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女子高生に見られても、浪人生はすべり台をすべる

8年前、2012年のある夏の夕方。目にうつる景色のほとんどは青みがかっていた。浪人生のぼくは、管楽器の音に包まれながら象さんの滑り台の踊り場の上で缶コーヒーを片手にただ立ちすくしていた。

それは本当に些細な楽しみに過ぎなかった。これがこんな辱めを受けるなんて予想だにしなかったのだ。

浪人生の1日は、キンキンに冷えてやがるビールに喜ぶ賭博狂いの地下労働者と変わらない、いやそれよりひどいかもしれない。朝6時に起き、予備校の自習室に籠り、22時に塾が閉館すれば帰り、24時に寝る。ただただ、これを永遠に繰り返す生活だった。

ぼくに許されていたのは、赤い下敷きを無愛想な緑の長方形が寝転ぶ紙の上で滑らせることだけだった。赤い下敷きは、温度のない紙上を踊ることに飽きた合図として、ピュロッピュロッという奇声をたまにあげた。いや、集中が切れて、下敷きを曲げて遊んでいるぼくがいただけだった。

この音がいたく気に入って、しつこく赤い下敷きを曲げたものだった。だから、バキッという悲鳴とともに下敷きが二度と使えないものになるのは当たり前だった。新しい下敷きを買うたびに、お前はどんな音を聴かせてくれるんだい?と遊んでいた。そんなアホなことを繰り返した日々だった。

もう無理だった。

このままじゃ来年も浪人のままなことは、ウルトラマンが3分を超えるとどうなるかよりも明白だった。というか、ぼくはウルトラマンが3分を超えるとどうなるか知らない。知っているのは、カップラーメンが伸びてしまう時間だというくらいなものだ。

もう何代目かもわからなくなった赤い下敷きを自習室の机の上に残して、席を立った。街はすでに夜の準備を始めていて、蛍光灯の光よりもはるかに眩しくて、直視できなかった。ひと気のないところへ行きたかった。

住宅街を数分歩くと、普通すぎる公園があった。中央には象さんのモチーフの滑り台が堂々と建立されていた。これもすごくなんか普通だった。象さんは誰もいない公園で滑りやすそうな綺麗なカーブを鼻で描いて笑っていた。

近くの自販機でボスのレインボーマウンテンを買った。周囲にだれもいないことを確認してから、象さんの背中側にある階段から頭の上に登る。そして、滑ること以外の選択を拒否する見事なカーブにお尻を任せて、重力のままに落ちた。

気持ちよかった。

「落ちる」なんて言葉は浪人生が使うべき言葉ではないかもしれない。でも、落ちた。気持ちよく落ちた。

だから、もう一度気持ちよくなりたかった。

さっきより勇み足で象さんの背中に足をかけ、頭にレインボーマウンテンを置いた。さっきは片手にこれがあったのでお尻と右手に神経が分散していたのだ。

今回はノーハンドの手ぶら。遮るものはない。見事なカーブを描く鼻の上を気持ちよく滑った。全意識をお尻に注いで、とても快く滑った。

一瞬の浮遊感も、吹き抜ける風も、摩擦で少し熱くなったお尻も全てが気持ちよかった。

ぼくは何度も滑った。「滑る」も浪人生にはよくない言葉だけど、何度も滑った。

少し疲れて、象の頭の上に座りながらレインボーマウンテンを啜っていた。そろそろ帰るか…。と思ったとき、耳に管楽器の音が飛び込んできた。

そっと下を覗くと、女子高生が管楽器を吹いていた。それも1人じゃなくて5、6人。彼女たちは一生懸命練習を始めていた。公園は私たちのものだと言わんばかりに堂々と。ぼくには気づいてないみたいだった。座っていたから気づかなかったのだ。

そういうぼくは、イヤホンをして、レインボーマウンテンを飲んでいたから彼女たちの来園に気づけなかったのだ。帰らなくてはならない。しかし、高校を卒業して、本来なら大学生である年齢の男が、女子高生の前で、一人で、滑り台を滑る。こんな恥ずかしいことはないだろう。

だから、気づかれないようにしれっと階段から降りようと思った。視線がこちらを向いてなさそうな頃を見計って階段に足をむけた。

が、階段は降りれなかった。

いや、ぼくの足がつったとかそういうわけではない。物理的に無理だったのだ。階段にはパンクした自転車のチューブみたいにくたびれた黒い管楽器のバッグが置かれに置かれまくっていた。

何でここに!?というか、このときぼくに気づいたんじゃないか???

………

……………。

前にも後ろにもいけなくなってしまった。満潮になったらサメに食われる運命にある小島で立っている人の図になっていた。

彼女たちの練習はいつ終わるかわからない。そして文字通り時間を忘れて滑り台を堪能してしまったから、すでに結構な時間を食ってしまっていた。

そろそろ戻らないと自習室の席が長期不在で没収されてしまう。ぼくは没収される他の生徒を見るたびに「長時間席を空けて、何をしてるんだ。そういうやつは絶対に落ちる。」って心の中で思っていた。だから、それだけは、どうしても許せなかった。


女子高生が高らかに青春の音を奏でるなか、その音をファンファーレと勘違いし、大人げも、プライドもなく、恍惚の表情で滑り台を滑る浪人生の姿がそこにはあった。

というか、ぼくだった。


レインボーマウンテンのボスは、あいも変わらずクールにキセルをふかしていた。



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