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真面目なお知らせです(6/2)

私は言論の自由を尊く思い、非常に重んじて生きている。昨今の偽物の言論の自由ではなく、本物のほうだ。

偽物の言論の自由とは、例えば、自分の憂さ晴らしの為に他者を攻撃する言葉、明らかに品格を欠いた罵詈雑言、個人情報の流出などが該当すると思う。なぜなら、私たちには権利があり、自由と責任は常にセットだからで、とても大切なことだと思う。

で、今日も日記を書こうと思ったんだけど、こんなお喋りな私なのに、本当に何も書く気が起こらないほど衝撃的なことが起こった。何かを書こうとすると、たちまち信じられないように呪われて、読む人を不幸にするような言葉しか出てこない。
とても、とてもショッキングで、自由を迫害されたような出来事だ。

私は誇りを持って音楽を作っている。
それが、どこかの誰かにとって「どうでもいい誇り」であっても、こういう誇りって誰にも侵害され得ないから人は生きていける。
私の場合はたまたま音楽だったが、それぞれに色々あると思う。
自分の子供だったり、真面目さだったり、毎日続けている日課だったり、友達だったり、パートナーだったり、学校のテストで一番取った過去だったり。なんでもいいのよ、自分を誇らしく思えるものならば。

だから、その大事なものを侵害されることは絶対に許せない。怒りと同じくらい、信じられないほど傷つけられた悲しさでいっぱいである。

「パリにいても、お前は日本人だろう。」
それはそうだ。でも私は、(不潔だしムカつく事も多いのだが(笑))パリを選んだ理由がちゃんとあり、ひとつには権利の主張をしても厄介だと簡単に片付けられないって事がある。みんな、自分の権利を主張する。なぜなら、それは人間たる生命線だからだ。
私なんてパリにいたら、しっかり日本人してて生やさしくて、遠慮しすぎているくらいだと思う。

で、そんな居酒屋みたいなパリと日本の比較話はさておくとして、率直に「私が何も聞かされていないので知る由もない、要するに選択すらできない大人の事情」で日記の内容を修正して欲しいなどと言われるのは、本当にあり得ない迫害行為で、文字通り、あり得ないことがあり得ていることに完全に思考が停止してしまっているというのが今日の話。

これ以上書くと、攻撃性が高すぎるものを残す事になり、私としても本望ではない。
本来、(パリの)珍道中をとても個人的な視点で自由に書くための日記だった。

「色んな選択肢と生き方があるんだな」
「 “普通”じゃなくても楽しく生きれるんだな」

そう思って笑ってもらう為に始めた日記だ。
だから、しんどい気持ちをさらにしんどくさせるような内容をぶちまけるなんて、私が一番求めていない。私が信条としている「正直さ」は、何でもかんでもぶちまける事ではないからだ。

とにかく、大人の事情を大人でロクに処理もしないで、偽物の理由で都合の悪いところを捻じ曲げられて、こちらがそれに合わせなければならないなど言語道断、完全にあり得ない。
一見好意的な理由を並べられても、結局のところ私の一語一句を監視しているだけじゃないか。そんな事くらい、人は気づくよ。

そんなわけで、毎日更新する!とどんな時でも続けてきた日記をこんな理由で中断するかも知れないのは悔しくもあるが、今の私は、自分の日記に対して、「一度好きじゃないと思った人は、もう愛せない」みたいなバリバリ乙女しちゃってる?!状態なので、日記の更新、あり方をどうしていくか、少し考えたいと思う。

毎日、寝る前の楽しみにしていたって人、ごめん。今は時差もあって朝の通勤電車のお供だった人も、ごめん。

でも私は、人のずるさが自分に向けられている時、黙って「えへへへっ」て見て見ぬふりして、その代償に自分が傷を背負うのは間違っていると思うんだ。そんなことをしてでも守りたいのは、相手が親友だとか、おじいちゃんとかだけだ。(それでだって難しいかもしれない!)

マトモな人なら全員自殺してしまいそうなほどにひどい今の社会で、それでも私たちが生きていけるのは、私にもあなたにも等しく権利があって、だからこそ小さな希望を持てるからだ。

それを、念じていてほしい。


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