映画は嫌い、だった。
中学生になるまで、映画は嫌いだった。
大きなスクリーンによって没入感が高まるあの空間が、2時間強の短い時間で繰り広げられる起承転結から逃がさない感じがして。短い起承転結によって感情を振り回され、追いかけられる感じがして。だから嫌いだった。
小さい頃「モンスターズ・インク」の限定上映があるということで親と映画館に見に行ったが、冒頭30分くらいで主人公たちの危機的状況のソワソワに耐えきれず辛くなってしまい親に頼み込んで、映画館を出てしまったこともあった。
今思えば意味が分からない、衝撃的なレベルのビビりだった。2時間強の時間を退屈させないために、起承転結がしっかりしているのは分かっているが、それが私にとっては辛かった。
よく言えば感受性が豊かだったのだろう。登場人物が窮地に陥った瞬間がとりわけ辛く、映画館の空間から逃げ出したい衝動に駆られる。アクションやミステリー系の映画で顕著にそれは現れる。重たいテーマを取り扱うような映画も小説で原作を読んだことがあるとしても、引きずってしまってやや敬遠してしまっていた。
先日『キリエのうた』を見た。岩井俊二監督の最新作で、アイナ・ジ・エンドさんが主演の映画だった。歌が半分を占めると聞き、ミュージカルが好きな私は正直ただの興味本位で見に行った。
東日本大震災を取り扱った作品で、映画を見に行った時は精神的に余裕がなかったのも相まってめちゃくちゃ引きずってしまった。松村北斗さん演じる夏彦の感情にとっても引っ張られて苦しくなったり、広瀬すずさん演じるリッコになんとも言えない感情を抱いたり。3時間という映画にしては少し長い上演時間の間、私の感情はぐちゃぐちゃだった。俳優さんが上手すぎて、リアルとの境目が分からなくなるような感じだった。あの役者さんたちは本当にそういう人生を生きてるのではと思うくらい。映画を見て困ってしまうなんて初めてだった。
震災から今年で12年が経ち、干支は一周した。中高一貫で部活の後輩でもある私の5つ下の子たちは震災のことなど覚えていないんだそう。
私が9.11のことをリアルタイムで知らず、昔の事件と感じているように、その子たちにとっては東日本大震災が昔起きた災害になってしまっている。映画は、経験している私たちにはその記憶を思い起こさせ、知らない子達にとっては追体験をさせてくれる。
思い起こすほどのリアルさが、映画の苦手だったとそういえば思い出した。ただ今ならわかる。思い起こせるほどリアルに違和感なく描かれた素晴らしい映画であることも。
自分が自分の中の考えをアウトプットしたり、さらに考えたくなったりする時のきっかけは、大抵がコンテンツや経験で。映画や思い出だ。
noteでも、何かを見て考えたことをまとめている人は多くいるし、没入感が高くノンストップで見る映画は他のコンテンツよりきっかけとしてより作用しやすい。
映画の持つ力ってすごい。だけど、やっぱりまだ、私は怖い。そう思った。
昔、映画は嫌いだった。22になった今の私は当時と1つ変わったところがある。
映画は嫌いじゃない。
感情をぐちゃぐちゃにされることもひっくるめて、映画の良さだ。そう思えるようになった自分を、どこか誇らしく感じた。
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