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「あの時をもう一度」はないとわかっていても願うことは止められない

先日こんなnoteを書きました。

そこで文末のところに「コメントをくれた方にお返事的なnoteを書かせていただきます。」と書きました。ですので、今日はそのお返事のnoteです。

もらったコメントはこちら。

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yo.さんへ

先日はコメントいただきありがとうございました。あなたのコメントがなければこのnoteはもちろん存在しませんし、ぼくはただ痛い奴になっていました。本当にありがとうございます。

早速に本題で、「おいおい」というところもあるかとは思いますが、お答えさせていただきます。

答えは、一言で言うなら「はい」です。でもここで条件付きの「はい」とでも言いましょうか、質問のアングルを変えることによっては「いいえ」と答えることができるかもしれません。これはぼくの気質とでも言いましょうか、そのことが大きく関係しています。

「手紙を回す」と言う行為に関しては確かにしていました。しかし、それはぼくが臆病であるから、回ってきた手紙を回さないで、自分のところでとめておくみたいなことができない学生であったからです。

「自分からすすんで手紙を回したか?」という質問になったとき、ぼくは「いいえ」と答えることができます。これもまたぼくが臆病であるから、自分からそういった違反行為のようなことに手が出せなかったということがあると思っています。

でも、「授業中に手紙を回す」という行為は面白いものでした。クラス全員がみるべき回覧のような手紙や一定のメンバーしかみない手紙など様々な種類の手紙がありました。

一番高揚するのはどこからきたのかはわからないけれど、自分を指名され、真っ直ぐにぼくのところにくる手紙。それまではたしかに授業に集中していたけれど、それが来た瞬間に授業に集中しているフリになってしまう。

そんなパワーが手紙にはありました。この差出人は性別関係なくだったと思います。自分宛という事象がとにかく嬉しい。これに尽きました。

しかし、とはいえ、異性からの手紙は特別です。男子からの手紙はノートの切れ端やルーズリーフであることが大半で、開いてもそこにあるのは生きているミミズを無理やり整列させたようなグニュグニュの文字です。読むのが大変と言うこともあります。

しかし、女子からの手紙はどうでしょう。見たこともないおり方で紙は畳まれていて、その紙はパステルカラーでかわいらしい。そして開くとあるのは女性らしい丸さのある可愛らしい文字。それだけで心が思わず跳ねます。ハイテンションになりすぎて、鉛筆が自分の手汗で湿ります。

先生にバレてはいけないという状況、何か気の利いたことを言いたいと言う見栄、いろんな要素がぼくの心拍数を上げ、高揚させます。なんて楽しい時間だったのでしょうか。もう、あれを味わう日はこないのでしょう。

席が隣になった人と同じノートで伝言伝え合うみたいなあんな楽しいやりとりももう味わえません。過ぎ去ったものはあまりにもいいものに思えてしまう。もう一度は人生でなかなか叶わないのを知っているけど、ついつい願ってしまうものなのかもしれません。

yo.さんは何か人生でこれはもう一度やり直したいと思うことがあるでしょうか。

海太郎より


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なるべく毎日書くと言ったnoteの30日目をお送りしました。今日で4月は終わり、明日から5月です。とりあえず1ヶ月続けることができました。少し嬉しい気持ちです。

では、また明日。

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