デフレーション、スタグフレーション、消費増税、貧乏死すべし。

終わりの始まりへ、本当の終わりへ。

 多分日本の経済はもうすぐ終わるのだ。日本は長い時間かけて賃金を下げ、企業の黒字を確保することに舵を切り、それに成功してしまったのだ。しかし経営者は「社員も消費者」であることを忘れていたのだろう。消費者が消費するための現金を持ち合わせなければ、当然ものを買うことはできないのだ。
 それに気が付かなかった経営者は、まず商品の単価を下げることを思いついたのだ。「デフレ」の始まりなのだ。価格が下がれば、薄給の社員たる消費者でも物が買えるようになるのだ。これを契機に消費が拡大し、ゆくゆく景気はもとに戻るだろうと考えられていたと思うのだ。

 ところが経営者は気づいてしまったのだ。単価を下げると利益率も下がることに。こうなると、数量あたりの利益は下がる一方で企業としての体力がどんどん削がれていくことになるのだ。悪くすると「売れば売るほど赤字」になるのだ。

 そこでさらに経営者は考えたのだ。価格をそのままにして量を減らせばいいのだ。こうすること単位あたりの商品の利益率は改善するのだ。量が減らせないものは、もう「値上げ」で対応するしかなくなってしまったのだ。近年の値上げラッシュはほとんどこれなのだ。
 しかしこれで企業の売り上げが爆発的に改善するわけではないので、人件費を抑えざるえをえなくなるのだ。大量解雇、給与体系の見直し、サービス残業の常態化。結果として労働者の賃金は下がる一方、物の値段は上がる一方という、「スタグフレーション」が完成してしまったのだ。
 スタグフレーションになるとどういう事が起こるか。わかりやすく言うと国際線の飛行機と同じになるのだ。国際線は「ファーストクラス」と「ビジネスクラス」にお客様がつけば、エコノミーはそれほど売れなくても黒字が出るのだ。つまり、「多くの人に買ってもらう」のではなく「買うことができる人だけ買ってくれればおk」な価格設定になってきていると考えられるのだ。

 そして今回の消費増税。「これに伴う原価の上昇」を理由に、単価は更に上がっていくと思われるのだ。これも不思議な上がり方をするはずで、消費増税分以上に上がっていくのがこれまでの市場の常識なのだ。

消費増税という物価上昇

 たとえば、販売価格が1,000円の商品があったとして、仕入れ価格が800円だとするのだ。仕入れ価格の800円には消費税がかかるので、税込みの仕入れ価格は、消費税8%のときは864円。これを税込み1,080円で販売するので、税込みの差額は216円。うち80円は消費税相当額なのでこれを納税しなければならないものの、すでに仕入れの段階で64円の消費税を支払っているので、この時の納税額は差し引き16円を納税する義務が発生する。利益は200円。これが消費税の「転嫁」なのだ。

 同じ例で消費税が10%になった場合を考えてみるのだ。販売価格1,100円、仕入れ価格880円、いずれも消費税を含んだ価格で、税抜価格は先程と同じ1,000円、800円なのだ。
 1,100円で販売すると、利益は220円。そしてこのうち100円は消費税として預かっているものの、仕入れ時に80円をすでに支払っているので、納税額は20円、利益は200円。消費税率がいくらになっても、実は増税前と利益は変わらないのだ。

 つまり、消費税が何%になろうと、本来売上と利益には何の影響もないはずであるにも関わらず、わかりやすく言うと次のようなロジックで値上げが実行されてしまうのだ。

 仕入れ価格が800円で消費税が8%だったものが10%に変わるため、税込み単価が864円から880円に「見かけ上」16円値上がりする。この為これを消費税としてではなく「販売価格に転嫁」した結果、販売価格は1,000円から1,016円になる。更にここに消費税がかかるため、販売額は1,117円になる。消費税額は101円。しかしこのうち80円はすでに仕入れ時に支払っているため、納税額は21円。つまり税引き後の売上は1,096円となって、216円が利益となる。消費増税分まるまる値上がっていることがわかる。ちなみにこれを「便乗値上げ」というのだ。コンビニに行くと、人気商品が価格そのままでどんどん小さくなっているのが目に見えてよく分かる。価格上昇を目の当たりにさせず単価を上げる「ステルス値上げ」と呼ばれている現象なのだ。目に見える価格を上げたくない業界では、こういったステルス値上げが横行することになると思うのだ。

