見出し画像

「好き」と「嫌い」の狭間で

私が担当している「異文化コミュニケーション論」の授業で、かつて言ったことがある。例えば、映画を見た感想をコメント用紙に書いてもらったりした時。

「共感しました」
「よかったです」
「気に入りました」

そういうコメントが多いけれど、そんなものには、ほとんど何の意味もない、と。それは、ただ単に、今の自分の感覚にフィットしていることを意味しているに過ぎないから。

それは、今の自分を現状維持させるものでしかない。

自分の「好き」なものだけを、何も考えずに受け入れていくなら、そこからできあがるのは、あまりにも視野の狭い、文字通りの「自己中心的な」人間だと思う。

私も自分の「好き」は大切にするほうだけれど、でもそれは「嫌い」があるから「好き」が生まれるということであって、ただ「好き」だけを見ているわけではない。

むしろ大切にした方がいいのは、「嫌いなもの」とか「違和感を感じるもの」に対峙した時。そういうものから目を逸らさないでいる時にこそ、自分のことが、自分にとって大切なものが、自分の輪郭が、そして、世界が、浮かび上がる。あるいは、自分の殻が破れて、新たな世界が見える。

特に、異文化コミュニケーションをしようなどという志のある人が出会うのは、違和感の連続であって、その違和感に対峙できないなら、退散するしかない。退散すれば、痛い目には合わなくて済むけれど、得るものも何もない。退散しないで対峙すれば、信じられないほどの大きな傷を作るかもしれないけれど、その向こうには新たな世界が待っている。

その新たな世界を見た上で、やっぱりこれは好きじゃないな、と思うのなら、その感覚は本当に大切にすべきもの。

そうやって、その人の「色」みたいなものができあがっていくんじゃないかと思う。

少なくとも、私は、そういう「色」を纏い続ける人でありたい。


いただいたサポートは「おむすびアート」の活動に使わせていただきます♪