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傷つけられたことも傷つけたことも消費するものじゃないとおもってる

誰かの言葉で、いたく傷つく。

それはもう本当にガーンって音がして、自分の心が揺れているのがしっかりとわかるけど、フラフラして、取り繕うとかそれどころじゃないみたいな感覚。

ぼくは比較的こんなことを体験してきたかもしれません。というか、些細な大したことない一言を重く捉えてそんな風に感じてしまっているだけなのかも分かりません。

反対に、誰かを傷つけたとわかるとき。かすかな火照りと紅潮のあとにはまた同じ体験をします。「やってしまった、取り返しがつかない。」

あとからどれだけの言葉を足したところで、吐いてしまった言葉が消えないこと、その言葉が起こした相手の感情の変化を恐れて震えます。自分が嫌われてしまうんじゃないだろうか、とずいぶん自分の都合のことだって考えたりします。

だからこそ、なにかを言うときは慎重にならなくてはならないなと思っています。それが少しでも相手を傷つける可能性があるなら。

そして、その対象が決して会わない相手であったとき、そういった懸念というものは消え失せて、火照りと紅潮の気持ちよさしかなくなるものなのでしょうか。どうなのでしょう。

そこのところが今のぼくには、本当に、正直に、わからないです。

そしてこれからもわからなくていいことなんだと思っています。痛んだことも痛めたことも抱えて、くり返さまいとしていればいいんだと信じています。

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なるべく毎日書くnoteも今日で54日目でした。

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