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私は何故ステージで演奏したいのか(3/17)

たった二日間とは思えない濃厚な時間が終わった。私の生活ってどんなだったっけ?と記憶喪失になったかのように自然な気分で、前から住んでいたかのように溶け込んで滞在していた気がする。(実際は、何かとお世話頂きました)

最初にHPを拝見した時には、静寂の中の幻想的な場所なのかなと思っていたが、実際の「いとの森の歯科室」さんは、ちょっとした実家のような、おじいちゃんちに遊びに行ったら近所の人たちも皆んな集まってたみたいな、そういう場所だった。

主宰の原田さんが、学校以外の場所で子供たちが色んな人の生き方(主に音楽を通して)に触れられる場所を作りたいと言っていたこと。本業である歯医者さんの仕事で平日とても忙しく、夜遅い日も少なくない中で、さらに三姉妹を育てていること。音楽が本当に好きなこと。どれも綺麗事や理想論ではなく本気なんだということが、具体的にそんな話をしている時よりも、それ以外の時間の中で雄弁に語られていた気がする。

自分プレゼンの上手さが優秀さの証のように思われがちな昨今だが、その人の真髄とは、周りの人こそ証明してくれるものだと改めて思う。
とっ散らかりまくっている賑やかな三者三様三姉妹(笑)に、一度も声を荒げることもなく、年齢で分けることもなく、個の生き物として対等に自由を尊重している姿。理屈的には「そりゃそうでしょ」って話なのだが、実際にこれを体現する難易度は凄まじいものがある。サラッとやってるようで、すごいお母さんだなと思った。

言葉もとっても大切なんだけど、基本的には言葉よりも行動の方が思考に近い存在だと思っている。原田さんの様子をチラチラ見ていると、感心の連続。結構ミラクルな人だったので紹介したい人の顔が何人も思い浮かんだ。(掃除は苦手そうだったけども(笑)!)

私はというと、ろくに手伝いもせず、子供たちの輪に勝手に混ざり、今日はとことん楽しむと甘えを決め込んでいた。

「じゃがりこの何味が好き?」で盛り上がった次の瞬間の「ボブ・マーリーって知ってる?」「えー、知らなーい。」への跳躍力は、彼女たちの無敵さを物語る。
そのすぐ後に今度は、きゅうりを全員に等しく分けようとして大騒ぎしたり、誰が一番無表情でレモンを食べれるか大会をしたり、とにかく全く飽きない。私には子供がいないが、とても愛おしい気持ちで彼女たちの成長を見ていたいなと思った。「たまに便りでも頂戴よ」と言いそうになったが、欲しいなら自分が行けよ、とすぐにマトモな思考を取り戻し、またここに来ようと思った。
自分の、他人の、友人の...など関係なく子供たちにはいつまでもゲラゲラ笑い合っていて欲しい。(こんな世の中ですけど)

さて、自分の中では一応今季ラストライブということで、歌いたいものを新旧織り交ぜて自由に詰め込んだ。
ピアノの弾き語りスタイルだと基本的にはお客さんの顔は見えないが、真剣に聴いてくれているオーラとか涙ぐむ気配は、ステージという特殊状態下では皮膚を通してでもよく伝わってくるもので、そういう時に私は、誰かの肉体から溢れ出す魂を届ける代理人のような、物流センターみたいな気持ちになる。

"関係性問わず、人が、今、この場所で呼吸をして、思考をして、確かに生きている" その瞬間に私は立ち会っているのだから、これをどうしてもこの世界の記録として残したくなり、それが演奏を形作ってゆく。
音は一定の時間と共に消えて行くけれど、それが逆に「この人たちの人生を、絶対消えない尊さで刻んでやる!」という想いを煽ってくるのだ。
自分でもどこからそんな暑苦しい気持ちが湧くのかよく分からないが、前世で何かやらかした罪滅ぼしなんかがあるのかも知れない。

映画のサウンドトラックを作りながらステージで演奏し続ける重要性とはこの点にある。
私はこれからも、物流センターの人間でいたい。

自分が生きていることは本当にすごいこと。
まじで、それ、皆んなわかってるよね?全員、生きてる時点で自己肯定感よ?わかってない人、すぐに改めて!分かれ!もう、いい加減分かってくれ!!

有名とか無名とか、金持ちとか貧乏とか、全然そういうレベルの話ではない。人間の尊厳と時間だけは、生まれた時に等しく与えられているものだから。歴史は偉人のためのものじゃないよ。全員のものよ。

(暑すぎるので一旦トロピカルジュース頼みます。)

今日来て下さった皆さん、お手伝いしてくれた子供たち、原田さん、いとの森の歯科室の仲間の皆さん、ありがとうございました!


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