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4さいの木のぼり


4歳のときのこと

幼稚園のお昼休み、木登りをした。
時計台のついた木製の滑り台にはしごやトンネル、網何かがついていて幼稚園のシンボル的なものだったのだけれど、いつものようにその周りでみんなと鬼ごっこをしていた。次第に遊びが移り変わり、何かのごっこ遊びをしていたのだけれど飽きてしまったのだと思う。
私は滑り台小屋からイチョウの木に伝いそのまま登り始めた。
滑り台はイチョウを含む数本の木々に囲まれていて、高いものだと20mくらいになっただろうか。高い木へ高い木へ移っていって、ついにはそのてっぺんにたどり着いた。
幼稚園に悪者が現れるならこの木のてっぺんに違いないと信じて疑わなかったからとても興奮していた。
誰も私に気付いてはいなかった。
広場で遊ぶみんながアリのようだった。

なんだか不思議な気持ちで眺めていたのだけれど、やがてみんなが徐々に戻り始めた。昼休みの終わりの時間だったのだ。
いつも素直に教室に戻るいい子は見る機会のないであろう幼稚園の利かん坊と大人の追いかけっこを初めて見た。がんばれたっちゃん!と木の上から応援していた。たっちゃんも捕まり広場からは誰もいなくなった。
ボーっとしていた。
これには理由がある。
私は優しくて品のある私のおばあちゃんをとても尊敬していたのだけれど、ボーッとするのは大切なことだと言っていたのをよく覚えていたのだ。
この頃の私はそれはもう一生懸命ボーッとしていた。

しばらくボーっとしていたら変化が起きた。
何やら背の高い人ばかり広場にゾロゾロと出てくる。
みんなエプロンをつけているからきっと先生たちだ。中には私のクラスの先生もいた。口々に皆叫んでいる。
私はボーッとしていたので始めは気づかなかったが、しばらくして、それは所在を求める声だと気付いた。どうやら私の名前とセットである。
「こいしさーん!、どこおー!、どこなのー!」
私はその異様な光景に呆気に取られてしまった。
訳が分からなかったので、またしばらくボーッとすることにした。捜索活動は続いた。木々のそばに位置する幼稚園の門が開き、大人たちは散り散りになっていく。
そうか、人は上を見ないものなのか!と何か大発見をした気分だった私はみんなに問いかけた。
「おーいここだよー、そっちじゃないよー」
木のてっぺんで両手を大きく振る私に気づいた大人たちが次々と歓声を上げるので、さながら気分はヒーローだった(今思うとあれは歓声ではない)。
しかし大人たちの表情は次第に安堵から怒気へ変わっていき、私に早く降りるよう要求する声が止まなかった。
私は居場所を明らかにしたことを心底後悔した。
「早く戻ってきなさーい!」
なぜ戻らなければならないのか。私は一生懸命に登ったのだ。
「もうちょっといるー!」
良くも悪くも純粋だった私はその場をしばらく離れなかった。最終的に渋々降りたが、降りている最中ずーっとプンスカプンスカしている一人のおばちゃん先生を見るたびに、降りるのをやめて引き返そうかと思った。



その放課後私は幼稚園時代最初で最後の保護者呼び出しをくらった。
罪の意識は微塵もなかったため嫌な思い出ではないし、両親も基本的に色々寛容だったため、咎められた記憶もない。
ただ覚えていることの中で唯一悲しかったのは、翌日起きた出来事であった。
いつもの様に登校すると、普段は見かけない作業服の人々が木々の周りにトラックを止め、何やら園長先生と話をしていた。

午前中、校庭に轟音が響き渡っていた。その日の昼休み、どんなに頑張っても、もう木には登れなかった。枝は1つ残らず切り落とされてしまって、幹だけになっていた。


それ以降、私にとって木登りは一種の禁じられた遊びという立ち位置にある。
酩酊すると公園の木に登るといった悪癖として残ってしまっている。
ツリーハウスに魅力を感じても結局行かないのは、背徳感とセットだからなのかも。


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