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【プチエッセイ】中1春の小さな出来事

中1春の学活にて

 中1の春。
 もう12年も前ということに驚きだけれど、鮮明に覚えている出来事がある。

(今は社会人3年目の24歳です)

 私の通っていた中学校には、色んな小学校から生徒が集まってきていて、初対面の子もたくさんいた。

 そんな4月初め。
 学活の時間に、一年間の目標を決めて、画用紙を使って好きなデザインで作成するという活動があった。

 小5くらいから思春期に突入し、真っ只中だった私は、とにかく目立ってはダメ、普通に平凡に平均的に、という謎のモットーに縛られていた。

 この活動もしっかりとその影響を受け、記憶にもないくらい当たり障りのない目標を設定した。
 とにかく変でないものを、浮かないように、と。

 画用紙のデザインも、地味すぎず、かと言って個性も出しすぎず、好きな色を使うくらいならOKというこれまた謎ルールのもと、無難なものを作成した。

 今思えば、余計な思考を重ねていたと思う。
 素直に考えればいいものを。

 そんな中、ふと隣の席のMちゃんが作成中のものが目に入り、そこには「自分らしく」と書かれていた。

 それを見た私は、よくそんな恥ずかしいことを、、、反面教師にしないと、というような感想を抱いた。

 でも、クラス30人以上の発表の中で、Mちゃんが妙に印象に残り、しばらく心の中に残り続け、もやもやしていた。

 そこでピンと来てすぐに意識を変えられないあたりに、当時の私の鈍感さが出ている。

Mちゃん

 中1の春に出会ったMちゃんは、大人しくて優しいけれど芯があって、グループワークなどでもきちんと自分の意見を言うような子だった。

 イメージしてもらいやすいよう情報を追加すると、身長は低め、髪はセミロング、細縁のメガネをかけている、声が可愛い、くしゃっと笑う、女子力高め、ほんわかしていて落ち着いているけど自分を持っている、という感じ。

 初めの席が隣同士だったことでクラスメイトとしてある程度仲良くなったものの、いつめんとまではいかず、今ではインスタで繋がっているくらいの関係性。

 高校も同じ学校だったけれど、ほとんど話しておらず、高校卒業以降は一度も会っていなければ連絡も取っていない。

(成人式、同窓会は同じ会場にはいたはず)

 それこそインスタの投稿にいいねをするくらいのもの。

 本題からずれてしまうけれど、そんな距離感の友達の近況も何となくSNSから知ることができてしまうことに、少し違和感がある。

 それは一旦置いておいて。

 インスタで見る今のMちゃんは、垢抜けていてすっかりお姉さんで、可愛くて、前向きに毎日を楽しく過ごしていて(インスタからの勝手な印象だけれど)、努力していて、周りの人たちを大切にしている、とっても素敵な女の子。

 いい意味で、中学の頃から変わっていない。

私のやっかいな思春期(?)

 私は、面倒なことに小5から大学卒業くらいまでの期間、思春期だったのではないかと思う。
 長すぎる。

 常に何かしら悩んでいて、思春期というよりもはやそういう性格かと思うほど。

 何に悩んでいたかを挙げるとすると、友達関係や、自分の性格や、将来のことがほとんど。

 自分で自分の個性を打ち消しておきながら友達の前で素を出せないと悩むという、とびきりのめんどくささを発揮していた(笑)

 でも、幼少期は自他(他=家族)ともに認めるわんぱく具合だったし、かなりはっきりした性格だったと思う。

 小4までは、学校でも毎授業ハーマイオニーくらい腕をピンと伸ばして常に挙手しているような子どもだった。
 親友とは頻繁にケンカしていたし、帰宅後友達の家に電話をかけまくって遊べる子を探すような(ちょっと迷惑...)超活発なタイプだった。

 それが、小5になった瞬間、なぜか急に"そういうこと"を恥ずかしく感じるようになった。

 以降、すっかり大人しくなってしまい、自分の意見を言うことや目立つことが苦手になり、何かと人に合わせるようになった。

 そうしているうちに、いつの間にか本当に自分の気持ちや考えに疎くなってしまったように感じる。

改めて、Mちゃんについて

 やっぱり、中1春の時点で「自分らしく」という目標を掲げ、みんなの前で落ち着いてそれを発表していたMちゃんはすごい。

 私が知らないだけで、悩み事もあったかもしれないけれど、そんなことを感じさせない明るさがあった。

 あたたかく柔らかく優しい印象の中に、一本通ったしっかりとした芯があるような強さも。

 今、Mちゃんと私の距離感は友達と言っていいのかわからないくらい遠いけれど、こっそり、少し尊敬している。

 中1春のMちゃんの自己紹介は、ずっと頭の片隅にかなり薄っすらと、でも消えずに残り続けていたし、自分の性格のことで悩む度にほんのり思い出していた。

改めて、私のやっかいな思春期(?)について

 こんなに長い期間悩み続けてしまったのは、いつも、ただただ落ち込んで、もやもやして、ぐるぐる考えるだけ、という悩み方をしてしまっていたからだと思う。

 「解決するためにどうするか」を考えるのではなく、「ああ、またこうしてしまったああしてしまった」と思い悩むだけ。

 そりゃあ長引く(笑)

 大学生になり、社会人になり、年齢を重ねるにつれて、少しだけ大人になって、頭を使って悩めるようになった。

 そこで、頭の片隅に残り続けていたMちゃんの「自分らしく」という言葉に、やっとハッとした。

 そして、やっと、悩みまくる日々から抜け出せそうな感覚を掴むことができた。

 これまでも何度も目に耳にしてきたであろうありふれた言葉だけれど、やっぱり悩み事というのは自分の中で腑に落ちないと解決しない。

 きっかけになる大きな出来事があったわけではないけれど、ゆっくりと成長し大人になる過程の中で経験した様々な出来事や感情が「自分らしく」という言葉をやっと飲み込んでくれたのだと思う。

自分らしく

 春。
 進級や進学、就職や異動。
 新しい環境になることが多い季節。

 つい周りと比べてしまったり、周りの人たちが大きく見えたり、不安な気持ちになったりしてしまう。

 でも、これまで、これまでの環境の中でやってこられたのなら、これから、これからの環境でもやっていける。

 そのままの自分に自信を持って、「自分らしく」置かれた環境で前向きに努力できる人でいたい。

 24歳。
 さすがに思春期と言える年齢ではないものの、悩みやすい性格がここまで続いてきた。

 中1春の小さな出来事が、抜け出せるきっかけになってくれそうだ。

(何かと時間がかかってしまうのも、"らしさ"の一つだと思うと少しだけ前向きに捉えられる)

 Mちゃん、ありがとう。

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