#それぞれの10年

なんとなく久しぶりにnoteを覗いたら飛び込んできた「それぞれの10年」という記事。

私の中に

あぁ…あれから10年も経つのかぁ…

という気持ちは、一切ない。

当時、私は長男を妊娠中だった。7ヶ月だった。友達と他愛もない事を電話で話していた時、ニュースで仙台空港の映像が流れてきた。「ん?ちょっと待って…何かあった?」

被災地からは程遠い地方に住んでいた私は、自分の知らないところで何が起こっているのか全く把握できていなかった。それから毎日が震災のニュース一色となり、CMも公共広告機構のものになった。同じ日本の何の縁もない土地…だけど何かしなければいけないんじゃないだろうか。いや、したい。何か出来ないだろうか。そんな焦燥感に囚われてニュースから目を逸らしちゃいけない、こんな大変な方たちがいるんだ!と思い過ごしていたら私は、初めて鬱状態になっていた。正確にいうとマタニティブルーだったのかもしれない。何をする気になれず、ただハラハラ涙を流して世を憂い悲しむ。お腹の子供の事を考える余裕すらなくなっていた。心配した家族から少し情報ツールから離れてみたらどうかと言われた。

そこで私は、テレビを消した。

今思えば、当時も自分の非力さに嘆いていたのかもしれないが、改めて今でもなんて非力で傲慢なんだろうと思う。お前に何ができる?と毎日言われている様な気持ちになっていた。その事で勝手に落胆し、嘆き悲しむしかない自分に呆れていたのだろう。

とにかく私に今できるのはお腹の子供を産む事、話はそれからだ。と切り替えられたのは、自然には勝てない勝てるはずもない…と絶望したその年も何事もなかったように咲いた桜が散り始めた頃だったか。とにかく大きなお腹を抱えて人に会いに行き、先輩ママの話を聞き、すぐに来るであろう忙しい日々に思いを馳せた。そうする事しかできなかった。本当に非力である。

そしてその後無事に長男が誕生し、今年で10歳になろうとしている。毎年毎年あれから何年と息子の歳を数えるよりも震災の事を先に思い出す。結局私に出来た事は、物品を送ったり微々たる募金を続けるしかできなかった。

だけど忘れない自信だけは、ある。

絶対に忘れないし、忘れさせてくれない。

先日また東北に震度6強が襲った。他にも毎年の様に様々な災害が起こっている。安らげる場所を沢山の方が奪われている。母になり少しは逞しくなったけど、この嘆きの自問自答だけは10年前と同じで答えは、見つからないまま同じ事しかできない成長のない私なのである。息子の成長の様にいつまでも傍観者でしかない自分を少し成長させたい。

#それぞれの10年

#2011