見出し画像

お父さんはまだ10歳

うちのお父さんは少し変わっている。

そうは言っても、他のうちのお父さんを知らないので、どれぐらい変わっているのかはわからない。大人になってまわりのおじさんたちを見ると「変わってるな・変な人だな」と思うことは少なくない。でもやっぱり人並みに変わってると思う。わたしのお父さんだから、よく知っている。

別に暴力をふるったり、ものすごく怒りっぽかったり、罵詈雑言を吐きまくったりするわけではないけど、お父さんのことはあまり好きではない。いいところももちろんあるとは思うが、いっしょに暮らしているとやなことばかりだった。お母さん曰く、「離れて見てればおもしろい人」。だから、親戚からはおもしろおじさんって感じで好かれてる(といってもお父さん側の親戚なので、お父さんのホームだ)。


『大きな海』

お父さんは、自作の歌を歌う。中学だか高校生のときだかに作った歌で、歳の離れた妹(わたしの叔母さん)に歌ってあげたそうだ。お父さんと叔母さんはとても仲良しで、そのときの話をしながら、今でも親戚が集まるとたまに歌っている。歌といっても、童謡のような歌だ。タイトルは『大きな海』。

その叔母さんの娘、わたしにとってのいとこのお姉ちゃんは、保育士をしている。そこで、子供たちに『大きな海』を歌っているという。なんと、父が作った歌が叔母さんへ、叔母さんからいとこのお姉ちゃんへ、そして見ず知らずの子供たちへ伝わっていってしまった。

父はその話を聞いて大喜び。「誰の歌?って聞かれたらおじさんの名前を言わなかん」「そしたらすごいいい歌ですねえってなるだろう」「いろんな人が歌うようになるかも」「そのうち賞を取っちゃうかも」「そしたらどうやってこんないい曲を作ったんですか?ってインタビューされたりして」「そしたら、これはですね、僕がいくつのときに作ったもので……」もうだーれも父の話を聞いてないが、お父さんはそんなふうにずーっとポジティブな妄想を口に出して続ける。そう、父はとっても自分中心にポジティブなのだ。

わたしも小さい頃、うちしか歌っていないとは知らず、父の歌を歌わされていた。


世界は自分中心に回っている

お父さんがポジティブなのは、「自分中心に世界が回っている」と、心の底から思っているからだ。それを聞いた小学生のときは、本当に驚いた。

「じゃあなんで、お父さんはパチンコに負けて帰ってくるわけ?」

「それはそういうときもある。けど、本当に悪いことは起きない。起きたことがない」

そんなわけはない。父は頭がそこそこ良かったはずなのに、大学受験で腹を壊すなどして、二回失敗しているのだ(一浪して滑り止めに入った)。本当に世界が自分中心に回ってるんだとしたら、そんなことになるわけがない。これ以外にも、わたしがお父さんから聞いた話でアンラッキーなことはもちろん人並みにいくつもある。だけど、お父さんはそれを信じて疑わないのだ。

決めたらその通りにしかできないのかもしれない。父はひとつのことを始めると、長い時間継続するタイプだ。それは長所でもある。ダイエットを始めたら、ごはんは毎日少ししか食べないし、朝晩汗だくになってステッパーを踏む。サントリーのウーロン茶にハマっていたときは、飲み物は家でも外でもそれしか飲まないし、パチンコにハマったらパチンコだけ、韓国の歴史ドラマにハマったらそれだけ、禁煙を始めたら最後まで。自分のやること・考えを曲げられないのだ。しかも、ポジティブだから、自分のいいようにしか考えられない。だから、ケンカをしたら、絶対に謝らない。自分が悪いことは絶対に認めない。

これは最近になってやっとわかったことだが、父はとても感情的な性格なのだと思う。自分がそうだと思ってしまったら理論も何も関係ない。眉唾話を信じる危険な中年になってしまった。もちろん宇宙人はいるし、アメリカはその存在を隠している。

父と母

父と母は、よくケンカする。といっても、父と母のケンカは、父が感情的で頑な故に悪い場合もあれば、父も母も考え方が違うだけで、どちらが悪いとも言い切れないことでケンカしていることも多い。わたしも実家にいたときは父とケンカになることはよくあった。でも、大学から実家を離れて、あまり衝突はなくなった。父も一人娘が心配でかわいくなったし、わたしも「離れて見てればおもしろい人」と思える。

