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難しいという言葉の使い方を考えてみる

「なかなかどうしてうまくいかない。思い通りにはいかないな。」

「やっぱりまだ難しいな。」

って思うことが世の中にはたくさんあります。ぼくには難しいなと判断してやめてしまったことも数えきれずたくさんあります。

でも「難しいな」って感じる時って実際どういう時で、逆に何があると難しくなくなるんでしょうか。

ウルトラマンになりたいと思っていた小さい頃は難しいなとは感じませんでした。それは単に無知だったからです。どうすればなれるのかわからなかった。そこにどんな壁があるのか考える余地すらなかったと言えます。

でも今なら?難しくない。

難しくなく、できないことです。どう考えてもあのサイズに大きくなれないし、怪獣も来ないんで、なる必要はないです。

これは具体的にウルトラマンになるにはどうすればいいかの壁を確認したことで、判断として、できないことがわかった状態と言えます。

では、普段何気なく口にしてしまっている「難しい」はなんなのか。多分2つあります。

ひとつ目は、やりたくない時に逃げで使う難しいです。

例えば、ぼくは小さい頃料理人になりたいと考えていました。これは難しいことでしょうか?

きっと難しくはないです。ただそこに乗り越えるべき壁がたくさんあるだけです。

それをやるか、やらないかの差なんですが、やらない理由として「鬼退治にいくぞ」と宣言した桃太郎にここぞとばかりにきび団子を差し出すように「難しい」という言葉できれいにチリひとつ残さずお片付けしてしまいます。おさげの学級委員長は満足げにこちらをみて微笑んでいます。悔しいですね。

もうひとつ難しいという言葉を使ってしまう時があります。それは単純に情報が足りないときです。これは子供の無知とは違って、半端に情報を得てしまっているときだとぼくは思います。

少しその片鱗を知っているばかりに実体よりも大きく見えてしまうということがあると思います。

実はよく調べると、その片鱗が全体の8割かもしれないし、3割かもしれない。だからどうすればいいか分からないから難しい。わからないものに対して使っているんじゃないかなと思うのです。

だから、「難しいな」と感じたら取り敢えず情報収集をした方がいいんじゃんないかなと思うんです。それによって全ての指針が見えてくるのではないんじゃないかと仮説を持っています。

正解は見つからないかもしれないけど、ある程度の行動すべきルートは見えてくるみたいなそんなことがあるんじゃないかと思うわけです。そしたら、もう「難しい」ではないんじゃないかなぁ。

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なるべく毎日書くと言ったnoteも39日目でした。

サンキュー!

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