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郊外歩きvol7.煙町

 この村は、いつだって煙たい。正確には、蒸気のせいだ。どの建物を見ても煙突のようなパイプや、換気口がついている。瞳の色は緑が多いか。村の子供はみんな、蒸気機関についての授業が必修で、村の誰もが機械いじりを得意とする。何かしら工具をいつも腰に下げ、肩から下げているタオルは人のではない油で真っ黒だ。だが、宿にあるタオルはちゃんと真っ白だった。ベットシーツも、枕カバーも真っ白だ。聞くところによると、この町の人は毎日湯船に浸かるらしい。部屋にはユニットバスがあったが、ここの名物は「露天風呂」だという。泊まらず、ここの風呂だけを利用しに来る村人も大勢いた。彼らはその日の労働の疲れを癒しにやってくる。
 露天風呂は外にあるが、脱衣所を抜けるとまず、鏡とシャワーと洗面器と椅子がワンセットになったコーナーがズラリと並んでいる。ここで体の汚れをしっかりと落としてから入るのが、マナーなようだ。私もそれに倣う。シャワーの湯加減が調節しやすかった。ちょっと自慢の、私の長い金髪も心地よさそうだった。
 露天風呂に入ろうとしたが、目を疑う光景が広がっていた。湯に、果実が浮かんでいるのだ。それも一つではない。近くにある木を見上げたが、実をつける木には見えなかった。ポコポコ、ポコポコ、一つではない、複数浮かんでいる。いい香りがする。村の子供は、それらを弄びながらはしゃいでいた。一部の老人は、その果実の皮を剥がし、食していた。残された外皮と、薄皮は、風呂のへりに置かれていた。宿のスタッフが片付けるのだろうか? でも、はしゃいだ子どもが起こした波で、どっかに流れていってしまった。大人は、というと、はしゃぐまでいかないにしろ、つついたり、手のひらで包んだりして、香りを楽しんでいるようだった。私は、ギリギリ大人に分類される年齢なので、香りを楽しむだけにとどめた。食す勇気がなかったとも言う。
 しかし、夕食にあの果実が出された。丸ごと出されたのではなく、スープに、あの果実の皮を、細長く切ったものが入っていた。香りで気づいた。
「この皮は食べられる?」
「おすいもののゆずですね。食べられますよ」
ゆず、と言うのか。さっきの老人は残していたが、皮も食べられるらしい。それ自体は、味を楽しむものではなく、やはり香りづけのための食材らしい。

 食事の後、ベッドで寝ていると、謎の異音で目が覚めた。人の声のような、気味の悪い音だった。壁にかかっている、額に入った風景画が落ちた。裏側には、これまた謎の長方形の紙が貼られていた。模様が書いてある。宿のスタッフを呼ぶ。ドア口で事の次第を説明すると、
「めいしんです、めいしん」
「私は、どうしたらいいんだ?」
「めいしんめいしん」
と繰り返すばかり。私も
「めいしんめいしん」
と、唱えるとスタッフは去っていってしまった。だが、謎の異音もしなくなっていたので、「めいしん」とは、何かしらの機械の異音を止める、スイッチのような役割を持つ言葉なのかもしれないと考えた。そのまま寝た。でも、朝になるとかけ直したはずの風景画はまた床の上に落ちていた。そして、なぜか部屋のドアが半開きのままだった。

 朝食を摂り、宿を出て向かった先は、時計屋だった。時計というと、私たちの都会では、腕にするか、携帯端末に備わっているものだ。でも、この店にある時計は、随分と大きかった。文字盤が顔ほどのものや、私の身長くらいある箱に、振り子と一緒に入れられた時計もあった。振り子は常時動いており、

「これは蒸気で動いているのかい?」
「違うよ。一度振れたら、ずっとこうさ」
そんなバカな、と思ったが、振り子の原理というのは本当らしい。燃料も、電力も要らない。しかし、揺れてしまってはいけないらしい。まあ、大きさからして持ち運ぶものでなないし、半永久的に動き続けることができるのだろう。
 時計屋の息子、ショウキが、昼食を振舞ってくれた。さっき私を小馬鹿にしたように笑い、振り子の説明をしてくれたのが彼だ。私と同い年だった。黒髪をちょびっと、後ろで束ねている。
 肉まんという食べ物には、白いパン生地のようなものに、あん、と言う具が入っている。これは、蒸気で加熱してできるものだ。ショウキは、出来立てをそのまま頬張っていたが、私には無理だった。熱すぎる。
「その熱々のが美味しいんだけど、少し冷めちゃっても美味しいよ」
二つに割ると、中から、もわっと、熱々が立ち昇った。それが消えるまで待ち、食べた。豚肉の汁が染みた生地も美味しかったし、具の食感も好きだ。
「たけのこかな? 味はあんまりしないけど、美味しいよね」
首を縦に振って、肯定の意を示すと、彼は、にっ、と笑った。

