がある。覚悟って、そんなドラマチックである必要ある?

今回久しぶりに海外に移住することになり、しかも身分が学生ではないので、諸先輩方にアドバイスを頂戴した。大抵が、その後 私が経験することになる事実のあまりに何倍も大変で不穏な内容を吹聴されてることに途中で気づき始め、これらはあくまで可能性の話であり、他人の人生の他人の経験談なのだという前提で聞くという姿勢に意識を変えた。他人の話なんてそれくらいが良い。参考程度。(私の日記も然り!)

むしろ先人がそういう風にピシャリと言い切ってしまうことで若い人たちが萎縮したり、迷っている人が踏み止まったりする方が勿体ない。仮に、踏み止まっておけば良かった...という結果を持ち帰ったとしても、経験が無駄なんてことは早々ない。生きている限りないだろう。下手したら、最悪 生死に関わったとしても自分で決断したことの方が尊いと私は思って生きている。

だからこそ、自分にとって最善の方法を探るために自分を知ること、知っていく中で自分が愛している人たちの存在に改めて惹かれて、それぞれに人生を謳歌しながら互いを気に掛け、尊敬し、信じること。そっちの方がよっぽど自分がピンチの時に踏ん張れる力になり、そういう人たちはいつでも味方でいてくれる。もちろん、自分も彼らの味方だ。

やたらと熱い日記になってしまったのは、日本からカープの試合中の写真を居酒屋らしき場所から送りつけてきた人と、その後なぜか長電話をしたからだろう。
パートナーや結婚まで、芸術とは、映画業界や美術業界の話まで、メラメラと心も頭も燃やしながら語り合ったのだった。

水彩画では描けないくらいボワンッとした油絵のような雲と青空に思わず目を細めていた頃に始まった会話は、唐突に雨が降り出して、雨宿りをする軒先を探し、お店の雨よけテントでは心もとなくなるほど強く本降りになった雨から逃れる必要に迫られ、更に大きな建物を探して転々とし、段々と肌寒くなってきてカーディガンを羽織り、それから次第に雲が漂白されていくように白く戻ってきて雨足が弱まり、最後には完全に止んでしまってもまだ、私たちは話していた。

私も理屈っぽい人間だが、彼はその100倍も理屈っぽく、私は根が楽観的だが、彼は根が悲観的(哲学やってた人にありがちで、だから本ばっかり読むなよと言ってしまう!)なので、我々の出口の人柄は全然違うが、会話は奇跡的に多くの同意を以てして成立している気がする。

彼との会話のあとには必ず、自分のとっている些細な行動、言動、良しとするものの判断基準、思想、仕事の仕方などを何だか振り返ることになり、それは疲れる行為でもあるのだが、自分を成長させるものでもあり、私はそれが好きだ。
散々屁理屈に似てる理屈を並べる人ではあるが、私のことを優しくて強い人間だと素直に述べると共に信頼の意を示してくれるところも好きだ。(途中から呑んでたらしいので、今頃後悔しているかも分からないが!)

昨日濱口竜介監督の作品を観ていても思ったことなのだが、私は、考えること、頭を使うことに快楽を感じるようで、頭を使っている方が疲れない。むしろ気持ちが良い。

もう少し頭が良かったなら、この特性を活かして更に社会に貢献していけたのに.....とたまに勿体無い気持ちに打ちひしがれるが、社会貢献はできる形でやっていこう。折角モノを作る仕事をしているのだから、じっくり向き合って、少しずつ成果を上げていけば良いかなと思う。

夜は近所のレバノン料理屋さんで惣菜セットみたいなのを買って食べた。ちょこっとだけポテトが食べたくて惣菜のセットにしたのに、写真のポテトはサラダに姿を変えて私のうちにやってきた。現代風のヘルシーアレンジだろうか。私はポテトが食べたかったのに....!

さて、そろそろ皆んな起きる時間かしら?
よし、ポテトの恨みが晴れるまで(日本での)仕事をしてから眠ることにしようじゃないか。

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