人間の魅力とは/思いがけないデートウィーク(5/11)
欲しかったピアノの在庫がなかった為、あともう一週間ほど自宅に届くのを待つ。楽器が到着するまでしばらく暇だなぁと思い、その間にデートでもして楽しもうかと考えたので、早速ひとりご近所の男性と色々語らったり散歩をしたりして過ごした。
綺麗な顔立ちをしているし、ユニークなバックグラウンドに社会的な意識も高い(例えば「男らしさ」「女らしさ」という表現に敏感だったり、動物保護について積極的だったり)のだが、とにかくコミュニケーションとしての話が滅法面白くなく、「私って司会をしにきたMCなのかしら?」という具合に、ほとんど一方的に質問タイムを繰り広げていたと思う。その人の答えている内容自体は何ら違和感はないのだが、「で、君はどうなの?」とか「それで君は◯◯しているの?」とか、幾らでも文脈からできる質問はあるでしょうに!という気持ちでいっぱいになってしまった。
名残惜しそうにするので、私は仕事があるからもう帰るね、と伝えて解散したのだが、人はこれくらいの感じでも誰かと付き合ったりするのだろうか?と考えながら、少し遠回りして家まで歩いた。
何かを妥協してまで誰かと一緒にいたいという気持ちに、ずっとしっくり来ない。それは一人で気ままに曲を書いたり本を読んだり散歩することが好きなのと、いつも助けられ笑い合える素晴らしい友人が何人もいること、充分すぎるほど満たされていることが影響していると思う。
加えて「寂しい」に対する耐性が強いというか、考え方に癖があるというか.... 生きてる時点で寂しくて当たり前と思っているところがあって(逆にいうと、寂しいという感覚はちゃんと持っているわけだが)、あまり誰か特定の人を強く求めないことに繋がっている気がする。
素敵な人がこの世には何人もいるので、誰か一人を選ぶのもよく分かんないし。
ちょっとしてから、教師をしている方からメッセージがきたので会話を始めた。テンポも良いし、人の良さが随所に滲み出ており、こちらの話とあちらの話のバランスがとても良く、これこそコミュニケーションとしての会話だよなぁと思った。
思春期の学生に地理と歴史を教えているらしいが、物心ついた生徒たちって扱いが大変じゃない?と尋ねると、
「それが... 最高なんだよ!とっても気が合って彼らとは上手く言ってる。」と言う。
「正直言って僕の勤める学校は、到底恵まれているとは言えない家庭環境や経済状況の子達が多いし、全体的に成績も芳しくない。でも根は良い子が多い。暴力的ではないしね。君は作曲家で好きなことを仕事にしていて幸せだと思うけど、でもやっぱり孤独だったりストレスを抱えることは多いんじゃない?」
こんな事がサラッと言える男性は、私が知る限りあまりいない。たっぷりジョークを挟んでの会話は、明後日飲みに行こうという話で締め括られた。
「私のフランス語は文法がめちゃくちゃだから、先生から赤ペン入らないか心配だよ!大丈夫そ?」「ははは!厳しめに言っても、もっと、もっと、もっっっと文法が酷い生徒を沢山見ているからね。いちいち訂正する事すら忘れてたよ!でも君のちょっとしたアクセント、素敵だと思うよ。」
私の文法の間違いを”アクセント”という辺りからも、とにかく人の良さに溢れており、こういう人はそのピュアネスとポジティヴィティーを他人に与えられる人なのだろうなと思った。
将来的に日本との二拠点生活がしたいのでできれば日本人と知り合いたいところだが、良い出会いもあるもんだ。楽器がすぐに届かなかった運命にも軽く会釈して、最近の寝不足で気絶しそうになりながら、本日も一日お疲れ様でした!
それにしても、天気が良いとパリも暑いね。
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