見出し画像

前世―後編

2023年2月8日 日本武道館
ヨルシカLIVE 2023 「前世」

前編 : 08.チノカテまでのレポート


■SETLIST
朗読① 緑道
01. 負け犬にアンコールはいらない
02. 言って。

朗読② 夜鷹
03. 靴の花火
04. ヒッチコック
05. ただ君に晴れ

朗読③ 虫、花
06. ブレーメン
07. 雨とカプチーノ
08. チノカテ

朗読④ 魚
09. 噓月
10. 花に亡霊

朗読⑤ 桜
11. 思想犯
12. 冬眠

朗読⑥ 青年
13. 詩書きとコーヒー
14. 声
15. だから僕は音楽を辞めた

朗読⑦ 前世
16. 左右盲
17. 春泥棒

朗読⑧ ベランダ

◾︎魚

舞台の前にスクリーンが降りて、そこに映し出された映像には雨が降っていた。
薄暗さを夜だと勘違いした街路灯が、月のように光っている。人生は勘違いばかりだね。
それを見た「彼」は、いつものように夢の話を始める。
今回は、魚だったときの話だ。
気持ちよさそうに泳ぐ魚。
水面を跳ねて、痒い鱗を掻く。この描写も好き。
魚の小さな頭では考えられなかった、というところも愛おしかった。

スクリーンが上がる。
舞台装置が転換して、百日紅とベンチはなくなっていた。
バンドに加えて、ひな壇に乗るストリングスが現れていた。
奥に置かれた白いソファには色とりどりのクッションが置かれている。
袖に柱が増えて、額縁に入れられた絵画や写真やヴァイオリンが掛けられている。

嘘月

「雨が降った、花が散った」
ピアノの伴奏と共に歌が始まる。
実は、わたしは「噓月」がすごく好きで、「噓月」が始まっていること、ストリングスアレンジになること、舞台の転換のことも併せて、目の前の状況に頭が追い付いていなかった。
嬉しい。嬉しい。
さらに上品で華やかになった「嘘月」は、もはやそれ自体が羽衣を纏った月の化身であるかのようだった。
ドラムの代わりのジャンベの音が柔らかい。リムも好きだけど、ジャンベも可愛いね。
Masackさんは、さらに足首にも鈴を付けて鳴らしていた記憶がある。パーカッションとしての興味が強い。
軽い花びらが空気に踊らされて散っているみたいな間奏のフレーズが好きだし、ゆっくり落ちて行く雨の雫の軌跡みたいなサビの下降分散和音も好きなんだ。
suisさんの歌声がずっと優しい。
嘘ばっかり言う歌詞も愛おしい。
美しい夜を見せてくれる曲だと思った。

花に亡霊

優しい曲が続く。
カホンの砂粒を打つような音がいい。
武道館の高い天井に花模様のライトが映し出されていて綺麗だった。
スナップ音もありがとう。
「言葉じゃなくて時間を 時間じゃなくて心を」の切な歌い方で心臓がぎゅっとなった。
こちらはコートも着ているのに、「氷菓」という言葉にも違和感を覚えないほどの温かさがあった。
ヨルシカの歌う夏はいつも涼やかで、いい意味で季節感がない。なんていうか、日本の夏はじめじめしているでしょう。

◾︎桜

雨宿りのために「彼」の家へ到着した2人。
大丈夫、じゃなくて大丈夫かい、と聞くのがいいなと思った。
「これ、楽しかったなぁ。」
狂い咲き、と話題になった季節外れの桜の元に行ってみれば、満開ではなく、花がいくつか咲いているばかり。想像と異なる様子に2人は笑いをこらえながら、持ってきたレジャーシートを広げてお花見をしたのだった。
このエピソードがとても好きだった。花もシートも微妙だったけど、2人にとってはそれが楽しくて幸せなことだった。
光るランプに手を翳して、そこから溢れる熱で掌を温めているような心地がした。
「本当に、楽しかったんだ。」
「楽しかった」という過去形の言葉に、わたしも苦しくなる。
窓の外には雨が降っている。
薄暗い家の中から、ぼんやりと明るい雨の景色を眺めている。

今更になって、舞台セットが「彼」の家であるということに気がついた。

思想犯

アコースティックギターのアルペジオが流れて、バンドサウンドとストリングスでさらに壮大になった「思想犯」が始まる。
Bメロのドラムが好きです。タムが多くて心臓がドクドクになる。
なんだかもうつらかった。
ヨルシカの攻撃的な歌詞は悲しい。
胸の内のどうしようもない破壊衝動や妬みや孤独感を、歌に変えることでしか生きていられない人間がそこにいるのだと思った。
後から知った情報だけれど、この時スクリーンに映されていた映像の中には、髑髏や枯れた花などがあったらしい。
死を忘れるな。別れは迫っている。


下鶴さんのアコギの音に、次々と楽器が加わっていく。
メロディオンの、木枯らしみたいな流浪の音がする。

冬眠


意識を手放して揺蕩っているようなイメージを持っていたけれど、むしろ疾走感のあるナンバーなんだと思った。
だけど、やっぱり雪が無音で降り積もっていくみたいな、冷えた静けさもあって、不思議な曲だった。
「水になって 花になって」という歌詞の意味が今ならわかる。
いくつもの生を駆け抜けている気がした。
バンドメンバーもしっかりと拍を刻んでいたし、ギターソロものりのりでよかった。エフェクターのことは全く分からないけれど、ここの音がとても好き。

◾︎青年

詩書きとコーヒー


個人的に、一番予想できなかったナンバーだった。
「わかんないよ」だけで1曲歌えるんだなぁとか考えていた。
歌詞のことを考えていたら、不埒な解釈を思いついてしまって悶々としていた。

