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人は不幸を直視できない②~『ダンサー・イン・ザ・ダーク』~

創作の足しにならないか、と最近映画を観ています。
それで映画好きな人から、傑作と言われて、この『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観てみました。
その人によると、だいぶ暗い話だとか。
私は比較的そういう話が好きなので、ワクワクして観始めました。
が、どうもつづきを観る気にならない。
頑張って一日三十分ずつ観てようやく観終わりました。
それは話が暗いから、とか、主人公が可哀想だから、とかではなく、主人公に共感できないことが原因のようでした。
この映画の主人公のセルマは、かなりのエゴイストでナルシシストです。
ネットのレビューを見ると、母親の愛が描かれている、とあるのですが、私にはそうとは思えなかった。
何故なら、愛の対象である息子が、映画の後半から完全に退場してしまいます。
ですから、仮に母親の愛というものがあったとしても、その愛の結果がどうなっているのか、判然としません。
その人の為になるから、とやったことが、まったくその人の為になっていなかった、何てことはよくあることです。
ですから、この映画では、母親の愛、というより、母親の愛に酔っている、あるいは執着している女が描かれているだけです。
そして、執拗に挿入されるミュージカル。
これは飛ばしてしまいました。
できない人間の現実逃避の為のナルシシズムに、辟易してしまいました。
私は個人的に、不細工のナルシシストというものに我慢ならないようです。
さて、この主人公のセルマ、確かに病気であったり、貧乏であったり、大変な境遇なのですが、周りの友人や仕事仲間にはとても恵まれています。
ですが、彼女は周りと積極的に関わろうとはしません。
病気のことも、息子のことも、誰にも相談せず、意固地に自分だけを大切にしてラストに向かいます。
この主人公は自分だ、と思えるか、がこの映画で気持ちよくなれるかの分かれ道かと思います。
ただ私はこの映画がそれほどひどいものだとは思いません。
点数で言えば、65点くらい。
何故なら、一定の割合の人に感動を与え、涙を流させる装置としては機能しているからです。
そういう観点から、創作者として観ますと、その秘密は、セルマが自分のことを可哀想な人、と思っていないところにあるのかもしれません。
それが、観客からすると共感しやすく、不幸を不幸として投げかけて来られることなく、安心して能動的にその不幸に浸れるのかもしれません。
また、あと何歩歩けばいいのね、などのシーンはミュージカルの設定を上手く生かせています。
さて、最後まで観て、私の心に残ったのは、実は主人公ではなく、あの警官であったりします。
主人公に対する懇願、混乱しているようであの懇願は本心であったのではないか……。
彼を膨らませたらもっと深い話にできたかも知れません。
でも、そんなことをしたら、多くの人を泣かせる映画にはならなかったでしょう。

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