見出し画像

父と一度だけハイタッチ〜水泳がくれたもの


 とんでもなく運動ができない女の子だった。まず走るのが遅い。走り方も何とも珍妙で、うまく前に進めていない自覚がある。球技?ダメ。一度に複数のこと(ドリブルしながら走る等)ができないし、肩の力も異様に弱い。だいたいバスケットボールは重いし、バレーボールは痛い。書いているうちに、体育や運動会などの悲しい記憶が去来して、大人になって良かったと安堵する。

 一つだけ。たった一つだけできるスポーツが私にもある。「水泳」だ。

 海育ちで、浜辺で遊んで過ごした。夏休みは毎日海で泳いだ。海の中は自由だ。浮力を借りて、力いっぱい前へ進むことができた。走るのと全然違う感覚。水の中は静かで楽しい。

 小学5年生の時、水泳の指導に熱心な教頭先生が赴任してきた。同級生が11人しかいないような、とっても小さな学校だから、当然プールなんてない。マイクロバスに乗って15キロ程離れた隣の小学校のプールを借りに行く。教頭先生が来てからは、それまでなんとなく遊びの延長だったプールの時間が「練習」の時間になった。

 海っ子の野生児たちの泳ぎを、先生が丁寧に直していく。私は平泳ぎを教わった。手の使い方、足の使い方。飛び込み方も習った。指先をまっすぐに伸ばし、手から鋭く水に入る。飛び込んだらバサロで行けるとこまで行く。浮上したら足の勝負。力強く、水を蹴って、壁に指が触れるまで全力で行く。

 そうだ。それまで「全力」でスポーツをしたことがなかったんだ。うまくできないと決まっているし、笑われるから。苦しいから。痛いから。でもあの日々だけは私に全力を教えてくれた。だからあんなに楽しく、猛烈な勢いで吸収していけた。練習後はみんな腹ペコで、バスの中で競うようにおにぎりを食べたっけ。みんなして全力だったからあんなに腹が減ったんだ。

30年もたってからそのことに気付いた。

 腹ペコになるまでよその学校のプールで泳ぎ続けた私たちは、その夏の市の大会で素晴らしい成績を収めた。優勝した子が3人もいた。その一人がなんと私だ。忘れもしない「50メートル平泳ぎ」。あまりにも予想していなくて、自分が勝ったことがよく飲み込めなくて動けなかった。負けたことはたくさんあるけど、勝ったときどんな顔すればいいのか知らない。

 混乱しつつプールから上がってタオルで体を拭きながら、学校の応援席に戻る途中の通路に父がいた。なんだろう、複雑な顔をしている。ちょっと半笑いだ。「お父さん、私が勝ってビックリしとる」小5の私にもわかる顔だった。父が右手を胸の高さで差し出している。私は思い切り、その手に自分の手のひらをパチンっと合わせた。ハイタッチなんてしたことない。そんな場面を作れるような、活躍する娘じゃなかったから。普段は厳しい父と、万事引っ込み思案な娘としては、なかなか貴重な場面だ。ちなみにその後も活躍の場面は巡ってこなかったため、ハイタッチはこの小5の夏が最初で最後だと思う。

 スポーツがくれたものは、全力で何かに取り組むことが自分にもできると気付けたこと。そしてあの父とのハイタッチ。どちらも間違いなく私の宝物になって、私を励まし続けている。



#スポーツがくれたもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?