見出し画像

解像感を超えたところにある写真の質

昔買ったカメラを眺めている。

現在のカメラに比べると15年以上前のカメラは性能的に劣るけれど、なかなかどうして手元から離せないでいる。

使うレンズにもよるけれど等倍で見ると解像感が乏しく全体的に色味もざっくりした仕上がりに感じる。1000万画素機の性能であれば仕方がないし、何よりエントリーグレードの機種なので多くを期待してはいけないのかもしれない。
とは言えウェブにアップする分には十分だし今はLightroomという頼もしいツールもある。ようやく時代がカメラに追いついた。

OLYMPUS E520はフォーサーズ規格の一眼レフカメラで、このカメラのダブルズームレンズキットを15年前に購入した。年に一度は防湿庫から取り出して初心を思い出すようにしている。
ようやくカメラを“ちゃんと使える”ようになってどんなカメラでも撮りたい写真を撮れるようになってきた。僕の使用用途ならE520だけでも十分なんじゃないかとさえ思うことがある。

昔のカメラの全体的にもっさりとした使用感が今の気分だ。AFの遅さも気にならない。何より一眼レフのガシャコンという音が良い。Leicaやfpといった不便なカメラを好む性格はもしかしたらこのカメラがその源流なのかもしれない。

今年はもう一本フォーサーズのレンズを手に入れてみようかな。


白飛びもよき。
氷はパキッと撮るだけが楽しみではない。


テレ端での開放f値は5.6。
f8で撮ることが多いので暗いレンズはネガティブではない。


意外と解像している。
逆光だけどシャドウも粘っている。誰よ、フォーサーズは黒潰れするって言ったの。白飛びの方が酷い。


絞って撮る楽しさを感じている。


フォーサーズはボケにくい。
ボケないことがメリットに感じることもある。


画素数や解像度では測れない写真としての質。
これが自分の感性に合っていればカメラやレンズは何でも構わない。写真の本質はそんなところにあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?