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正解

はぁ。

終わっちまった。


高3から生徒で通い、バイトでも通い。
5年も通い慣れた塾に、昨日終わりを告げてきた。
一応今日に高校入試の合格祝賀会あるけどね。

計画性のない典型的INFPのワイにおいて、珍しく計画性が発揮されたスケジューリング。
うるう年を最大限に活かして、最後の授業をしっとりと終わることができたら。
そのつもりで、最終日とした2/29

とはいっても、やはり5年も関わった場所のラストゆえ、朝から落ち着かない
深夜ラジオを聴きながら寝落ちしたのに、その3時間後には起きてるし。
まぁ、そのあと別で1時間寝たけどね。
それでもたいして寝てない。
なのに、なんだかソワソワして寝れない
最早、寝させてくれないというべきかな。

こちとらもれなく花粉症の身で、鼻をやられてから口呼吸で寝てしまったもんだから、絶賛咳こんでいる。

それなのに、

落ち着かない気持ちを発散したい


という無茶な理由をつけて、カラオケで歌うショック療法を実践したのだ。
もちろん、普段みたいに高得点や新記録を狙いにいくようなゴリゴリのつもりなどなく。
とりあえず歌っておけば、気持ちの一つや二つでも落ち着くんじゃないか、なんて。
まあ、思ったより調子良くて自分でもビビっちゃったけど、それはそれで良きかな。

ただ、このカラオケを終えるまでの過程に、複数の問題が浮上する。
まずは、このまま塾に向かうのに、いつもなら持っているはずのドリンクを忘れた
やってるわ。明らかにルーティンが壊れてる。
頭の中では用意した気になってたのに、忘れてた。
どこか気持ちが上の空になってたんだろね。

普段なら当たり前のことが、今日は違う。


もうさ、そういうことだったんだよ。
しかも、昼飯としてカラオケで休憩する時に食べようとしてたおにぎり。
せっかく持っていったのに、

空腹感を感じないし。


心にぽっかり開いた穴があるようで、「メシ!」って気分にならなかった。
いつもと違う要素が、またひとつ増えてしまったじゃないか。


カラオケを終えた私が向かったのは、カラオケの最寄り駅の構内のドトール。
昨日も飲んだけどお構いなしで選ぶのはブレンドコーヒーのS。
こちらも全く同じオプションとして、ラックから1つだけ取ったコーヒーフレッシュを、座席につくなり開封して投入する。
黒と白、相反する色同士のフュージョン。
変わりゆく色をゆっくりと眺めて、動きが止まるのを待つ。
その割にはゴクゴク飲んでしまった。
なんとなく、普段と違う感じだから的な。

そして、飲み終えるなり開いたPCに打ち出した文章と睨めっこ
最後の生徒に渡す手紙。
思い出話を連ねていろいろ書いたけど、これはこれで良し。
集中してペンを走らせることができた。
この落ち着かん状況でよく頑張ったぞ、おれ。


しかし、退店する時にまた事件がひとつ。

隣の席の人のグラスが落ちてしまった。


私かその人か、落ちた原因はわからないけど、明らかに戸惑ってた。
とりあえず店員さんだけ呼んで始末してもらったけど。
挙動不審だったかもしれない。
迷惑かけてすまん、店員さん。


そんなこんなで、最後の授業のために出勤。
BeRealの通知が遅すぎて、昨日分が余ってたからなんとなくいつも使う例のエレベーターを撮影しておいた。
そして、校舎に入って気づく。

ドリンク買ってねぇわ。

そう、ドリンクを持ち忘れて出たから買っていくんだと決めてたはずなのに。
そのことすら忘れてしまってた。

今日の私はニワトリらしい。


それだけ、情緒不安定だったってわけで。
急いで水を買って戻ったら準備。
中学1年の輩たちが騒がしいなかで頑張る最後の授業の生徒。
やっぱり凄いね。
騒音の迷惑にならないようにってことで、場所を移動してもらってから数分経ったくらい。

土曜でラスト授業だった高校生が登場。


居なくなるまでに来るとは聞いてたけど。
まさか、早い時間だとは。
しかも、去り際がかっこ良すぎる。
感謝、ちゃんと言い切れた気がしなかった。
なんとなく、入ってた手紙を読んでみようと思った。

読むなり泣いたよ。


もはや既定路線くさいけど。
書かれた文章に成長を感じつつ、関心していた。
いただいたものは普段とは異なり、自分が指導する時に使うイスの付近に。
人も少ないし、余裕でそうしても平気だし。

