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分岐点

"現役学生"という概念を背負って生きられる日数が、日に日に減少している。
日数の減少に反比例するかのように、私に生まれた感情は何か。
それこそまさに、

虚無感


が最適なのだろう。


ここ数日、当たり前に過ごしてきた日々と異なる生活が続いている。
なんだろう。
違和感がすごい。
無限違和感ラッシュ。


当たり前とは、

生活の中で生産される概念。

確かなものではなくとも、私なりの考えとしてはこうである。
それ故、側から見たら別に「普通じゃん」と思われるような生活しかしていないはずである。
しかし、私においては塾バイトが当たり前にあった4年間ゆえに、ひと息ついた今は異なる生活をしている。
noteを再起動させるようになったのも、過去の記事にも書いたかもしれないが、そうした感情のあれこれをまとめてみたいと思ったからだ。

今日はそうした虚無感といつもと違う毎日から感じることを、赴くままに備忘録として残してみたい。




2月29日、今年はうるう年故に1日多い2月。
その日をもって私は通い慣れたバイト先のラスト授業を終えるはずだった。
実際、翌日の公立入試合格発表を控えるのみで、それがオーラスとなる予定だったのだが……
(以下は合格発表日の朝に書き上げた記事、よろしければ是非)

まあ、例によってあの塾らしく訳ありの事故が発生。
この日は合格発表があるものの、その祝賀会を終えた後は普通に新しいシーズンの開幕だ。
塾の設定上は新学年となり、新たな1年のスタートダッシュを切って、授業は始まっていく。
当然コマも編成されるのだが、まさかの事案だ。

金曜日コマ、まさかの人手不足


という案件が発生してしまったようだ。
合格発表の日は金曜日。
あれれれれ、、、
4年もやってる私には社員が慌てることは当然織り込み済みである。
それ故に、脊髄反射で、次のように聞いていた。

「即日登板できる人っている?」


校舎に訪れた緊急事態。
まさか、いろんな事情があったとはいえ、こんなことが起こるとはという事案だ。
4年もやってたが初めて遭遇する事案。
驚くのも無理はない。
とはいえ、私が社員に尋ねた段階でもう察している。

これ、オレ緊急登板のオチだよね。


ということで、当日の昼に3月は金曜限定で授業コマをいただくことになったのだ。
しかも、僕向けに指導できる科目と適した生徒構成を配していただいたのである。
これには素直に感謝。
しかし、それと同時に浮かぶ感情も複数。

  • 別れを告げたはずの人たちに
    再度合わせる顔がないのではないか

  • 1人の生徒に関しては3月限定とはいえ
    担当継続で一体何を思うのか

  • 送別会(3日実施)後にも授業がある訳で
    やり辛さを感じないか

などなど……

引き受けたは良いものの、後ろめたい気持ちも混在していた。
引退と言ったはずなのに引退撤回、情けないことに私の""元""推しメンの斉藤優里さんのようになってしまった。
(知らない方向けに書いておくと、斉藤優里さんは乃木坂46一期生で卒業後に芸能界引退を表明したのにも関わらず、現在では17Liveなどのライバー活動を行っている中途半端な立ち位置やってる方です。以下に貼ったように、文春砲も喰らったことある救いようのない方です。)


まあ、結局のところ、都合よく捉えていかねば、物事などやってられなくなってしまうものだろう。
だからこそ、二つ返事で引き受けたのだ。
目先の理由でいえば、多少なりともお金がもらえる。
ただそれ以上に代え難い理由がある。

それは、

当たり前がなくなることへの恐怖


そして

願わくば少しでも長く居たい。


もちろんできることならば1年ないしは2年居たい。
あと1年居られれば09年世代の面々を高校に送り出せるし、2年居られれば高校生組を大学入試までサポートできる。

まあ、そう上手くはいかないのがこの世の不条理なのですが。
ただ、願望が叶わずとも、少しでも長くいられるのであれば。
それこそ""本望""なのかもしれない。

その日は即日でその場を凌がなくてはならないから解らなかった感情。
とりあえず、目先の勤務中で会う生徒、会う生徒に対して「ボーナスタイム」なり「延長戦」なり「契約延長」と笑って話していた。