白い照明が客席を照らしていて、朝が来たみたいだと思った。
suisさんの周りに光の輪ができて、天使のようだった。
舞台上のドライアイス(スモーク?白いもくもくのこと)が焚かれていたのもこのくらいだったと思う。
あまり演奏のことを憶えていない。

だから僕は音楽を辞めた

最初のバスドラムだけでこの曲が来るのだとわかってしまう。
この曲もやっぱり「月光 再演」で聴いたときの思い出が鮮明である。「歩く」以降、エンディングに向けてスパートを掛けていくセトリに打ちのめされることしかできなくて、「だから僕は音楽を辞めた」のときは本当に嫌だった。その先の結末が来ないでほしい一心だった。
しかし、今回のライブの中ではこの曲は過去だったので、アルバムのページを捲っているような心地で聴いていた。
「間違ってないだろ 間違ってないよな」のあとのダイナミクスで、やっぱり涙腺がぐぐ、と刺激された感じがした。
ストリングスアレンジのおかげで、幽霊に翼が生えているみたいだった。(幽霊も鳥も関係ないけど…)
転調、suisさんの力強い歌声が響く。
魂、魂が可視化できるなら、燃えていたんだと思う。
でも、この曲が終わってもまだライブが続く予感がしていた。魂はまだ旅を続けているのだろうから。


◾︎前世

「彼」はかつての習慣で「おかわりはいる?」と口にしてから、ふと溜息を吐く。
「私」の頭を撫でて、もう一度深く溜息を吐いて。
「…、何を言っているんだろうな。」

伏線は丁寧に張られていた。
驚いた、というよりは、欠けていたピースが埋まった感覚で、水みたいに浸透していった。
ひとつひとつの言葉が苦しい。

左右盲

この曲は、記憶が薄れていく様子を左右盲に擬えているそうだけれど、今回のライブにおいて、その記憶とは前世のことなのではないか、とぼんやり考えていた。「彼」はかつて人間だったことは覚えていても、水の底から月光を見て抱いた思いまでは覚えていない。
「うまく思い出せない 僕には分からないみたい」という歌詞が、たまらなく寂しく聞こえた。
サビのハモリがキタニだったという衝撃がすごかったよ。サビはずっとキタニのことを見ていた。


春泥棒

春泥棒だ…!と思っていたら、いつの間にかCメロになっていました。サビの鈴の音を聞き逃した。
フレーズごとに、バンドメンバー1人ずつにダイヤ型のスポットライトが当たる。
カーテンコールみたいだ。
原曲と違うフレーズを爪弾いてくれるメンバーたち。愛です。ここだけでもいいのでもう一度聴かせてくれないか。


「愛を歌えば言葉足らず」で照明が暗転する。
ふと、何かが天井から舞い落ちていることに気がつく。


「はらり、」
世界が弾けた。


銀テープと花びらが会場に舞っている。
文字通り、言葉なんかでは語れない景色だった。
わたしはあの情景と感動を語ることを放棄しようと思う。言葉を尽くそうとするほど、なんだか景色が言葉でしかなくなってしまうみたいなのだ。

「あと花二つだけ」

もう終わりが来てしまう。

「もう花一つだけ」

やっぱり嫌だなぁと思う。
時間は有限で、結末は必ず訪れる。

「ただ葉が残るだけ、はらり」
「今、春仕舞い」

舞台の中央には、百日紅の木が再び佇んでいた。


◾︎ベランダ

バンドメンバーは舞台を去って、n-bunaさんとsuisさんは椅子に腰掛ける。suisさんの姿勢が良い。
n-bunaさんが本を開く。
「私」の言葉は「彼」には届かないけれど、感情だけでも伝わればいいなと思った。
予想外なことに、「私」は勘違いに気が付いても悲観的にはなっていなくて、しばらく楽しそうにくつくつと笑っていた。

「貴方はいつかこんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか。」

n-bunaさんが声のトーンを上げて、クライマックスを物語る。

ひとつだけ許せないことがある。
なぶなさんはこういう、ふと作者の言いたいことが入り込む瞬間を好きだと言っているけれど、その時物語に浸りすぎていたわたしは「誰やねん」と思っていた。
明らかにここは「私」の言葉ではなくて、誰かが作品に介入している感じがした。
見ていたその時は邪魔だと思った。
今綺麗なところなんだから、邪魔しないで。

そうして、「負け犬にアンコールはいらない」から仄めかされていた物語が、ようやく1本の線となってひとつの結末を迎えた。
わたしはそれを待ち望んでいたので、このことがとても嬉しかった。
きっとふたつの魂はこれからも旅を続けて、再び出会いと別れを繰り返すのだろうと思う。
舞台上の2人がお辞儀をして、それぞれ上手と下手にはけていく。
しばらくは放心状態で言葉も出なかったけれど、見ることができて、聞くことができて本当によかったものがたくさんあった。

そういえば、花びらは百日紅だったらしい。
散れば咲けよ。


思い返してみた今は、あれが愛着の湧く要素だと言える。

「貴方はいつかこんなにも美しかった夜のことを忘れてしまうのだろうか。」

これは「私」から「彼」へ向けられた言葉であるし、きっとヨルシカからわたしたちに向けられた言葉でもある。
それでも、もしわたしがヨルシカから離れる未来があったとして、あの夜を、とろりとした17日目の月を、美しいと思ったことは無くならない。
それで許してもらえないだろうか。


どうか、これからの彼らが行く先にも優しい月光が降り注ぎますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?