それにしたって、今日に関してはいつもより明らかにおかしい挙動が多い。多すぎる。
それゆえ、私が担当していた中学生にも今日が最後なのと訊かれた。
「まあね」なんて言いつつ、最後の瞬間を噛み締めつつ指導させてもらったのだが。
そう思って授業していたら、、、

教育実習で世話になった学校の生徒がいるじゃん。

テストも終わった学校だし、確実に私のためだけに来てくれていた。
感謝しかない。
実習でお邪魔した縁もあるし、これは今度の体育祭も都合が合えば行くしかない、なんてね。


ありがたい面々と最後の時を過ごして、いよいよラスト。
もらった手紙に目を通すなり、

涙腺ダム決壊。


無理無理。知ってたけどね。
もちろん、文章を読むなり。
なんなら、改めて見てもダメ。。。

ひとつひとつの文章が涙腺キラーでしかない。
特に、最後の瞬間を噛み締めたとき、そこに耐久など求めちゃいけなかった。
普段、マウントを取ろうとするタイプじゃないけど、

塾バイトにおいては誰よりも楽しみながらやってきた。


その自負がある。
だからこそ、自分でもつい「ふざけてばかりだから」なんて抜かしていた。
まぁ、真面目すぎても違うかなって思っていたからだけど。
友達のような感覚だけど、ほんの少しだけセンパイ的な感じ。(最適表現わかんねぇわ…笑)

自分がされたら嬉しいと思うことをし続けてきただけのつもりだった。
だから大抵のことは否定しないし、笑って「良いやん、それ」って言いながら過ごしてた。
何気なく、マイオペレーションに組み込まれていた、常に高評価し続けること。
閲覧したYouTubeの動画にとりあえず高評価ボタン押す感じの"アレ"的なね。
いつしかアタリマエになっていたことが、頂戴した手紙で感謝のリターンとして返ってきていた。

これのために、4年間頑張ってきたのかも。
辞めたくなる時も何度かあったけど、辞めなくて良かった。
自分がやってきたことが、手紙によって認められた気がして

「担当で良かった」


そうやって、記憶のメモリーに残っているだけで、こんな自分にも存在価値がついて。
たった一節なのに。
それだけで涙でボロボロになってる。
本当に大切なものって、失って初めて気づくんですね。
他にも、いくつかもらった手紙の中に、

「お別れしっかりできるのがあたりまえじゃないから、出会いと別れは本当大切にしたいよね。」


ってあった。
確かに、ここ最近花粉症から咳してたから最後に居られないかも、危ういと思ったこともあったし。
手紙に綴られた、素晴らしい文章の数々。
書いた本人たちからしたら些細な表現かもしれないけど、noteを改めて書くようになって分かった。

活字の文化、やっぱり大切だよ。


宝物になった、あっという間の4年間。
たぶん、今後社会人になって苦しい時が幾度も訪れるかもしれないけど、この手紙やいただいたものたち(※1)が、力を貸してくれるはず。
辛い時に、あえて手紙を読んでまた泣くんだろう。

わたし、弱いんで。

※1 こんなにたくさん。感謝しかない。


でもこれでいいし、むしろ、これが良い。
時に光のような4年間のワンシーンを思い出して、彼ら彼女らに貰った応援に後押ししてもらおう。
そうやって頑張らないと、手紙がくれた期待に応えられないし。
向こうも頑張ってんだからね、きっと。
不安だらけの社会人1年目が近いけど、支えの材料はひとつ増えたかな。
自分、まだまだ弱いけど。
階段を上るように、少しずつでいいから。

あきらめないでどんな時も
君なら出来るんだどんな事も

まーた、サンボマスター浮かんできちゃった。
まさに、できっこないをやらなくちゃ。だわ。



ちなみに、夜中に泣きながら途中まで文章作って寝て、続きを朝書いているけど、今の方が泣いてるかも。
カスみたいな涙腺だけど、泣けることもそうアタリマエじゃない気がした。
4年間で人間味が相当増したんじゃないか、きっと。


思うがままにとりあえず書いてみたけど、まとまっている気はしない
ただ、それでも、手紙のように気持ちを表すことって結構大事だって気づけた。
だからnoteを復活させたし、続いてる。
辛い時の気持ちのアウトプットにも使うだろうけど、その時の感情を映す鏡として、大切にしたいな。


さて、泣きすぎて顔面崩壊してるけど、もうすぐ公立高校の合格発表なんだよなー。
もう、十分すぎるくらい泣いたし、せめて最後は笑って終われたら、

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