無言語のコミュニケーション

 僕は小無 翔太郎。さいきん、あらゆる事が虚しい小学二年生だ。なぜ虚しいかというと、あらゆることは間違っているかもしれないし、間違っていないかもしれないからだ。そんな不安定な中に生きていて、どうして充足した思いを抱ける?そして、そんな僕の切実な思いすら、間違っているのかもしれない。そんな現実が苦しくてなにも信じられないのだ。
そんな事を考え、校舎の廊下を歩いていると、数人の男子に囲まれた。どうやら、一年生の男の子達みたいだ。

「おっす。キミ、どこの保育園卒?」

 一人がそう言って、彼らはヘラヘラとにやけながら、値踏みするかのような視線を向けてきた。絡まれたな。僕は気弱そうに見えるだろうし、手頃な相手に見られたんだろうな。察しながらも、正直に答えた。

「僕は幼稚園なんだ。白樺幼稚園卒」

 すると、さっき聞いてきた奴とは違う奴が「あ、オレもそこだわ」と言ってきた。「あーなんかキミみたいな人見たことある。センパイよろしくね」と彼は続けた。ヘラヘラとしたニヤケ顔は、明かに彼が僕のことを軽んじている事を意味している。

「僕は君みたいなのは見たことないけどな」

 そう言ってやろうかと思ったが、みっともないのでやめた。それから僕は、適当に彼らに合わせて何言か話し、その場を後にした。 
 学校が終わって、放課後の下校途中。僕は道端の自販機で買った、コーヒーゼリーの入ったカフェオレを飲んでいた。
 今日の出来事が、未だに心の中に引っかかっていた。僕は、一年生にナメられて悔しかった。しかし、それはただの感情にすぎないこともわかっていた。僕が判断しただけで、本当に彼らが僕をナメているかどうかはわからない。彼らが僕の嫌いなタイプだとしても、彼らには僕に話しかける権利があった。この僕の思いは、言葉で説明できることではないのだ。いや、言葉で説明するべきことではないのだ。ただそこに現実としてあるもので、そういう実感が僕に与えられているだけなのだ。言葉にして説明するとそれは言葉の話となって、別の話になる。僕は言葉についてではなく、「ある」について考えている。今回のような事例に限らず、結局このような「ある」が社会をかたちづくっているのだ。コーヒーゼリーが、うまい。考えても仕方がないんだ。これが本当の強さだ。
 翌日。今度は問題児の無間 豪くんに絡まれた。校舎の廊下でぶつかってしまったのだ。
無間くんは僕の腕を引っ掴むと、なにも言わず、ニヤリともせずに、殴ってきた。拳は鳩尾に入って、あまりの痛みに蹲み込んだ。無間くんは、それを見ても気にせずに、僕を蹂躙し続けた。終わった時には、僕はボロボロだった。

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