見出し画像

何を見て生きるかということ。

ありがたいことに、1年前までの自分では考えられないほどに、
時間にゆとりがある。
時間だけは平等に人に与えられるというが、
これは本当だ。
その使い方は全て自分に委ねられていて、
会社員であれば基本的には自動的に平日の大半は会社に拘束される。

時間にゆとりが無いと、心にゆとりが無くなる。
だから現代の日本は殺伐としているんじゃないかなぁと思ったりもする。
ただ、自由に使える時間が沢山あるからといって、
それをどう使うかは自分次第だ。
私達の生きる現代は娯楽が沢山あって、
テレビを付ければ一日中色んな番組がやっていて、
ネットを開けば自分好みの番組や動画等が無限大にお勧めされたりする。
それに流されるように、ひたすらTVやスマホを見続ければ、
あっという間に一日が終わったりする。
それも、贅沢な使い方だなとは思うし、
たまにやって、リフレッシュになるなら、それでいいとも思う。

今の私は愛犬なっちゃんの散歩に朝晩で3時間かけ、
残り時間は出来る限り勉強!の日々だが、
洗濯したり、掃除機をかけたり、買い物にスーパーに行ったり、
病院に行ったり、それらがひとつでも日々のルーティンに組み込まれると時間はあっという間に過ぎる。

勉強していたUXデザイナーのオンラインスクールも佳境を迎え、
何とかひと通りは見終わったが、使いこなせるようになったとは思えないし、卒業制作の課題も卒業日までは間に合わなかった!
(人生初めての体験で、これはかなり落ち込みました…)
向いてないんじゃないかなとも思ったし、これを一生懸命習得したところで本当に仕事に結びついて、在宅の仕事だけで食べていけるようになるのだろうか…と考えたりもした。
でも、それを先生に言ったら、「初めてやることだから仕方ない。みんなそうです。ただ、プロになるなら、その自覚をもって、全て自分で解決できるようにならないと。」と言われ、
確かに、そうだ。
お金をもらう以上、プロなのだから、フリーで仕事をもらった場合は勿論、
制作会社などに所属して仕事をする場合でも、先輩に教えてもらおうという気持ちじゃダメなんだな。
と当たり前かもしれないけど、
自分が甘えていたことを改めて感じた。

それにさ、今出来ないのだって、長い目で見たら、
すっごい完璧なデザイナーとしての仕事を出来るようになるまでの
一過程に過ぎないかもしれないじゃん?
私は今、出来ない、向いてない、なんでこんな分かんないの?、自分センスゼロだわとか思うこともあるけど、それを何とかしようと足掻いたら、
必ず前よりは成長した自分に会えるはずだよね!
それだけでも十分価値はある。
出来ないことは考えて、考えて、考えるしかない。

何をする人生にしたいかはまだ完璧には定まってないけど、
どんな生き方を選ぶにしても、
苦労しない生き方なんてないんだよね。
それなら、何になら苦労してもいいと思えるか
そこだと思います。
映画見てもさ、主人公をさこれでもかっていうくらいどん底に突き落としてからの、幸せが訪れるじゃない。
何もない苦労がない人生なんてあり得ないんだよね。
そしてその苦労があるから人生は面白いとも言える。
(苦労は努力とも言い換えられるかもしれないね)

カウンセリングの先生に習ったんだけど、
人はね、自分の見たい視点で物事を見る
らしいんだよね。
同じ物事を体験しても、
どう感じるかはその人次第なのと同じで、
無理やりプラスに持ってく必要はないとは思うけど、
でも何か嫌なことがあって嫌だなストレスだなって感じた時に、
いやでもこういう風にも考えられるよなって
少しでも自分の生きたい人生の方向に沿って考えられるようになったら、それは幸せに近づいてるしるしなんじゃないでしょうか。
私は今そう考えて、そう感じられるようになる勉強の真っ最中。

何を見て、生きるか。
どこに視点を当てて、生きるか。
それは全て自分の判断に委ねられてる。
自分に問いかける。
あなたはどう生きたいですか?

人生は一度きりだよ!
ワクワクすることしよーぜ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?