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時代のヒント(1) MIGHTY HARAJUKU PROJECT

遡ること9年前。

今だからこそ改めて、当時自分たちが原宿で行なったプロジェクトを振り返っておこうと思う。

なぜなら、あの時、世界中のカラフルな子たちに見た"強さ"や"希望のようなもの"は、この先もきっと変わらないはずだから。

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2011.3.11.東日本大震災

原宿で大きな地震を体験した自分は、東北が大変なことになっているのを聞いて、すぐにでも被災地に飛んで行ってボランティア活動をしようと思っていた。

しかし、ボランティアの経験も災害の知識もないのに現地に行っても、逆に迷惑になると周りの皆に止められてしまった。

気持ちはあっても何もできないのか... 。

原宿のにぎやかな街からは、外国人を始め、日に日に人が消えていくのを目の当たりにしながら、何もできない状況にやきもきしていた。
(節電で街の明かりが真っ暗になったり、コンビニから物がなくなったりしてたのを憶えている人も多いのでは?)

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この状況で、いち早く連絡をくれたのは、パリやLAなどの海外の友人や6%DOKIDOKIのファンたちだった。

外国から見ると震源地である東北と東京の距離感はよくわからないらしく、情報も錯綜していて、もしかして東京も大変なことになっているんじゃないかと心配してくれてのことだった。

続けて、海外の大手メディアからの取材も入った。

「日本のポップカルチャーはこの先どうなっていくのか?震災とともに勢いを失ってしまうのではないか?」

そんなストレートな質問を投げかけられたりもした。
世界の人たちもメディアも、「原宿」も「日本のポップカルチャー」も、ひょっとしたらこのまま終わってしまうと思っていたのだ。

そこでようやく気づいた。

自分が今やるべきことは、ここ原宿からメッセージを発信することだ。
原宿は元気でこれからも新しいものを生み出していく街だと伝えなくてはいけない。
被災地に行かずとも、それはめぐりめぐって何かの助けになることができるはずだ。

そうやって、立ち上げたのが「MIGHTY HARAJUKU PROJECT」だった。

震災の3日後である3/14に日本語と英語の両方でブログに宣言文を掲載した。(当時の宣言文)以下、当時の文章から↓

「世界から見て、原宿は憧れの場所です。
原宿は、つねに面白いコンテンツを先鋭的な角度から発信する日本が誇る稀有なエリア。この原宿に、パワーがなくなってしまうと、東京、日本ならではの魅力が半減してしまうに違いありません。

震災のダメージによって、からっぽの器だけの“原宿”に、東京に、そして、日本に・・・なってほしく無いのです。…中略

この一連の活動を【MIGHTY HARAJUKU PROJECT】(強い原宿計画)と名付け、 原宿のほんの些細な日常を、「写真」と「簡単な文章」で、世界に向けて発信していきます。良くも悪くも、ここから立ち上がっていく原宿のリアリティを伝えたいと思います。」(当時の文章から)

原宿の写真に言葉を添えて。日本語と英語でTwitterとfacebookで、日々元気を取り戻そうとする原宿の姿を発信し続けた。

さらには、”We vow to MIGHTY HARAJUKU!”(力強い原宿であることを誓う)と書かれた缶バッチを自費制作して、配布もした。

原宿にある様々な店舗を回って置いてもらったり、ファッション・スナップに写る人にもバッヂを身につけてもらったり、原宿に遊びにくるたくさんの人々に協力をしてもらいながら、とにかく皆で缶バッヂを持って街中を周った。(原宿商店会の会合に入れてもらって、緊張しながらプレゼンさせてもらったのも今となっては良い思い出。)

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そうやって、毎日毎日投稿をしていると、だんだんとファッション業界を中心に賛同してくれる方が増えていって、コラボイベントを開催するなど活動を広げていくことができた。

英語でも同時に発信するというプロジェクトだったからか、訪日外国人向けメディア・海外メディアにも、続々と記事が掲載されていった。


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「とにかく遠くに届け!」
「自分たち(の勢い)は死んでない!」

その一心で、原宿から発信していたMIGHTY HARAJUKUだったが、やっと桜が咲き始めた3月下旬、思わぬことが起きた。

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自ら「MIGHTY HARAJUKU」のプラカードを持って、写真をSNSにあげる海外の子たちが登場したのだ。

そのメッセージは世界中に波及し、人から人に伝わり、行ったこともない国からもプラカードによる投稿が増えていった。

「MIGHTY HARAJUKU PROJECT」に海外からの応援が続々と届いています!
FaceBook上だけでも、インドネシア、フランス、オーストラリア、イギリス、スロヴェニア、アメリカ、カナダ、ポルトガル、ドイツ、プエルトリコ、ベルギー、台湾、スコットランド、ノルウェイ、ブラジル、韓国、イタリア、チェコなどなど…たくさんのメッセージが発起人・セバスチャンの元に寄せられています。
(当時の増田セバスチャンブログより)

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これは、何か凄いことが起きているのかもしれない…

考えてみれば、これには前段階があった。

6%DOKIDOKIは、2009年からワールドツアーと称して「Harajuku "Kawaii" Experience」というイベントを自主企画し、「原宿発のKAWAII文化」を発信するために、アメリカやヨーロッパで、独自にファッションショーやレクチャーを行っていた。
いわゆる、メインストリームに入れない僕ららしい草の根的なやり方ではあったが、人が人を呼んで注目を集め、世界的にKAWAIIというカルチャーが爆発する誕生前夜のような盛り上がりだった。

今となっては、SNSを使って国を超えてのコミュニケーションは当たり前かもしれないが、当時は、この連鎖の仕方のリアルさに震えた。

あの時すでに、インターネットを介してコミュニケーションをとり、日本から発信したものを、違う国の誰かがキャッチして投げ返してくれる状態が出来上がっていたのかもしれない。

これが、僕らのやり方だ。

このプロジェクトは、SNSによって盛況を極め、結果、原宿は他の地域より先に外国人や観光客が戻り始めた…。

(この少し後に、自分も多くの人に知られることになったきゃりーぱみゅぱみゅ「PON PON PON」のPVが世界を駆け回り、数年後、Kawaii Monster Cafeができ、震災以前にも増して原宿はカラフルさを纏い、訪日観光客で溢れかえる日々を迎える。)

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日本のポップカルチャーはどうなっていくのか?もう終わりなのか?」

冒頭に書いたこの質問。投げかけたのは、CNNでした。掲載された実際の記事はこちら↓

Japan - - gray, dull, conformist? Not likely!
If you thought that the East Japan earthquake and tsunami would shake the cute off this country's young hipsters, think again. Harajuku, Tokyo's mecca for youth culture and fashion, is as cute and colorful as ever.

That's the message of the Mighty Harajuku Project, started by Sebastian Masuda three days after the disaster, and now entering its second phase as Masuda and others take their message that the Harajuku kids are all right overseas.

「原宿」の危機はSNSを通して世界の仲間たちに届き、彼らが原宿を救ってくれた。

同じモノを好きになった強さ、同じ時代に生きた強さ、そして、同じことを考え、それを力(パワー)にしていった強さ。

9年経った今もなお、自分はこの「強さ」を信じている…

増田セバスチャンnote
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