私のスーパースター
私の大好きなドラマの台詞である。人生何周目かわからない彼もしょっちゅう「人生まさかの連続!!」と口にしている。
2024年が始まってすぐ、その「まさか」は私の身に起きた。
急に崖から突き落とされ、未来が見えなくなった。すぐ横に奈落がある危ない道を走っていることはわかっていた。でも見えないふりをして"絶対に大丈夫だ"と信じて、がむしゃらに走ってきた。頑張れば報われるような気がしていた。が、気がしていただけだった。
この絶望を味わったのは初めてではない。でも今回は「絶対やり遂げる」「やり遂るしかない」と自分を追い込んでいたぶん、衝撃が大き過ぎた。人生で最大の絶望だった。呼吸がうまくできなくなった。人前でも泣くのを止められなかった。重力が5倍くらいに感じた。なぜか全身が痛くなった。
何にせよ自業自得だ。応援してくれていた人たちに合わせる顔がない。一緒に戦ってきた友達に合わせる顔がない。誰より、親に合わせる顔がない。
決して平坦ではない人生を送ってきたと思っている。そのくせ私はとことん楽観的な人間だから、何が起ころうとこれまで「希死念慮」というものとは全く無縁だった。でもこの日はじめて、帰り道、最寄駅から家までの夜道で鉛がついたような足を引き摺りながら、「このままこの世界からいなくなりたいな」と思った。
一夜明け目覚めても、現実が現実であることに絶望した。人生でいちばん絶望的な朝だった。
母にはそのことをまだ話せていなかったが、明らかに沈んだ様子の私を見てか、とても優しかった。私を台所に呼び、おいしいオムレツの作り方を教えてくれた。気を抜くと涙が溢れそうだった。
その後いつも通り机に向かい、しかし何も手に付かず、LINEで公式アカウントの未読を消す意味のない作業をしている時だった。ひとつの見出しが目に入り、思わずタップして開いた。
そして私の目はある一点に引き寄せられた。
どのくらいの時間そこを見つめていただろう。
気がついたらiPadがびしゃびしゃになっていた。
これまで生きてきた中でいちばん嬉しい、とその時感じた。日本でいちばん偏差値の高い学校に合格した時よりも、世界でいちばん有名なホールで演奏したときよりも、そして日生劇場で鳴り響くあのラッパの音を聴いた時よりも、嬉しかった。
いちばんの絶望を味わった翌朝にいちばん嬉しいことがあるなんて、人生はなんて不思議なものだろう。人間万事塞翁が馬。捨てる神あれば拾う神あり。
それと同時に、さらなる絶望も感じていた。日々の努力で夢を叶えた彼に比べて、私はどうだろう。怠惰で自堕落であるために、普通に人が普通にできることすら達成できない。どうしようもなく惨めで、失敗を自分以外の誰のせいにすることもできない、逃げ場のない劣等感。
感情がないまぜになり、何かしようにも全く頭の中に入ってこなくなった。数時間涙が止まらず、気付けば目の前にティッシュの山が積み上がっていた。
話は変わるが、ここで私の「モーツァルト!」という作品への思い入れについて書かせてほしい。
私は小さい時からミュージカルが好きだった。初めてミュージカルを観たのはまだ4歳の頃(※未就学児は本来ならば観劇できません)、演目は渋谷の青山劇場で毎年ゴールデンウィークにやっていた「アニー」だった。
それまでもコンサートに連れて行ってもらうことはあったが、初めて見るミュージカルに私は夢中になった。子役たちが歌って踊ってキラキラ輝いている舞台を観て、もともと音楽が好きだった私は自然と憧れ、気が付けば自分もそこに立ちたいと思っていた。アニーを観に行くのは毎年の楽しみになり、季節を問わず家ではサウンドトラックを流して一緒に歌っていた。
ミュージカル「アニー」に出演する子役たちは毎年オーディションで選出される。6歳の時には最年少の役「モリー」のオーディションを受けた。書類審査と「トゥモロー」を歌う一次審査は通ったが、自由曲を歌う二次審査で預けた楽譜と全く違う前奏に戸惑い、堂々と歌うことができず、落ちた。あの時が今思えば人生で初めての挫折だったかもしれない。悔しくて悲しくて帰り道に電車で泣いていたのを今も覚えている。
その後もオーディションこそ受けられなかったが、毎年アニーは観に行ったし、小学校では同じくアニーが好きな友達と一緒に校庭の竹馬を劇中の小道具のモップに見立てて「アニーごっこ」をしていた。"あの舞台の一部になりたい"という気持ちは変わらなかった。