 こういった「スタグフレーション・スパイラル」の脱出に一番効くのは「現金のバラマキ」なのだ。消費者は現金があれば使うのだ。そして上念司氏の論を待つまでもなく、「誰かが支払った代金は、誰かの給料」なのだ。この循環をうまく回していけば、市場はインフレ基調(といっても、最初は給与が価格に追いついていくだけだが・・・)に戻るはずなのだ。しかし、企業にはすでに社員にばらまくだけの現金はなく(よく言われる内部留保というのは資産の合計であって、それらがすべて流動資産=現金化しやすいまたは現金化できる資産であるわけではないのだ)、相変わらず低賃金で働かされているのだ。ソレをどうにかするために考えられているのが「ベーシック・インカム(BI)」なのだ。

ベーシック・インカムと無意味な商品券政策

 BIはすべての国民に毎月一定額を支給するという、景気刺激に対するいわば「直接攻撃」なのだ。よく言われているのは「国民1人あたり月額7万円を支給」するというもの。よく似た制度でたまに「地域振興券」なんていいうものが支給されたりするのだ。でも決まった地域でしか使えなかったり、換金性の悪さなどが手伝ってあまり歓迎されていないのだ。また最近では「プレミアム商品券」という名目で、たとえば「2万円で2万5,000円分の商品券が買える」というものもあるのだが、そもそもこういったものは「ポンと2万円払える人」が対象であって、いわゆる「中流層以下」にはほとんど利用されていないという調査もあるようなのだ。このプレミアム商品券然り、ふるさと納税制度然り、この国は金持ちには優しく、貧困層には何のメリットもない政策だけは考えつく。なぜなら考えてる人たちが「その制度のメリットを最も受け取れる層」だからなのだ。
 BIはどうか。たぶん圧倒的に財源がないこの国では、議論だけして実行はされないと思うのだ。なぜなら制度を考える人達は今のままで十分恵まれているので、わざわざ財源を痛めてまでBIを導入する「職務上の」メリットがないのだ。

解決の糸口はあるのか

 さて、ながなが書いてしまったけど、このスタグフレーションを拗らせている日本経済に未来はあるのだろうか。たぶん無いのだ。

 世帯所得はみるみる落ちていて、失業率は下がったものの結局のところ「非正規」が増えただけで正規採用はごく一部。しかも恐ろしく低賃金のまま。参考までに、筆者が高卒で採用された地方放送局の初任給は約18万円、そこに住宅手当が毎月5万円加算されていたので、約23万円が支給されていたのだ(ちなみに家賃は3万5,000円だったのだ)。たぶん、今とそんなに変わらないか、下手すると今のほうが低いのだ。ちなみにこれ、1993年の数字なのだ。この国の経営者がいかに賃上げに否定的だったかよく分かる事例だと思うのだ。

 やや景気が落ちてきたときなら、賃上げなどで対応できたかもしれない。しかしもう賃上げもできず、商品価格も下げられず、これだけの低賃金では結婚しても子供が育てられない。人口は減ってものを買う人も働く人もどんどん減っていく。しかも医療だけは進歩を続けるから人間の寿命は伸びるだけ伸びていく。いびつな人口ピラミッドは、もう修正できない形にまで変形してしまったのだ。

 解決策はただ一つで、「若者の〇〇離れ」などとほざく前に、そのすべての原因が「みんな金が無いことだ」ということから目を背けないことだけしかないのだ。目を逸らしているうちにどんどん貧乏人から死んでいく。貧乏人がいなくなると、作る人も売る人も買う人も減少していき、ものが作れない、物が売れない、そんな時代が来る。つまり、いま富裕層と呼ばれる「経済を支配していると勘違いしている連中」は、自分の会社の製品を誰も作らず、誰も買わず、結局多大な現金だけを握りしめて、それを使う場所もないまま最後はその現金は自分を荼毘に付すときの燃料として使うしか方法がなくなる未来しか見えないのだ。

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