高校生のとき、理由は忘れたが、わたしとお父さんはケンカした。ケンカの原因だったか過程であったかはわからないが、父はわたしに対してひどいことをしたと思う。わたしは怒りながら泣いた。なんでそんなことをするんだと泣いて怒った。こんなことをされるのが悲しかったし、こんな人間が父親だというのが悲しかった。

それを見た母が、「なんで娘にそんなことするんだ」と怒った。そして、そんなことは滅多にないが、父と母は取っ組み合いのケンカを始めたのだ。中年の男女二人が。小太りの中年二人が。ムチムチした胴と、太く短い手足を使って、掴み合ったり殴り合ったり。しかも、狭いリビングダイニングで。かなり本気のケンカだった。今まで何回も父と母はケンカしていたけど、こんなケンカは見たことなかった。ソファやテーブルの置いてある合間の狭いスペースで、小太りの中年二人ががもちゃもちゃと取っ組み合ってる姿を見て、わたしは少しだけおかしく思い、笑いそうになった。しかし、そんな狭い空間でデブ二人が取っ組み合っていては、どちらかが転んで頭を打って死んでしまうかもしれないと心配に思ったわたしは、泣きながら「やめてー!死んじゃうからー!」と叫んだ。そして、こんなことで「わたしのために争うのはやめて!」状態になってさっきよりもさらにおかしくなったこの状況に心の隅で少しだけ笑いそうになりながら。

わたしが泣きながら「死んじゃうからやめて」と言っている姿を見て、二人はケンカをやめた。母も娘のためにしたケンカを「死んじゃうからやめて」と心配して止められるとは思わなかっただろう。どちらかが死なずにすんでよかった。父にひどいことをされても、やっぱり父が死んでしまったらどうしようという気持ちになる。親というのは、呪いだ。


お父さんは10歳

中学生くらいかと思う。その頃には、「お父さんって、変だ。嫌だ」と思っていた。感情的に理不尽に怒られるし、なんだか言ってることが変だし、お父さんが「こう」と言ったら「こう」なのだ。

なんの拍子だったかは覚えていない。ただ、父は「パパはねえ、35歳くらいのときようやく、他人にも心があるってことがわかったんよ」と言ったのだ。

「え?」と思った。だって、そんなことは当たり前じゃん。わたしは物心ついたときから、そんなことわかってたと思うよ、と思った。

そして、そのときに諦めがついた。ああ、お父さんって、まだ10歳だったんだあ、と思った。だから、あんなことも言えるし、できるんだ。わたしよりもまだ年下みたいなもんなんだあと思った。わたしのお父さんは、まだ生まれて数年しか経ってないのと同じなのだ。じゃあ、仕方ない。そんなに大人になるまで、そんなことにも気付いていなかったんだから。だからお父さんは変なんだ。


やっぱりうちのお父さんは変だ。でももっと小さいときにはわたしだって、「大きくなったらパパと結婚する」と言っていた。平日は20時すぎに帰ってきても、たまの休みに遊びにも連れて行かずパチンコに行く日があっても、家事は何一つせずひとりプレイのゲームに熱中してても、家にいる休みの日にはえんえんと飛行機をねだったし、何よりパパが仕事から帰って来たら、「おかえりー!」と駆け寄り、玄関で抱っこしてもらうのが日課だったのだ。

小学四年生くらいのとき、「もう大きいから、だっこは重いからやめにしよう」と言われた。年の離れた弟もいて、聞き分けのいいお姉ちゃんだったわたしは、「そう言われちゃ仕方ない、たしかにもうわたしは重いのかもしれない」と、日課の抱っこをやめたのだ。後から親は「やめると親離れが始まるかも」と思って抱っこをやめていいものかと心配していたと聞いた。その通りだったのかもしれない。たしかにわたしはその頃から、お父さんのことを「変だ」と思い始めたのかもしれない。

今でも実家に帰ると、「この人やっぱりおかしいな」と思うこともあれば、嫌なことを言われてケンカになることもあるし、変なところが笑えることもある。いやでもあんまり笑えないかもしれない。でもやっぱり、血はひいていると思う。わたしがそれなりに勉強ができたのは父親の血だと思うし、やなことがあってもなんだかんだポジティブに変換できるときもある。

何より、お兄ちゃんと弟と、音楽にのってダサい変な踊りを踊っているときが心底楽しいのは、父親の血だと確信している。

同じノートパソコン、8年使ってます!