月と散文、ペンと韻文

5/8

  5月になり、なんと連休も終わってしまった。
  月のはじめに夏蜜柑の白い花が初夏の匂いを醸していたのに、昨日の激しい雨がもうほとんど散らしてしまった。
  このくらいの季節がずっと続けば良いけれど、なんでもそういうわけにはいかない。


  今日は涼しくていい。ブラウスに厚手のカーディガンを羽織っても暑くないほどである。


  しばらく日記を書いていないが、それは何かを書き留めておくほどに思考をしていないということだと思う。何も考えていない。
  卒論構想の最初の発表が6月の末にあるので準備を進めなければならないが、それも遅々としている。せめて叩き台を作るくらい早くやれと思う。やります。

  数冊の本をのろのろと読んだ。
  先日、本屋でタイトル買いした『月と散文』というエッセイ集が良い。又吉直樹作品を今までに読んだことは無かったが、先々月に読んだ山頭火と放哉の句集にも編者として名前があったので、こちらとしてはなんだか縁があるなぁという心持ちである。

  「月と何某」という題名に一度は目を止める性分で、安直である。「月とライター」「月と革靴」「月とカレーライス」、なんでもいけそうな気がする。ただしありきたりでもあるから、やはり「何某」の部分には意外なものが当てはめられた方がいいのかなと思う。エッセイの中に、存在しない物語で読書感想文を書くという話があって朗らかに読んだけれど、これで実行できてしまうかもしれない。
  今週はヨルシカの「月と猫のダンス」と題されたライブに行く。

  語感だけで脱線するが、「スキップとローファー」のアニメが可愛くて、原作の購入を検討している。

  取り留めのない出来事にも意味を見出して大切に記憶していられる人間になりたい。これはエッセイ集の感想である。



  4月はいくつかの展覧会に行った。
  渋谷にある松濤美術館の「エドワード・ゴーリーを巡る旅」が良かったので、今回はその話をしようと思う。
  作家自身のことは何も知らなかったが、展覧会のポスターデザインが素敵で目を引かれたのと、版画やエッチングに似たペン画の雰囲気が好きなので、この独創の絵本作家の展示を見に行くことにしたのだった。

  エドワード・ゴーリーは、20世紀アメリカの絵本作家である。ペン画によるモノトーンの繊細な線描と独特な世界観で、世界中に熱狂的なファンをもつのだという。ティム・バートンを連想させるような、そういうブラッキーな雰囲気が漂う作風である。

  なんといってもキャラクターたちが可愛く、魅力的なデザインをしている。やはりやや不気味な化け物たちである。
 『うろんな客』の通称「うろん君」は、ペンギンのようにぼてりとした黒い身体にスニーカーを履いて、読めない表情を浮かべている。突然現れては人の家に居座ったり、本のページを破いてしまったりして、人々を困惑させるが、どことなく憎めない部分があるように思われる。なんにも分かっていなさそうな、呆けた顔をしている。なんにも責められません。

『うろんな客』原画 1957 年 ペン、インク、紙 ©2022 The Edward Gorey Charitable Trust


 『音叉』という絵本に登場する海の怪物は、尾びれのある黒い巨体に2本の腕と大きなエラを持つ。こいつも感情の読めないカオをしているが、心無い家族が原因で世を儚み、海に身を投げた少女「シオーダ」の話を、怪物は親身に聞いてやるのである。優しい。このあと、少女の家族が次々と不幸に見舞われていくのはなぜだろう!はは。

  ゴーリーの作成した絵本において、登場する子供や少女たちは大抵幸福な結末を迎えない。少なくともわたしには、どこにもやりようのない虚無感が手元に残ったのだった。
  それに対して嫌悪感を抱かなかったのは、ご都合主義のハッピーエンドやドラマティックな悲劇にばかり心を動かされてきたからだろうか。わかりやすい物語が長いこと好きだった反動なのかもしれない、などと考えている。人々も同じなんだろうか。
  そういうわけで、彼の絵本が「大人向け」として売られたのは、個人的に正解だと思った。彼自身は子供向けとして出版したかったようだが。子供に読ませるとしても、NHKの「みんなのうた」を見せるようなもので、当時はトラウマになって、大人になってから意味がわかるようになるんじゃないかと思う。

  ただ後味の悪い話として終止するのに留まらないことには、もちろんゴーリーの手法やバランス感覚に依るところも大きいのだろう。絵本の登場人物はデフォルメされていて、その画面には生々しさがない。あくまで絵本の物語であるという境界線が、画風にあると思う。
  あるいは登場する悪魔や怪物が、その圧倒的な能力で物語をめちゃくちゃにしてしまうという理不尽に、ある種の爽快感があるのかもしれない。だってめっちゃ強いもの。いわゆるチートである。

  会場の2階にはソファーのスペースがあって、実際の絵本を読むことが出来た。そうだ、韻文も良かった。英語の韻文にはあまり馴染みが無いが、絵本らしく簡潔で、声に出して読みたい気持ちになる。
手書きのレタリングも良い。カリグラフィーに永遠に憧れていて、練習本を買おうかなと5年くらい考えている。
  絵本、買えるのかしらと思ったら、ショップで用意されていた! 海の怪物の登場する『音叉』と図録を購入しました。

  ゼミで「展覧会評にはひとつ短所も盛り込みましょう」と習ったが、今回はただの感想文ということにして逃げます。

  久しぶりにこんなに書いたので、終わりにしようと思う。ブルターニュの展覧会の話がずっと下書きに留まっている。


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