見出し画像

旅は遠いところから行きなさい

これは祖母の格言、家訓、ともかく祖母からもらった大切な言葉です。

そして私が旅をするようになってからずっと忠実に守ってきた言葉です。

旅好きな祖母は、祖父が存命中は二人で、祖父が亡くなってからは友人とさまざまな国や地方に旅行をしていました。コロナが流行し始めキャンセルしていましたが一番直近ではカラカルパクスタンに行こうとしていたように記憶しています。

そんな祖母がいつだったか私に行った言葉、「旅は遠いところから行きなさい」これがいつまでも私の中で軸となっています。私がまだ旅を知らない時に、どこに行きたいかなあ、なんて話を祖母にしたのでしょうか、はっきりとは思い出せませんが、祖母のその言葉だけははっきりと覚えております。

今思えば祖母はもしかしたら足腰も弱くなるし若いうちに遠いところに行っておきなさい、そんなつもりで言ったのかもしれません。だけど私は私のとても都合の良いよう解釈して、おかげで今までの旅人生が素晴らしいものであったと言えるものになりました。

生まれて始めて修学旅行や父の仕事以外で行った国は高校卒業時のトルコ。卒業のお祝いに車の免許取得代か旅行をプレゼントしてあげると祖母に言われ、早生まれで船の学校入学前に免許が取れないこともあり旅行をおねだりしてしまいました。遠い場所というほど遠くはないけれど、当時17歳だった私にとって英語圏ではない国!それだけでとてもとても遠い場所でした。シーズン的には少し早い雪がうっすら積もるトルコに祖母と二人。これが祖母との最後の旅行になりませんように。今度は私がもっと遠い国に連れて行ってあげるんだ、そんな気持ちで今は日々を過ごしています。

そこから数年は社会の荒波に揉まれ精神的にも身体的にも疲労し、やっと旅ができるようになったのは23歳になってから。ここで再び祖母の言葉を思い出します。ウズベキスタンなんてどうだろう?英語も到底通じないだろうし、ローカル列車で旅をするなんて、精神的にとても遠い。そう決めてからの行動はすぐでした。こうして人生初の一人旅はウズベキスタンにすんなりと決まったのです。

その後もキルギスやヨルダン、イスラエルなど、なんかちょっと精神的ハードルが高い、なんかよくわかんない(失礼)、情勢的にいつ行けなくなるかわからないような場所を回りました。日本でいっちばん遠いところに行こうと思って降り立った与那国島は「ここが私のアナザースカイ」と言ってしまいたいような気持ちです。おこがましいですが。

いつ旅に出られなくなるか分からなくて、そもそも仕事的にも明日自分が生きているかもわからない、そんな中で祖母の言葉に倣って遠い場所から旅をしてきたことに感謝をする毎日です。。

だけどおばあちゃま、でも、と だって、と だけど は良くない言葉だけれど、おばあちゃま。世界がこんなふうになるなんてね、遠いところからと思っていたけれど、隣の県に行くのでさえ遠い時代になっちゃったよ。海外なんて宇宙より遠い場所のように感じてしまうよ。こんな世界の中で何を見つければいいの、どこから攻めていけばいいのおばあちゃま。遠くってどこ。

コロナ禍で留学や世界一周を諦め、かといってお金を貯めるために仕事を続けることも叶わず体調を崩し前職を退職し、そう自問自答する日々が続いておりました。遠くってどこさ。

船乗りを辞めてしまい旅さえできず自分の存在意義を見いだせなくて、ネットフリックスでもう何十回と見た昔のアニメをぼんやり眺めたり、ベットに転がって過ごすだけの無職期間を過ごしたりもしてしまいました。悔しくて。

その答えはまだ完全に出ていませんし、口に出す度に自分への励ましめいた、むしろ言い訳めいたものにしか聞こえないときもあるのですが、"旅をしているときに自分とは程遠いと思っていた一つの場所に暮らすこと"をやってみようと思ったのです。

その土地で働き、その土地の食べ物を食べ、その土地で誰か何かを愛すること。一見普通のことに見えるかもしれませんが、これは私には一生縁のないことと思って生きてきましたから。ずっと船に乗って、休暇中に旅をして、長期間旅や勉強をしたくなったら仕事を辞めて、退屈したら船乗りに戻る。退職をするまでそんな暮らしを続けるんだろうなと思ってたので。

暮らしたい街はいくつかあって、大好きな人達がたくさんいるあの港町や、学生時代暮らした演劇の街のあの町、茶屋街のお気に入りのバーに通いたいからあの町もいいな。そんな中から仕事を探して、ご縁を頂いたのは近場で馴染みのあるようであまりなかった海の見える街での仕事でした。

それからは引っ越しをして、家具や家電を揃えて、月並みかもしれないけれど生まれてはじめての一人暮らしを始めました。船での暮らしも長かったので、自分で食材を選択して購入し調理するというプロセスが大変おもしろく新鮮で、旬の食べ物という刹那の存在が尊く美しい。ほかにも選択が好きな時間にできること、近所の子供が遊んでくれること、自転車で会社に通って四季の風を感じることに日々驚きが隠せません。好きなお店や空間なんかもこれから出会えたら素敵だなと思ってる。

旅と比べるものではないのだけれど、静かなわくわくする心が私の中に戻ってきていることを感じています。

旅の代わりに"暮らし"をやってる、とはあまり思いたくはなくて、これも人生の中に必要な時間と思うように、思えるように暮らすことが自分の中の落とし所になっています。

私の中で遠い存在だった"暮らし"が近づいてきたとき、また旅が完全に遠いものになったときにする旅は、本当に新鮮でエキゾチックで美しいものになっていると思う。ああ、そんな日が待ち遠しい、待ち遠しいけれど今の日々も美しい。

なんだかそう思うと旅って距離ではない気がして。

祖母の行った遠いところから行きなさいというのは、美しいと思うことからら始めなさい、素晴らしさを探すことを始めなさい、一番心がときめくものを探しなさい。そして今しかできないことから始めなさい。そんなふうに聞こえてしまうのです。

これからの人生、自分自身の思いもよらないような楽しいこと悲しいこと、恐ろしいものや美しいものに出会っていくことでしょう。そしてそれらを経て祖母の言葉の意味はゆるやかに私の中で変化を遂げていくのかもしれない。

その自分の中で熟した言葉を自分の子供や孫、大切な人にかけてあげられたら、誰かの背中を押すことになったらそれってすごいことだね、おばあちゃま。そんなふうにも思うわけです。

南極に行くこと、知らない海外の土地で土地で暮らすこと、英語とスペイン語を話せるようになること、筋トレをもっともっと頑張ってごりごりになること、いつか家庭をもって愛する人と暮らすこと、これらは私の中でまだまだ遠いことで遠い場所で、だからこそ追いかける価値があって美しいと思ってる。先延ばしにせず、どれも貪欲に追い求めたい。

遠い場所を追いかけようと思わせてくれた祖母の言葉に、コンビニのアイスコーヒーで乾杯しながら、海辺のベンチでこのnoteを書いています。

この拙文を読んでくださったあなたにも、祖母と私との会話のお裾分けをどうぞ。

「旅は遠いところから行きなさい」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?