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何かを続けられない自分が嫌いだから続けている。

はじめに

以下はこのnoteを書くための理由なので、タイトルの内容に関しては「本題」からスタートです。

先日こんなnoteを書きました。

中身を見るのがめんどくさいし、時間もないよって人のためにざっくりまとめると、
“手紙っていいよね、もしこのnoteにコメントいただけたらお手紙noteみたいな内容でお返事致します”って書きました。

そして、一昨日、1人目にコメントを下さったyo.さんにお返事を書かせていただきました。もし気になる方がいればご覧ください。

そして、今日は、2人目にコメントを下さったありぺいさんにお返事します。

コメントの内容は以下の通り。

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まず、お返事を書く前に、はじめてこのページに来てくださった方に前提知識を共有したいと思います。知ってるよって方は飛ばしてください。

ありぺいさんが言っている、具体→抽象ゲーム、色彩分析というのは、ぼくがツイッターで毎日投稿している、以下の様なツイートをしていることをさします。

(もしよければフォローしてください。)

さて、本題はこれを毎日続けるための工夫をどうしているかとの質問でした。お返事に移りたいと思います。

本題

ありぺいさんへ

まず、コメント本当にありがとうございます。そして企画をほめてくださってありがとうございます。素直にとっても嬉しいです。

さて、ぼくは今回のありぺいさんの質問は、何かを続けるコツはなんでしょうか、何か自分なりに工夫していることはありますか?という質問かなと理解しました。

よく言われるのは、大目標と中目標、小目標をセットする。そして小目標を毎日確実にクリアし、それを続けるとたどり着く中目標をクリアしてやる気を上げ、やがてたどり着きたい大目標へ向かうと言うのが何かを続けるセオリーかなと思います。

でも正直に話してしまうと、ぼくはいつもこの三つの目標をセットしていません。強いて言うなら一応の大目標はあります。

抽象化ゲームの場合は頭が良くなりたい。そして、自分が今まで考えられなかったようなことを考えられるようになりたい。

色彩分析の場合はフォロワーを増やしたい。そのためにぼくができる知識の提供をなんだろうと考えた時に資格を持っているし、自分が忘れかけている知識を復習したいと思ったからです。

でもどちらもアバウトな抽象度の高い目標です。これだけでは多分、ものごとを継続的にやることは難しいかなと思います。


そんな適当な目標でやっているぼくですが、noteは去年180日続きました。今もなんとか32日目を書けています。筋トレは今2ヶ月くらい続けられています。

ただ、ぼくは何かを続けるのが基本は苦手です。これは決して嫌味として言いたいのではありません。苦手なんですが、続けるための思考を手に入れたから続けられるようになったのだと思います。

今続いているものに共通するのは、確実に続けていれば自分のためになるということが分かっているということです。反対に言えば、やめてしまうことは自分のためにならないということです。

ぼくは実際に続けることを怠ったことで、酷く、大きく、今も後悔している経験が何個もあります。この経験が思考に強く影響しています。

例えば、浪人時代に12時に寝て6時に起きると決めていたのに、読んでいるマンガが面白くて深夜2時まで夜更かしをしたことがありました。生活そのものは変えれないので翌日は6時に起きました。

結果として起こりうることは想定の範囲を出ないのですが、眠すぎてその日は勉強が全く捗りませんでした。

これが続くとどうなるでしょう?

明明白白です。受験に落ちます。これは当時のぼくには死と同義です。危機感に苛まれ、前日にマンガを読んでいた自分がすごく憎らしく感じました。だから浪人なんかしてるんだ。だからお前は人生の重要な局面で力が出せないんだと、変わらない自分に呆れました。

このような経験を何度もしてきました。続けると決めたのに「逃げて」しまう。ぼくはこの逃げる自分に出会うのがすごく嫌です。逆に続けている自分は好きです。

だから、ぼくの継続を支えているのは、危機感と嫌いな自分に出会いたくないというある種の究極の逃げです。

しかし、こっちの逃げ道は、確実におそらく自分のためになることがわかっている。だから続けよう。好きな自分でいよう。嫌いな自分に会わないように。

そんな感じでしょうか。何か工夫をと言われたのに精神論になってしまって申し訳ないです。でも結局いろいろな工夫をしても何かやる時には気持ちが必要なので、気持ちはすごく重要だとぼくは思います。

一つ工夫というか、続けるものの選択の仕方見たいな話ですが、楽しくないことは続かないとぼくは思ってます。

勉強も楽しさを見出せば楽しかったし、今の色彩分析も楽しい。抽象化ゲームをやめたのはnoteを毎日書くことで同じ効果を得れるし、こちらのが楽しいからです。

自分が楽しいことを選択していればきっと続けるハードルも少し下がると思います。多分すごく大事なことです。嫌々でやるのは何かが違います。


最後になりますが、
ありぺいさんが続けない自分が嫌いでないのでなければ、ぼくは続けなくてもいいと思います。

何かを続けるということは正義のように思われていますが、別にそれは勝手なイメージでしかなく、大衆が望んでいるストーリーというだけです。ろくろを回して、1週間の人がろくろを回して何十年の人を超える作品を作るのは見たくないというような。

逆にそれをやり過ぎてしまって知らず知らずのうちに他の選択肢を捨てているということもあります。彼はろくろ以外の選択を数十年消したわけです。

だからどこか行きたい場所はあったときにそこにいくために、継続が必要かどうかってことから一度考えてみるのもありだと思います。継続じゃない場所からそこにたどり着く方法も実はあるかもしれません。

ある会社の社長になりたいから何十年もその会社に勤め上げるのではなく、企業して稼いでその会社を買収して社長になる方がいいかもしれない。

一度何が必要なことか精査し、自分がのるかのらないかを考えてから継続を選択してもいいかもしれません。

ちゃんとお答えになったでしょうか。大丈夫でしたでしょうか。心配です。

少しでも役立つことを祈るばかりです。

海太郎より


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なるべく毎日書くと言ったnoteも今日で32日目でした。こうして数字のカウントをするのは一つの工夫かもしれません。





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