アニーを観に行かなくなっても1年に1回くらい、母はいろんなミュージカルに連れて行ってくれた。ジキルとハイド、劇団四季のライオンキング、本場ブロードウェイのライオンキング、オペラ座の怪人、ミス・サイゴン、ラガージュ・オ・フォール……
そして17歳の時、帝国劇場に連れて行ってもらって観たのが「モーツァルト!」だった。
前の年に観たミス・サイゴンは、当時16歳の私には曲もテーマも難しくよくわからないまま終わってしまったが、モーツァルト!は違った。切なくて耳に残るメロディー、クラシック音楽をずっとやってきた自分にとってとても馴染みのある「モーツァルト」という題材、そして何より、主演の井上芳雄さんの圧倒的なパフォーマンス。
終演後のふわふわした気持ちを10年経った今も覚えている。ちょうどその回は収録のカメラが入っていたことと、DVDの予約ができる旨がアナウンスされていた。母の「予約していく?」という言葉に思わず頷いていた。
その日の夜、舞台に立っている夢を見た。井上芳雄さんと一緒に歌っていて、とてつもなく幸せな夢だった。モーツァルト!を観て、アニーの時に抱いていたのと同じ「ミュージカルに焦がれ、その一部になりたい」という気持ちでいっぱいになっていた。
17歳ともなると、ミュージカルはもちろん、音楽の道へ進むことは無理だととっくに悟っていた頃だったから、アニーの時のように何か特別行動することはなかった。しかし今思えば、翌年の高校最後の文化祭で、そういう部活に入っていたわけでもないのに人前で楽器を弾き、同じくミュージカルが好きな同級生と一緒に歌っていたのは、やっぱり何か刺激されるものがあったのかもしれない。
文化祭でその同級生は「ダンスはやめられない」を歌っていた。自分の好きなものを共有するのが下手だった私は、モーツァルト!を自分も観たことがあることも、「ダンスはやめられない」がいちばん好きなナンバーであることも言えずにいた。練習の時に同級生が歌っているのを聴くのが幸せで、家に帰ればYouTubeで松たか子さん歌唱の動画を再生していた。
大学で4年間オーケストラに熱中し、しばらくミュージカルを観に行かなかった私が再びミュージカルに触れたのが、2020年前期に放送された朝ドラ「エール」だった。たくさんのミュージカル俳優が出演し劇中で歌っていた。音楽が題材のドラマだったので純粋に楽しかっただけでなく、先が見えず閉塞感がある毎日の支えになっていた大切なドラマだった。
そこで主要人物だった山崎育三郎さんと古川雄大さんのおふたりのダブルキャスト主演での「モーツァルト!」公演決定が発表された時、率直に「これは観に行きたい!」と思った私は、母を誘い、初めて自分の手でミュージカルのチケットを取った。
コロナ禍でいつ中止になるかもわからない中、その日の公演は無事始まった。ミュージカル界が大変なことはその頃ニュースで何度も見ていたし、自分にとっても久々の生の舞台だったこともあり、最初のシーンで木下晴香さん演じるコンスタンツェの台詞を聴いただけで、圧倒され、涙が出てきた。
画面越しにずっと見ていた山崎育三郎さんは、舞台の上でも、いや上ではさらに、キラキラと輝いていた。ラストの圧巻の歌声ではその声量と気迫に、2階の座席に身体が押し付けられるような感覚を覚えた。そして、7年ぶりに観る「モーツァルト!」はやっぱり大好きな作品だった。
この時と同じ頃、私はとあるアイドルにハマり始めていた。メンバーの歌声とロックな曲に惹かれて好きになり始めたアイドルだったが、好きになるきっかけとなった歌声のメンバーがミュージカルに出ていることを知ったのは既にグループを好きになった後だった。
しかもそのメンバーは井上芳雄さん、山崎育三郎さん、古川雄大さん全員と共演の経験があり、モーツァルト!への憧れを口にしていたこともあるというではないか。
運命だと思わずにはいられなかった。大袈裟でなく、私は出会うべくしてこの人の出会い、好きになるべくして好きになったんだと。
その頃から彼の「モーツァルト!」主演は私にとって絶対に叶ってほしい夢になった。別に自分が何かできるわけではないし、周りに言って回るような訳でもないが、ずっと頭の片隅にそのことはあった。小さい願掛けみたいなことをたくさんした。彼がたまにそれを直接的に口にしようもんなら大騒ぎしたし、間接的に口にしたような気がしたら勝手に考察をし、ラジオで一節歌った時(※2022年1月29日放送のSixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャルにおいて)なんかは大号泣した。
