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同情心が強い自分の在り方に悩む(5/8)

「世武はさぁ、情とか優しさが滲み出ちゃってるから変な人が寄ってきてしまうんだろうけど、本当にいい加減、違和感持った時点でそんな人たち切り捨てていかないと。自分のこと大切にしてくれない人に自分の時間無駄にしてどうするの?どう考えたって相当忙しいのに、暇人ならまだしもさ!」

意義を申し立てられながら、肯定しながら、いつも励ましてくれる心の支えのような友人が何人かいるのだが、今回は立っているのも辛い体調不良の私のメソメソとした泣き言に付き合ってくれて、しっかりと愛情のこもったトーンで叱咤激励を受けていた。
(他にも、パリで信用できる町医者を教えてくれたA君や、広島から心配の声をくれるHさん、もはや近所に居たら良いのになぁって思っているくらいのKちゃんもMくんもEさんもKくんもTさんも本当にありがとう!)

私はどちらかというと人情深い性格だと思うのだが、軽蔑されそうなことを正直に打ち明けると、その中でも、同情心が強いタイプだと思う。

すぐに人に同情してしまう。友達が少なかったり、人とうまく付き合って行けなかったり、嫌われている人を見ると。そのことに気づいてなかったり、突っ張ったりしてる人を見ると。
(私が同情するのはそういう人たちで、いわゆる社会的に « 同情されやすい » 肩書の人たちを無条件的に同情している話ではないです。書いているだけで悍ましいが)

それが自分と母との関係性をより複雑にしてしまった原因でもあると思っている。
何故なら人は、しかもその類の人なら尚更”自分が同情されている”と気づくとプライドが傷つくからであり、こちらがそこに配慮したとて、鋭い相手には勘づかれる瞬間が絶対に訪れるからだ。そういう時の相手の攻撃性は、おそらく本人は気づいていないが相当な殺傷力を伴って現れる。必殺一撃というより鈍痛パンチのような感じ。(こちらの心が折れかけているから感じる強さかも知れないが)

うちの母も自分の感情には敏感な人なので、自分にまつわる事であれば勘づくのが早いし、そして私は人が何かに勘付いた瞬間や感情の動きを即座にキャッチできる謎の能力がある。(これ、まじで自分の人生に要らんかったなぁ)

私が定期的に疲弊してしまったり、いわゆる友人たちから指摘される「世武には変なやつがすぐ寄ってくる」現象のヒントはここにあると思う。というか、そんなのはとっくに分かっているのだが、実践が難しい。
実際に「世武さんなら何言っても許してくれそう」と言われたりした事が何度もあるが、「何を言っても許してくれる世界」なんていうのは存在しない。

「この人は孤独で寂しい人なんかなぁ」という同情により両手を広げてしまうのだが、これはある意味で、私は私で優しいのではなく失礼なのかもしれなくて、迷う度に落ち込む。辛い時に本音が言える友人がいない事が寂しいかどうか、そんなのわからないのに。
世の中には本気で「この世はバカばっかりだから、自分には友人なんて必要ない。あいつらは全員不幸、自分は優れている。自分はそれで幸せだ。」と思っている人もきっといるのだろう。それを、強がっているだけで本当は寂しいのではないか?自分が何者でもないことに本当は気づいているのに、強がってしまっているだけなのではないか?などと勝手に同情しているが、それは単なる私の予測でしかない。

(前にも書いたが、人の幸せや不幸を勝手に決めつけるのはとても失礼な行為なので)

理屈で言うとそれがわかっているのに、なかなか変えられない。(自分で分かっていながら素直に告白しているので、あまりバッシングしないでください(涙))

私の周りの友人たちは、わりと序盤で「世武、その人やめとけ」と警鐘を鳴らしてくれるのだが、「でもこういう良いところもあって....」なんて説明して呆れられる。しばらく経って、何度か違和感を持つ中で徐々に「ああ、この人が嫌われる理由がよく分かる」という苦虫タームに差し掛かり、それでも何とか良いところを見て...なんて考えているうちに大抵複合的な理由もあって体調不良で故障選手入りを果たしてしまうお馴染みのパターンだ。

私はメンタルがわりと強めで自分でエネルギーを作って放出するタイプなので、だいたい身体が教えてくれるまで気概で持ち堪えられてしまう。体調不良という形でSOSがやってきた時、思っているより自分はしんどかったんだなぁと初めて気づくわけだ。

「もう、あんたほんまいい加減にしいや!世武が本当に近寄りたい人以外とはもう距離置いて!」と長年の友人からさっき連絡があった。この年で叱られるなんて本当に恵まれているが、私も本当にいい加減にしたい(笑)
友人に甘えている場合ではない。

しかし「同情心」について、元気になったらもうちょっと考えてみたいなと思う。
自分の本心に誓って、相手を見下している気持ちはない。本当に文字通り、とても寂しい人に見えてしまって、それを救える人がいないのなら私が少しでも救えないだろうか... そう思ってしまうのだ。

こうやって文字におこしてみると、自分に対する傲りってやつに思えてきたぞ。自分が人を救えるかもとは、何様感が拭えない(笑)。
まあ、傲っているつもりはないんだけど、矛盾していて苦しい。

色んな人がお手上げしてきたんだから、そんな易々と自分にその役割が果たせるわけがない。冷静に考えたら分かる話だ。

しんどい時に考えてもネガティブな方向にいきそうなので、今日は処方された薬を飲んで大人しくしていようと思う。

ボンヌニュイ!

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