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祈るために音楽と動画を絶ってみた

先週は小さな挑戦をしてみました。

水曜日の午前、朝7時半(起床時間)〜お昼1時半までの時間、断食をした。朝ごはんを抜き、もちろん在宅ワークの醍醐味である 好きな時間に好きなだけ食べるおやつも抜き。

聖書の時代から、クリスチャンはたまに食事を絶って神様に祈ることがあります。

私は大学時代に学生伝道のミニストリー・サークルに所属していたのですが、メンバーそれぞれが半日ほど断食するリレーを半月にかけて実施する期間がありました。当時は特に熱い想いも、燃えるような信仰もなく なんとな〜く"メンバーだから"という理由で参加したにも関わらず、とても良い体験となりました。どう”良い”体験かというと、祈りに集中できるんです。

普段から異常に忙しい時期に食事を抜いてしまうことがあるけれど、意図的に食事を抜くとどうしてあんなにお腹が空くんでしょうね。その日の朝はいつもよりスカッと目が覚めて、天気も良くて気持ちいいからという理由からラジオ体操をして1日をスタートしてしまいました。朝から体を動かす習慣なんて全くないのに。そのせいで仕事が始まってすぐにお腹が鳴った。(自業自得だチクショウ)

空腹をおぼえると、それしか考えられなくなる。思考が食欲に侵食されていく感じ。

だけどいつもより「祈ろう!」と意識が神様の方を向く。お腹がグゥ〜っと鳴る度に、「主よ...」って心を落ち着かせて祈ることができます。空腹が祈る理由を思い出させてくれる。

断食はその6時間だけだったけど、先週1週間は音楽と映画も絶ってみました。厳密に言うと、毎日のお楽しみであるNetflixとyoutubeをお休みし、クリスチャンの実話をもとにした映画や本、賛美歌のみを観たり聞いたりして過ごしました。

これは音楽好きの親友が昔から定期的にやっているファスティングです。今年チャレンジしている聖書の通読計画がだいぶん遅れているので、聖書を読むことにより集中しやすくなれば良いなと思って、このファスティングを私もやってみました。

ちなみに1日に1回以上、無意識に洋楽とか髭ダンとか聴いちゃってましたね。笑 我に返った時に「わぁ!!!!」って言っちゃうほど、無意識すぎてびっくりした。

面白いなぁと思ったのが、自分の意識がどこに向いているのかを観察することができたこと。食事を抜く「断食」をすると、意識が食べることに向いてしまうし、ぼーっとしてると好きな音楽や映画を観ようとしている。

もちろん食事もエンターテイメントも悪ではないですよ!それらも神様が私たちが楽しく過ごせるように与えてくださったものだと思っています。

だけど、神様は私たちといつも繋がっていたい、親密な関係を築きたいと願って下さっているとも思います。

私も天のお父さんをもっと愛したいし、もっと深く知りたいと願っています。ただ私は自分を律することが得意ではなく誘惑にすぐ負けてしまい、正直 神様のことを忘れそうになることもしばしば。

何かを一時的に断つことで、自分の意識がどこに向いているのか、どういう時に神様のことを想っているのかを体験して知ることが出来るのはとても興味深いです。

いつも当たり前にしていることを止めてみて、自分がどうリアクションするのか観察すると何か面白い気づきが得られるかもしれない。日常の中にある「好きなもの」やその時間を神様に捧げてるっていうのもとてもいい神様との交わりの時間に鳴ると思います。またいつか断食に挑戦しようと思うけど、次は無意識に他の音楽聴いたりしないといいな。笑

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