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アベは安保政策で「世界の民主主義の擁護者」となった

安倍元首相の暗殺事件後、世界から弔辞が寄せられた。アベはそれらの中で様々な呼ばれ方をしているが、「世界の民主主義を守った」という筋の褒められ方をしている。例えばヒラリー・クリントンは"champion of democracy"(民主主義の推進者)、フォンデアライエン欧州委員長は"great democrat and champion of the multilateral world order"(偉大な民主主義者で多国間世界秩序の擁護者)と呼んでいる。

これは単なる世辞ではない。アベがどうやって「民主主義と多国間世界秩序を擁護」したかは、他の弔辞が語っている。ジョンソン英首相は「グローバルなリーダーシップ」を賛辞し、バイデン米大統領は"champion of the friendship between our people"(我々との友好の推進者)、オバマ元大統領は"extraordinary alliance between the United States and Japan"(日本と米国の間の並外れた同盟)、アルバニージー豪首相は"He changed things for the better not just in Japan, but in our region and around the world."(彼は日本だけでなく、我々の地域と世界を良くした)そして米豪日印のクアッド連名で「開かれたインド太平洋」構想の構築への賛辞を述べている。

彼は安保政策において、非民主的な"仮想敵"と位置付ける勢力——日本側の思惑としては北朝鮮や中国、日本側としてはそうではないが米国側の思惑としてはロシア――の拡大に対する対抗策として、自由主義・民主主義を奉じる同盟を、既存の日米同盟を強化しつつ、東南アジア・南アジアに拡大する政策を取っていた。インドにおいて日本人としては異例の服喪期間を設けられたのも、その政策あってこそと言える。

もっとも、アベの構想自体は陣取りゲーム的な角逐の色があり、これで実際に戦争が起こったりしなければ、実質的な仮想敵であってもおおっぴらにそう呼んで刺激したりすることは避けられるため、ここまでの世辞が付くことはなかっただろう。

プーチンのような大馬鹿者が本当に戦争を起こし、自由主義・民主主義の軍事同盟がにわかに重要性を増したことで、アベの主導した安保政策・軍事同盟の構築が功績とみなされ「民主主義の擁護者」として世界的に公認される結果を生んだのである。恨むならプーチンを恨んでほしい。

恨んでくれよ、プーチンを

ところがである。日本にはプーチンを恨むどころか擁護するものが多くいる。しかも、琉球新報など、反基地派でアベ政権の安保政策を批判してきた護憲勢力の中から多数、ロシアの戦争を擁護し、あまつさえQアノンと相互にRT関係となりブチャなどでの虐殺の否認を始めるものがいる始末である。どちらが政治的に正しいかは言うまでもない。

このままでは、世界から「自由と民主主義の擁護者、安倍晋三」「違法な侵略と虐殺を擁護する、平和と自由の敵、ゴケンハ」と呼ばれかねない状況になっている。

――いや、上は煽りで書いているのだが、それにしても同意見の身内にロシア擁護がかなりいるのはまずいので、危機感を持ってほしい。アベが世界から「自由と民主主義の擁護者」と呼ばれることが我慢ならないなら、ちゃんとプーチンを恨んでほしいし、ロシアの侵略行為を擁護しているお仲間に徹底してノーを突き付け、彼らに「護憲派」を名乗らせないようにしなければならない。そこはけじめをつけるべきだろう。

集団安全保障の正当性

つい昨年まで、「国家間の戦争はもう起きない」とぼんやり信じられ、特に欧州では軍事費は無駄扱いされ徐々に軍縮し、「戦争のない世界に軍隊はいらない」という状態に近づきつつあった。

しかし今年、世界は平和から大きく後退し、世界はプーチンのような大馬鹿者の出現を前提にしなければならなくなった。ドイツさえ政策を大転換し、軍拡を行うことになってしまった。このため、軍縮の次善の策として集団安全保障を推進するのが世界の「政治的に正しい」態度となっている。

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各国が単独防衛をする場合、防衛目的を果たすには全ての国が隣国より強くなりたいと考え、このため軍拡競争が起きる可能性がある。軍拡競争を防ぐには、世界の多くの国が「戦争を仕掛ける馬鹿が出たら残りの国が協力して全力で叩く」いう同盟を組めば、同盟が半々に割れるような事態にならない限り防衛側が侵略側より確実に多くの戦力を得ることが出来、防衛のための軍拡競争が起きなくなる。この考えは集団安全保障と呼ばれる。

集団安全保障は単独防衛に比べ定性的にはより良いと言えるので、国連も国連軍やPKOとして実際にこれを実施している。任意同盟であるNATOや日米同盟も、広域である場合このミニ版と言えるだろう(少なくとも単独防衛に対して費用対効果が大きいのは明らかである)。

護憲派はこの先のどこへ行くか

集団安全保障体制の中では、日本も少なくともPKOなどは派兵を求められるだろうし、そうなれば現地武装勢力との交戦が発生し、戦死者が出てくる可能性もあるだろう。また、今回のウクライナの件のように、派兵はしなくても武器を送ることが義務であるかのように考えられるケースが出てくることもあるだろうし、その時には武器輸出三原則を、国連や自由民主主義同盟の考えに沿う形で変える必要性もあるかもしれない。

そして、これは前から言われていることではあるが、日本には憲法の絡みで交戦状態・軍法の規定が曖昧ではないかという質問は自民立憲共産の各党から出されているような状況にある。

「民主主義の擁護者」として国連や西側諸国と緊密に連絡をとりお墨付きを得たうえでの集団安全保障への本格参加を前提として、改正の範囲を9条だけに限定し、守るべきものを守った改憲という方針は、ありうるのではないかというのが私の意見である。

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