 昼食後、ショウキの運転する車に乗せてもらい、海を見にいった。初めて見る海自体も十分珍しかったが、港にはちょうど、蒸気で動く船が出航するところだった。プロペラやスクリューがぐるぐる回るので見ていて全く飽きないのに、どんどん沖に進んで、やがて見えなくなった。
 砂だらけの地面を横切ると、青い、波打ち際についた。あっさり書いたが、ここまでくる道のりは決して平坦なものではなかった。裸足で砂を踏みしめたのはいつぶりだろうか。硬い殻を持つ生物が粉々になったものが、砂には混じっているせいでチクチクするのだと、ショウキは言う。彼も少し辛そうだった。海の水に足をつけると、足裏についた砂を攫っていった。痛みも、その水の冷たさで和らいだ気がした。海水の中で足を振ると、足指の間にある砂も落とせた。
 奇妙な生物もいた。それはまるでゼリーだった。それは、砂の上にいて、随分ぐったりしていた。ショウキはその子を両手で掬うと、ぽいっと、海へ放った。
「僕は皮膚が厚いから触っても平気だけど、君はやめておいたほうがいいよ」
その生物はクラゲというらしい。コンタクトレンズの端に、細い毛のようなものが生えている。その毛が獲物を捕らえるための手の代わりらしい。近くによるだけなら大丈夫だろうと、その子が放られた場所までバシャバシャと歩いていくと、結局ぐったりした様子で、そこに漂っていた。
「死んでしまった?」
「いや、わからない。こいつは泳ぐのが上手くないんだ」
頭の部分なら、触っても大丈夫だというので、優しく、その表面を撫でてみた。ぬらっ、とした。ベタつく、というほどではない。体液然としている、ぬるつきだった。親指と人差し指をペタペタつけたり離したりしながら、ちょっと変な気分になった。毛の部分の感触も気になる。しばらくみていると、少し動いていた。
 帰るには、また砂の上を行かなければいけなかった。足が濡れているところからスタートする分、帰りの方が大変だった。車の場所に着く頃には足が乾いていて、砂ははらっただけで落とせた。若干足にかゆみがあったが、家に帰るまで我慢しろと言われた。

 店先に車を停め、降りた瞬間だった。地面が、鳴った。ショウキが身構えるのがわかった。私はとても驚いたが、昨夜知った、
「めいしんめいしん」
を、唱えた。が、ショウキは、
「じしんだよ、じしん」
そういうと、地面が揺れだした。
「じしんじしん」
「体勢を低くして」
ショウキに習って屈んだ。大きな音がした方を見ると、店の大きな時計が揺れてしまっていた。

「じ、じしん、じしん」

唱えてもなかなか揺れは収まらなかった。

やっと収まった頃には、時計たちはぐったりしてしまっていた。店にいた、おじさんとおばさんは無事だった。
 時計たちは、修理したら、また動き出すらしい。
 でも、じしんは、どうやっても、いつかまた動きだしてしまうらしい。

 ショウキ一家は、店が大変だろうに、僕を見送りに来てくれた。おじさんは、ここは危ない土地だから、と言って、その先は続けなかったけど、二度と来ない方がいいと、言おうとしたのかな。ショウキは、気をつけてねって言ったきり、何も言わなかった。私を元の国に攫いに来た、この村の名物である蒸気機関車は、とっても煙たくて、うん、皆まで言わせないで、涙がでたんだ。振り子は永遠に振れていて欲しかった。

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●ジェラルド・マコト(Gerald・Makoto)

エッセイスト。西都の下町に生まれる。『おやつはリコリス、チェリーパイ』(スイーツライフ文学賞)でデビュー。現在もバックパッカーとして、世界を見て回っている。本連載をまとめたオムニバス『旅は短し、恋せよ土産』が好評発売中。

※煙町は先日起きた、じしんによる甚大な被害を受け、現在は立入禁止区域となっております。

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 『郊外歩きvol7.煙町(復興キャンペーン特別再掲企画)』、雑誌を閉じる。記事には、僕が工具を片手に時計修理をしている写真が載っていた。

 いつか彼が、何か大きな賞を獲ったら、僕が作った大時計を贈る。その約束が果たされますように。

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