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ぼくがマンガを読むようになった話

「人生初めて買ったマンガはなんですか?」

その質問に答えるとき、ぼくは二つの作品をあげることになる。
あれは一年生の頃だったか、幼稚園の年長さんになったときのことだったか。親父が突如ぼくに言った。

「お前もマンガを読む歳になった。本屋に行くぞ。」

そういって親父に手を引かれて近所の本屋のマンガコーナーに連れこまれた。親父はそしてこう言った。そう、確かに言ったのである。

「この中にあるマンガから一巻を二つ選んで来い。そしてどっちが面白かったかを決めるんだ。そしたらその作品は俺が完結まで買ってやる。」

そしてぼくは平積みになっている漫画の表紙たちをボーッと眺めて二つの作品を手にとったのである。その作品が『ONE PIECE』と『遊戯王』だった。両方の一巻を宝物のように抱えてウチに帰り、何度も何度も読んだ。二冊しかないマンガを大事に大事に。そして、決めたのである。次が気になる作品を。

ぼくが選んだのは『ONE PIECE』だった。手が伸びる主人公ルフィは文字通り輝いて見えたし、「海賊王におれはなる!」というフレーズはカッコ良かった。(遊戯王も王ではあるんだけどね。)広い海の先に広がっているあろう冒険をぼくはきっと知りたかったのだ。そして、幼心にシャンクスの大人なカッコよさに憧れたのだった。結構真面目にシャンクスになりたいと思っている時期もあったし、指で自分の目の上を引っ掻いて赤い三本線をつけたりしていた。これは余談。

閑話休題。

このとき、『遊戯王』を選ばなかったのは、今考えるとある意味当たり前だったのかも知れない。なぜなら、遊戯王は一話完結ものだったから。初期の遊戯王は今のカードゲームのイメージとは大きく異なっていて、ひたすらに主人公の遊戯があらゆるゲームで悪を一話に一人倒すと言う展開だった。一巻だけで遊戯王は十分に満足できる作品だった。

もし、遊戯王を選んでいたらとっくに完結してたのにね、残念親父。まぁなんだかんだ流石に高校くらいからはぼくがワンピース買ってるけどね…笑

そしてクソガキのぼくには杏子のスカートがめくられたりするシーンは何か悪いものをみている気がして、これの続きを読みたいと言うことはそういうものがみたいと思ってるんじゃないと思われるかもしれないという恐怖もあったのかもしれない。

ONE PIECEを選んだぼくはそこから一ヶ月に一巻のペースでONE PIECEを買ってもらえることになった。毎回毎回次の一ヶ月が我慢できなくて、それでもマンガは増えるわけでもないので、それはもう何遍も何遍も同じ巻を読み直し続けた。表紙をみれば何巻か即答できることはもちろん、どのコマでその巻が終わるかまで把握しきっていた。

あぁ、ONE PIECEが好きで好きでたまらなかった。マンガ=ONE PIECEでONE PIECE=マンガだった。ぼくだけの聖書だった。男の生き方も人の人情のあり方も漢字の読み方も全部ONE PIECEが教えてくれたのだった。まさに血となりて、肉となりて、自分の一部となっていた。

ぼくの人生にワンピースが与えた衝撃は計り知れなかった。ワンピースはぼくにマンガという概念を教えてくれたし、以後ぼくはアホみたいにマンガを読むようになったけれど、このワンピースなしで今のぼくはあり得ないと思うと、とことん作品の力は恐ろしい。ありがとう、ワンピース。そして親父。


最後に

ONE PIECEって実は何者でもない少年が海賊王を目指す、つまり何者かになることを目指す物語なんだけど、何者かになる方法は何か(ONE PIECE)を手に入れることって言う比較的現実にそぐわない物語なんだな。実際の現実でも何かを手に入れたら何かになれるわけではないものね。それでも、何かに強烈に引かれて真っ直ぐに努力する姿に人は救われるのかな。

なりたい自分がいてもそれになるためにしなければいけないことがわからない人が実は多くて、そんな中で何をすればいいかがはっきりしていて、そこに向かって努力する姿ってこんなにもかっこいいのか、みたいな。

ゾロも世界一の剣豪になりたくて、じゃあ世界一って?って問いには、こいつを倒せばいいっていうアンサー(ミホーク)がかなり序盤に示されるんだよね。ちなみに黒い表紙の6巻ですよ〜。

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