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人を信用することは、自分自身も努力するということ(3/26)

雨ばかりが続くねぇ。雨の中の運転はおっかないけれど、やはり車移動は楽チンだ。いつもの青葉台スタジオで、ここのところずっと作業していた音楽の録音だった。来月の早い段階で皆さんの耳に触れることになりそうだ。また告知したい。

映画音楽を中心に制作するようになって、テレビやCMの音楽オファーがかなり減った。イメージというのは如実に出るもので、同じ映画でも恋愛映画をひとつやると恋愛モノのオファーが続くようになる。仕事もうねる。それでもたまに、今日みたくテレビやCMの仕事を頂くことがあり、新鮮な気持ちで取り組めてこれはこれで楽しい。何より、映画よりも作業分量が少なくて楽勝な気分になる(録音段階での話ね)。

2015年夏のフジテレビ月曜9時の連続ドラマ「恋仲」から多くの作品を一緒に使ってきた音楽ディレクターとの現場は、とにかく賑やかで笑いに溢れている。
どのクライアントさんやエンジニアさんからも「二人は本当に仲良しですねぇ」「楽しそうですねぇ」「めちゃくちゃ笑って楽しい現場でした」と言われる。実際、異常な仲の良さだと思う。(彼の実家のご両親と、勝手にランチしてるほどだ)最初の方こそ口論になったりもしたが、車を降りるまでには必ず決着をつけてきた。やっぱり根底にはお互い好きで尊敬があり、また、役割がきっぱり分かれているのが良い。

彼は、私の作った音楽をジャッジしてきたり、(広義的な意味での)自身の欲で迫ってきたりしない。あくまで作家は私で、そこに自分の夢は上乗せしてこないのだ。
これは私にとっては重要ポイントのひとつ。本来当たり前のことだけれども、そこが徹底している人は実は数少ない。要するに、彼は自分に"ちゃんと"自信があるのだと思う。

私がたまに悩んで相談をした時には、ストレートに言葉をくれる。なんとも言えない時は、なんとも言えないことを言葉で伝えようと試みてくれる。「正直」というお面を被った自己顕示行為はあちこちにあるけれど、彼の本物の正直さは信用できる。

そして、私が不当な扱いを受けた時には一緒に怒ってくれる(なんなら、私より怒っている)から、私は自然とクールダウンして「まあ、もうちょっとやってみるよ」と腐らずに作業に戻れる。この有り難さに気づいて以来、私も他の人との関わりで、これを実行してみることにしている。

文字通り、矢面に立ってくれる人は本当に少ない。特に作家と違ってスタッフは殆ど会社員だから、矢面に立っている風の人は沢山いるけれども、ちゃんと見たら「矢面風」なのはいちいち言わないまでも、透けて見えている。

昨今のニュースで「簡単に人を信用してはいけない」ムーブが散見されるが、知った顔でそういう風に言ってる人は大抵、そもそも人のことを大して信用してこなかった人たちではなかろうか。

人を本気で信用するって、言葉では表現が難しい現象と心象が幾重にも折り重なっている状態を言うと思う。信じる方にもすごい覚悟と努力と勇気が必要だ。

ここからは、昨今のニュースの登場人物は一切関係ない私の話。(明確に私の例と分けておかないと、当事者全員に大変失礼にあたるので)

例え音楽ディレクターに裏切られても、私は後悔はしないと思う。とても、とても寂しい気持ちと悔しい気持ちにはなるかもしれない。(この場合の悔しさは、勿論、自分が裏切られる悔しさではない。)
でも、誰にも否定され得ない、何より自分が否定できない時間を共に積み重ねてきたことが事実だということを、誰よりも自分が一番よく知っているからだ。

私がフランスに行こう!と腹をくくれたのも「俺がやるから大丈夫」と曇りない目をして言ってくれたこと、でも実はその言葉以上に、これまでの行動で証明してくれた信頼の蓄積があるからだ。
そして手前味噌になるが、おそらく彼は彼で、私自身の責任においてあなたを信用します、という私の腹と、真っ直ぐな気持ちを引き受けたからだと思う。

仲の良い友人の何人かが、話題のニュースが出たこの数日間「ちょっと世武、あんたほんま気ぃつけてよ。情に深すぎるところがあるし、人が良すぎて騙されないかほんまにずっと心配やわ」とか「あのニュース見て、真っ先に世武が思い浮かんだ(笑)」とか、心配の連絡をくれたりした。(決して野球が好きだから、ではない!)

確かに私自身、自分は誰かに騙されそうな気がしなくもないけれど、意外と、本当に信用している人が入った秘密の箱は厳密にちゃんと時間をかけて管理しているし、単純に好きな人みたいな分類よりずっとずっとシビア。
わざと騙されているふりをしているわけでもないが(時と場合によるけども(笑))警戒心もそれなりにあるつもり。ただし、そういう本当に近しい友人たちが私のこの自己評価を全然"信用していない"のが心強い。

私が大好きな、優しくて正義感が強かった爺ちゃんは友人の借金が原因で1000万円をとられたり、うちの家族からも爺ちゃんは金あるみたいに言われていたり、それでも毎日コツコツ働き続けた倹約家で「ひろちゃんはお金貸したらあかんで!」とか言いながら陽気に笑って、いつも私の味方をして生きていた。家族の中で一番"信用している"人物だ。私は、みんなが爺ちゃんちに行けばお金がもらえると思っていたことに嫌悪感いっぱいで、それが本当に嫌だったから、爺ちゃんは大盤振る舞いに私に何でも買おうとしてくれた。
真面目に安月給で働いていた爺ちゃんの姿を見て何も言わなかったけど、私はいつも「(お金)要らない」と言って、家族からは良い人ぶってないでお金貰っとけと言われたりして、そういうのが懐かしい。

少し脱線したが、勿論私は騙されたくはないけれど、選択肢がないとしたらいっそ爺ちゃんみたく騙されて生きたい。

「新規で誰かまた好意寄せてきたみたいな場合は一旦私に連絡するように。ちゃんとした人か一緒に確認します!」とか「⚪︎⚪︎な事があったらまず俺に電話して。場合によっては無視しろってちゃんと言ったげるから」とか、冷静沈着で私の情の深さに心配を募らせてくれている長年の友人たちが見守ってくれているからこそ、私はこんな呑気なことが言えているのだろう。

昨日の日記で心配してくれた読者(エッセイ気取り!)の皆さま、そんなわけでどうかご安心下さい。
過去はさておき、わたくし、このように絶好調に幸せでございます!

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