しかし、数日もして少し俯瞰的に見れた私からすると、当時の自分の判断は少し前に述べたような「恐怖」や「願望」が促したものだったのだろう。
ただ、即日では言語化できなかったから、それっぽい言葉で取り繕っていたんだろうなと。

引き際の美学なんてコトバもあるし、実際それを実行しようと動いてきた2月。
お世話になった人たちに感謝を伝え続けた終盤の2週は記憶に新しいし、最後を迎えたその時は人前を憚らずに泣き顔を晒したものだ。

いかんせん、私、弱いんで。

ただ、弱い私だからこそ、一気に離れてしまう存在を惜しいと感じていた。
だからこそ、金曜限定で3月のシフトに入る決断をその日にできたのだろう。

まあ、その影響もあって3日に実施していただいた送別会では魔が差してしまった面もあった。
十分に泣く覚悟をして向かったはずが、そうにもいかなかったのは後輩の皆には逆に申し訳ないと感じていたりもする。
まぁ、本当のオーラス後に振り返って泣くんでしょうけどね。

再三ですが、私、弱いんで。


それにしても、明日と来週の残り2日の授業がどうなるか楽しみです。
誰よりも1番楽しんで、みんなと話して。
清々しい気持ちで終われたら、それでいいかなと。
生徒も同じ講師陣もみんな友達のように楽しく話して、良い意味で普通の時間を過ごして終わるのが、1番らしいんでしょうね。
変に特別とかプレミアとか箔つけようとしたら、逆に脆くなってしまいそうで。。。

まあ、やってみないと解らないんでしょうが。

いずれにしても今は、目先の生活が充実するように、やっていくだけ。

さて、明日はどんな話をしているんだろう。




あゝ、なんとなく文字に出力してみた。
「あゝ」と打ってある顔文字を思い出す。
なつかしいですね。→ ( ´_ゝ`)
この顔文字を思い出す頃。

今日からさいたまスーパーアリーナで久しぶりに乃木坂のバースデーライブが行われている。
前回のスーパーアリーナ開催は7年前、まさにあの顔文字が象徴的な橋本奈々未さんの引退ライブだった。
"サヨナラの意味"をつい考えたくなるこの頃。(※1)

※1 サヨナラの意味(1番の歌詞)


7年前、当時中学卒業間際でポッと出のファンだった私はこの楽曲と橋本奈々未という1人のアイドルに魅了されて、涙を流した。

サヨナラに強くなれ
この出会いに意味がある


歌い上げる姿を私は映像でしか見られなかったが、確かに教えられた。
そんな気がした。


あれから7年、もうすぐ社会人になる人間が同じ曲を違う視点から味わっている。
なんだかんだで7年も続いているオタ活だが、橋本さんの卒業以来、自発的にこの曲に触れる機会はほぼ無いに等しかった。

というより、記憶の栞を挟んだままにしておきたかったのかもしれない。
その記憶の栞を思い返して、そこに新しい記憶として、当たり前からの卒業を記録する時が来ているのが、まさに今なのだろう。(※2)

※2 サヨナラの意味(ラスサビ前〜の歌詞)


いつかまた振り返ることになる記憶たち。
分かってはいるけど、ここで終わりじゃないし先もある。

後ろ手でピースしながら
歩き出せるだろう


一度はボロボロの涙で終えたけど。
まさかで舞い込んできた機会。
新しい道に進む者として、一度吹っ切れた以上は最後こそ笑顔で終わってみようじゃない。

サヨナラは通過点、だし。



あ、そういや今回のバースデーライブは
無券です。
4日連続開催なのにね。
チケット恵まなかった紫さん、許してませんよ。

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