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見えない敵と戦う人たち

 5/11放送の伊集院光深夜の馬鹿力で興味深い話をしていた。といっても、バカ話の延長で、しかも番組内の視聴者投稿型コーナーでのネタなので、どこをどうとってもまともな論ではない。ただ、真面目な論とおもしろネタの間ぐらいのところに示唆に富む話が隠れていることも多い。落語の一席の隙間に教訓や警句が隠れていることなんてザラだし、なんなら笑点なんかはそういう雰囲気を活かしているようにも見える。

 で、今回の話だが、番組内のコーナーで「直そう、私の偏見カルタ」と称していろんな偏見を題材にカルタを作っている場でのひとコマである。直そうと言ってはいるが、伊集院のラジオにありがちな、直そうって言ってるんだけど、お前たちリスナーならわかるよな?(ネタにかこつけて偏見というよりも世の中のヘンテコな話を書いてこいよ)というものだ。

 問題のネタは『「わ」、渡辺直美は可愛いよ!個性を認めてあげられる世の中がいいな!とかツイッターで呟いている人は、別に、そもそも別に誰も渡辺直美が可愛くないなんて言ってねーのに、見えないなにかとずっと戦っている 』というもの。これは割と真理をついていて、自分が思っていることを主張するために誰かを非難する、批判するということはよくあることだろう。このネタはそこから一歩すすめて、“そういう人”は批判する相手がいなくても実際にそういうことを言う差別的な人がいるという仮定のもとにそれを批判する私という構図を作っているのだ。

 さて、このネタはまだもう一歩進む。このネタについて伊集院は、「最近のツイッターのトレンドは、こういう人いるけど私はそうは思わないっていうことの、”こういう人”が存在しない。自分の脳内にそういう人を作り出している」(大意)と言っている。

 自分の頭の中を怒りでいっぱいにしてしまうひとがいる。その怒りを世界にぶつける手段としてインターネットを使用してしまい、更に怒りを増幅させていくという悪夢のようなマッチポンプだ。熱いハートを持つのはいいが、世界に対して発信するときには冷静な心が同時に必要なのではないだろうか。また、怒りで頭をいっぱいにすること自体を目的にする人は更に厄介だ。キャッチの画像ではないが、インターネットは怒りを探す場ではないのだ。