特に彼が「20代のうちにやりたいこと」として「モーツァルト!」主演を挙げているインタビューを読んだ時は胸がはち切れそうだった。彼の20代が終わるタイミングはちょうど帝国劇場がクローズするタイミングとほぼ同じことに気が付き、震えた。ミュージカルの情報が解禁されるたびにどきどきしていた。
「まさか」に遭った私は今、親元を離れ、労働と勉強に勤しんでいる。娯楽を楽しむ時間やお金や心の余裕は無い。まず部屋にテレビがない。ラジオは毎週聴いているし、ドラマもTVerで欠かさず見てはいるが、YouTubeはもう何ヶ月もたまっている。雑誌はたまに買う。どんな顔(顔?)して戻ってくればいいかわからなくなり、Twitter(現X)にも浮上していない。浮上どころか、まだ罪悪感があるため空き時間にTLを眺めることすらままならない。
自分の夢どころか、最低限のこともクリアできないこんな私には、キラキラギラギラ輝いている彼らは眩し過ぎる。特に自担は、大きな大きな夢を叶えた彼は、途方もなく眩しくて、直視できない。ファンを「ライバル」と呼ぶ彼に、私はとてもとても、到底太刀打ちできない。完敗どころか、勝負以前の問題である。
それでもニュースや通知で新しいお仕事が解禁されたのを見れば嬉しいし、職場(※ヒットチャートに乗っているっぽい曲がエンドレスで流れています)で音色が流れれば毎回飛び上がるように嬉しい。思うように追えないのが悲しいからあまり考えないようにしていたりもするけれど、考えると思わず涙が出そうになるくらい、やっぱり彼のいるグループが、彼の大好きなグループが、彼らが、大好きで心の支えなんだ。
このnoteを書きながら、タイトルは何にしようかとぼんやり考えている時、不意に「スーパースター」という単語が頭に浮かんだ。
「スーパースター」といえばadidasのスニーカーか東京事変の曲(※私調べ)だが、明らかに今回浮かんだ理由は後者だ。何で浮かんだんだろうと思い、改めて歌詞を読んでみた。
もともとこの曲は大好きだ。「イチローの姿を見て書かれた歌詞だ」なんて話も目にしたことがあったし、数えきれないほど聴いてきた。
しかし初めて、この歌詞の「意味」が頭に入ってきて、涙が止まらなくなった。一言一句全て、私の心情が、そのままそこに書かれていた。歌詞の中の「あなた」は私にとっては紛れもなく彼だった。やっぱり椎名林檎は天才である。
ということでこの曲から引用しそのままこのnoteのタイトルにさせていただきました。ちなみに私は「東京コレクション」に収録されているライブバージョンのスーパースターが好きです。
吐き出したいことを吐き出して気が済んだのでこの読んでも何の得にもならない文章も締めさせていただくが、最後に5ヶ月も言えていなかったこの一言を、この場を借りて言わせてください。
京本大我さん、ミュージカル「モーツァルト!」主演決定おめでとうございます。ずっとずっと、大我さんがヴォルフガングを演じることを願っていました。心から応援しています。
P.S
正直言うと、毎日がエブリデイなのでそれが今日(2024.05.17)だと言うことも忘れてたいたんです。
遅い昼休み休憩中、携帯を開くと
★*+.*.o*_o*.o*o_*+.★
うわああああああああ
★*+.*.o*_o*.o*o_*+.★
しかも、
……………………………………………はい???
えっと、
ちょっと待ってくださいね、
M!いつ開幕でしたっけ……………………??
(慌ててキャスケ検索)
…………………………………
………………………………………………きょもの初日…………??????
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭(職場のトイレの個室内で嗚咽)
ということで慌ててこのブログを書き上げました。(※推敲が億劫すぎる人間なので仕上がったのは今日ですが、その日帰って2時間くらいで一気に書きました。)
本当に、人生ってまさかの連続だね!ジェシー!
その日まで、大我さんの背中を追いかけてちゃんと生きます。
もしも逢えたときは、誇れる様に。