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寂しいって気持ちになった(5/2)

なんだか急にリアリティが増してきて(今かよ!)、さきほど突然すごく寂しい気持ちになる。大好きな人と(物理的に)距離が遠くなるのはやっぱり寂しいものなんだな。知っている事なのにいつもすぐ忘れるので、数日前に観た映画を思い出すみたいに「そうだよな」と思った。

思えばVISAの申請をした時もそうだった。勿論それなりに意を決して計画して準備したのだが、「パリに住んだら楽しそう!VISA欲しいかも!」と思ったのは、申請してから数週間が経過した頃。あんなに大変な思いをしてVISAを申請したものの、モチベーションはそこまで高くなかった気もする。フランスでしかできない、とか、パリにどうしようもなく憧れて、とかではなく、あくまで仕事のステップアップとして総合点的なチョイスなのだから致し方ない。

私はとにかく行動に移すスピードが本当に速い。引き換えに、度々自分の心が置いていかれて、後からハッと気づく事も少なくない。だからと言って撤回する事も殆どないのだが(飽きた時は別ね)、心は当事者でも脳みそはいつもどこか他人事で、「今、あなたは寂しいんだ」って見ている人と、実際に思い感じる人はそれぞれ別に存在している感じ。あまりうまく描写ができないんだけど。

今日は「寂しい」という当事者からの声を初めて聞いて「そうなんだ、寂しいのね。気持ちは分かりました。」と声に出さずに相槌を打った。してやれる事は何もないけれど、この声を聞いた事が大切だ。

夜は、渡仏前に会えたら良いなぁと淡く考えていた二人に合流して、2割くらい(主に男性側の)惚気を見物し、8割くらいは仕事に関してかなりディープに話し込んだ。私はシラフだが彼はベロベロに酔っ払っていたのでおそらく何も響いていない(もしくは覚えていない)だろうが、彼の悩みには真剣なものを感じたので、手加減も遠慮もせずに小難しい話を滔々とさせてもらった。

全く業種の違う仕事をしている彼女が、終盤つまらない気持ちになっていないか不安になり、何度もそんな質問をした。平気だと言っていたが、まあ大体の人は「そうなんですよー!ぶっちゃけつまんないっすね!」と言わないだろう。こういう時って人はどうやって空間を構築しているのだろうか。

これが音楽ならば、弦をどう配置し、木管を、打楽器を、ピアノをどう鳴らせばそれぞれが共鳴していくのか明確だったりするが、こと人間になると そうは行かない。特に私は、<一> 対 <複数> のコミュニケーションを積極的に選んでは生きていない為、平等に二人(以上)の顔を見るための時間配分を考えながら話したり、誰か置いてきぼりになっていないかを気にしたり、話している当人はもちろん、その時に話していない人の表情も見逃さずに気持ちを汲み取ろうとしたり、とにかく色んなことを同時に考えている。

不可能なのは承知だが、どうしても、何とか平等な状態を作り出そうという気持ちが働いてしまうようだ。

色んなことをこねくり回したが、
「幸せそうなカップルを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくるので好き」というシンプルさに尽きる。そんな殆どの人が理解できる箱の中に無数の思考が詰め込まれて、持ち上げると鉛のような重さでびっくりさせてしまうのが私という人間だ。

「要するに」と、一言で完結させられる一輪挿しのような気持ちを、これだけの枝葉をつけてテングシデのように日々吐き出して、まるでエンドレス哲学、エンドレスお喋りなフランス人のようじゃない?

今日は寂しいかも知れないけどさ。フランスでも頑張ってこいよ、世武!

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